遊学の話―すでに書きこみがある (1981年)

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著者 : 松岡正剛
  • 工作舎 (1981年10月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (275ページ)

遊学の話―すでに書きこみがある (1981年)の感想・レビュー・書評

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  • ☆5(付箋23枚/P275→割合8.36)

    さて、松岡正剛です。海外の知者との会話集。
    ビデオアートのナム・ジュン・パイクなんてネットと情報の速度は今と全く違うのに、1981年の著が今読んで新しい。示唆的。少し引くと、、

    スーザン・ソンタグ:あらゆる知恵は「あるものはあるがままにある」というところから発しています。また、あらゆるものは複雑であって、全面的に善であったり全面的に悪であったりするということはない、という考え方で成り立っている。

    ジョン・ケージ:乱数表よりイー・キング(易)の方がおもしろい。乱数表はコントロールするためのもので、私は予想はしたくない。自分を変えたいのです。

    ナム・ジュン・パイク:僕はね、1860年あたりの年表を見ていて、電話ができて、マルコーニになって、テレポートになって、テレヴィジョンになるという自然科学の歩みと、印象派からダダからシュールに向かう歩みがまったく同じなのを見てびっくりした。ぴったり芸術は科学のあとを追っているのね。

    マツオカ・セイゴオ:それと光学。印象派と光の粒子説は同じ歩みになっている。ニュートン粒子説の勝利の時期ですね。天王星とか海王星がニュートンによって発見された。それがホイヘンスの波動説が量子力学によって復活したときに、未来派などが出てくる。

    うーん、凄い。松岡正剛は情報の歴史―象形文字から人工知能まで―という本をまとめているのだけれど、そうですよね。まさに、縦横無尽。

    ***以下抜き書き***

    ・セイゴオ:そのときにバラードが非常に印象的なことを言いまして、「われわれに残されている地球上の資源は唯一想像力である」というんです。これは非常の感動したことばだった。たしかにバラードを見ていると、なにも自分はもっていないけれども、かれの脳髄と脊髄神経系全体からあらゆる資源をとりだせるという自信がみえるんです。

    ソンタグ:想像力は、隔離されたところで増大する資源ですよ。

    ・ソンタグ:みんな、自分の専門のことしか知らない。日本人というのは、あらゆるものの最高のものを再合成する人たちだ、という印象をもっていたけれども、まさにそのとおりですね。

    ・セイゴオ:日本人は情報を入れる入れ方の方はうまいけれども、出し方というアクトが非常にへたな民族なんですね。

    ・セイゴオ:「中心が空いていて、そこに神がいる」のではないのです。中心がヴォイドだから、そこに神の気配が読みとりやすくなるというか、感じやすくなるわけです。そこで日本人は魂を昂揚させる契機をつかむ。

    ・ソンタグ:あらゆる知恵は「あるものはあるがままにある」というところから発しています。また、あらゆるものは複雑であって、全面的に善であったり全面的に悪であったりするということはない、という考え方で成り立っている。

    ・セイゴオ:中国人がなにを教えたかというと長寿を教えたわけですね。長寿の思想、不老不死の思想…。

    ・ソンタグ:生きつづけたいという意識があるのに、それができないわけですから。東洋的な考え方ではないかもしれないけれど、宇宙の構造がどこかおかしい、と私にはおもえてなりません。人間もある種の失敗作であるのではないか。たとえばセクシュアリティですね。明らかに悲劇ですよ。動物ではないと言いながら、かといって完全な存在でもない。するとなおさら、完全に近づこうとする。すくなくとも、これまでの種よりは進歩しようとする。
    このように、生命をめぐって、人間は動物であることの遺産とも言える不完全な素材をもって、どこまでやれるかといった挑戦、ゲームを楽しむことができます。

    ・セイゴオ:マルセル・デュシャンが「パリの空気」という作品でガラスびんに空気をいれますよね。あれが、ひとつの芸術で非常に価値を生むというのはたいへんよくわかるし、一種のコンセプチュアル・ゲームをはじめるにあたってのいいオープニングだったとおもうんですけれども、一方、パスカルが「8.13×10の23乗」という数値を空気の重さとして発表したときがある。これがアートと呼ばれなくて、こういうパリの空気入りのびんの方がアートになってしまったということ、そういうところに象徴的なちがいがでてしまったとおもうんですね。科学と芸術の不幸な離婚です。

    ・セイゴオ:思考による自己表現は豊かであるはずなのに、それが臨場感をもつことがすくない。

    ・ソンタグ:今日の多くの問題は人口過多に関連している。それ自身稀有で惰弱な文明化された社会形態というものは、社会単位があまりにも大きくなると、危機に瀕する。八百万、一千万、一千五百万、二千万という人口をもつ都市は、官僚制をもってしか管理できなくなるし、多分に、非個性的なものになっていく。われわれが民主的だとおもっている制度は過剰人口のためにあやうくなってしまう。

    ・ケージ:私の関心はさっきも言ったようにコントロールできない音で、実はこれはふたつのタイプに区分できる。ひとつは電線ハーブや水道の蛇口から落ちる水のように、「向こうからやってくる音」です。もうひとつは私が無作為に入手してしまった音、です。

    セイゴオ:たとえば?

