主に「ツェラン素描」「誰でもないものの薔薇」の章を目当てに、ほかのところはざっと目を通すかんじで。神なき身に目についたのはやはり、ツェランの神を信じることと、それならばなぜ、神がいるのならなぜあの戦争が起きて、あの大虐殺が起きたのかという問いかけ。◆「「誰でもないものの薔薇」の詩集の題名の取られた詩篇「頌歌」は、不在の神にむかって歌いあげられていく祈りであり呪いであるだろう。」(p.15)◆(「頌歌」の)「最後までつづく薔薇への呼びかけは鎮魂とも諦念ともならない救われようのない、救われようのなかった叫び声だ。」(p.119)◆そこだけが論点ではないのかもしれないけれど、強く印象付けられた。