ヘーゲル哲学形成の過程と論理 (1983年)

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  • フランクフルト期とイエナ期を中心に、体系の形成に至るまでの若きヘーゲルの思索の歩みをたどった研究書。著者の博士論文に基づいているとのことだが、平明な文章で書かれており、初期ヘーゲルの入門書としても読むことができる。

    ベルン期からフランクフルト期への移行は、カントの実践理性の強い影響から脱して「愛」を原理とする立場への移行と捉えることができる。だが「愛」は、生を現前化する主体的な感情であり、客観的な「反省」と対立する。それゆえ、「愛」に基づく民族宗教は没落を経験しなければならなかったとヘーゲルは結論づける。同時にヘーゲルは、「反省」によってもたらされる普遍的概念を、歴史の中で生きて働くものとして捉えるという課題を、みずからの問題として引き受けることになった。

    彼は、フィヒテの自我の立場から思弁の立場へと進むことで、こうした問題に答えようとする。フィヒテのただ単に整合的な反省のシステムでもなく、現実に関与する経験的な知識の集合でもなく、生を分断する「反省」を絶対者の内に措定することが、彼の目的となる。こうした学の体系は、「同一性と非同一性の同一性」という原理に基づくものとならなければならない。ヘーゲルは、シェリング的な知的直観を批判し、意識が経験する運動において、経験的知識の多様が自己と同一であることを示すようなシステムが、ヘーゲルの体系である。

    同時にヘーゲルは、こうした学の体系の顕現を、民族、国家、宗教、そして世界史の中に見ている。キリスト教について、ヘーゲルは律法の実定性を批判していたが、やがて主体性と客体性という2つの規定性は互いに他を前提しつつ相即不離の関係にあると考えるようになり、そうした立場からイエスの死を理解しようと試みる。また、古代ギリシアのポリスの直接的統一に欠けている市民社会的道徳を、人倫の哲学の内に取り入れようとする。

    最後に著者は、こうしたヘーゲルの体系が、世界史の具体的展開と相即することを明らかにしつつ、そうした展開の内で出会われる矛盾を認識するのが、哲学にほかならないという解釈を示している。

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