    ケイジ:ティーポットです。電源を入れるととても美しい音を奏でる。ところがもうひとつ欲しくて同じ商品名のティーポットを買ったのですが、これは歌うことを知らなかったのです。いろいろ水につけたりしてみたけれどいまだに歌わない。

    ・ケージ:乱数表よりイー・キング(易)の方がおもしろい。乱数表はコントロールするためのもので、私は予想はしたくない。自分を変えたいのです。

    ・トマス:人間という種にはどういうわけか情報をできるだけ速くできるだけ多く摂取したいという欲望の方向があるようにおもうのです。これは一般の動物にはあまり考えられないことであって、かれらはつねに必要かつ充分な情報をきっちり守っている。余計な情報を必要としない。われわれはそれに対して、いつも多めの情報の中にいる必要がある。そうしないと生きていけないようになってしまった。

    ・セイゴオ:いまでも未開部族では子供がひとり生まれれば、それは部族全体の新生であり部族的記憶になるわけです。しかし、われわれはその単位をついに家族にまでしぼってしまった。あるいは国家によってしぼらされてしまった。このあたりに「死の観念」のつくられ方やつくり方の淵源があるようにおもうんです。

    ・パイク:僕はね、1860年あたりの年表を見ていて、電話ができて、マルコーニになって、テレポートになって、テレヴィジョンになるという自然科学の歩みと、印象派からダダからシュールに向かう歩みがまったく同じなのを見てびっくりした。ぴったり芸術は科学のあとを追っているのね。
    セイゴオ:それと光学。印象派と光の粒子説は同じ歩みになっている。ニュートン粒子説の勝利の時期ですね。天王星とか海王星がニュートンによって発見された。それがホイヘンスの波動説が量子力学によって復活したときに、未来派などが出てくる。

    ・セイゴオ:鈴木秀夫という異色の気象学者がいろいろ人類史と気象学を結びつけているのですが、そのひとつに世界のシャーマニズムが隆盛を見るのは小氷河期の冷寒期に属するという説を発表している。これもおもしろいことですよ。保存期にこそシャーマニックになる。

    ・パイク:生産はつねに難題だったけれど、消費することは簡単だった。人類は無力な動物だったから、消費はうまいわけだね。たとえば、記録者(レコーダー)としての語部はたいへんな才能が必要だったとおもう。その後、粘土板とか象牙とかが使われて、やっと紙ができたのが近々の中国で、せいぜい2000年の歴史でしょう。秦の始皇帝の焚書のときはまだ竹だった。それが、だんだん改良され遂にマグネティックなレコーディング方法になったとき、今度はレコーディングは簡単になって、逆に再生がむつかしくなった。
    (ヴィデオ・アートは最初から再生する必要がある)

    ・パイク:われわれはつねにランダム・アクセスかリアル・タイムかの選択を迫られているわけよ。

    ・パイク:ゲルマニウムのトランジスタをつくるとき、0.0001%の不純物が力を発揮するということに通ずる話だね。半導体というのはそこを利用する。僕はね、神様が半導体をつくった叡智が人類にユダヤ人とジプシーという民族をつくったようにおもえるんだな。ユダヤ人は外国をまわるバンカーで、ジプシーも流浪する占星術師たちでしょう。これは他の大部分の民族が対称性の安定を求めているのに対して、唯一、余地を動いているということになっている。

    ・パイク:マルクス自身はハイカラの好きな人だったから、あの当時に抽象絵画があったらマルクスは肯定していたにちがいない。彼は普通のインテリで当時の最新の科学を全部喰いちらしていたからね。きっと抽象絵画があればそれによって武装したにちがいないよ。人は誰でも不得意なもので武装しようとするでしょう。僕はフランス語が弱いから、酒に酔うとフランス語をしゃべろうとするものね(笑)。マルクスは自然科学が不得意だったから、哲学を科学化した。

    ・パイク:アダム・スミスは経済の根本をデザイア(欲望)にあるというわけよね。デザイアがデザイアにとどまっていることと、デザイアがオーナーシップに終わることとのふたつの道がその次に出てくる。で、オーナーシップに向かったときに、それが物質になるか名誉という変なものになるか、そのへんが問題だ。

    ・セイゴオ:ロックは産業革命の急進化によっておこったひずみが生んでいるから、リヴァプール・サウンドにみられるような過去の産業革命年に発生する。

    ・セイゴオ:僕は鉄をもっとも愛している者ですが、鉄を好きになった理由にはいろいろあるけれども、そのうちのひとつに、宇宙の中の星の出来上がり方があります。星は水素ガスにはじまってヘリウムから次々に元素周期律表の順番に沿って元素がふえていくわけですね。だんだん重金属が内部にたまると、ついに鉄族の出現の頃に、星はみずから大爆発して無に帰するか、それとも自分の鉄の重さに耐えかねてブラック・ホールの方へ進んでゆくか、必ず二つに一つの道をとらざるをえない。で、爆発した場合は、また元のヘリウムのほうへもどるわけです。これは「鉄の光合成」と呼ばれる不思議なスケールの大きな現象ですが、この宇宙の岐路に鉄が関与していることに、僕は注目したい。

    ※付随して読みたい本
    人間以上 シオドア・スタージョン
    超越者と風土 鈴木秀夫
    力学史、感覚の分析 マッハ

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