スローなブギにしてくれ (1979年) (角川文庫)

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  • 片岡義男というと、あの頃は(あの頃っていつだ?w)「片岡義男なんて…」というイメージwだったから、まさか自分に片岡義男を読む時がくるとは思わなかった。
    とにかく、軽薄でダッサーみたいな印象だったなぁー。
    とか言っちゃったら、ファンだった人は怒っちゃうかもしれないけどさw
    ただ、あの頃にファンだった人こそ、片岡義男って一方でそんなイメージでも見られていたって、知っていたと思うんだよねw
    ま、今思えば、あの頃そんな風に思っていた自分も同じように軽薄でダサくて。だからこそ必死にツッパって、「自分は違う」と思い込もうとしてたんだろう。
    だって、その世界観に密かな憧れを持っていたのは事実なわけでー(爆)
    たんに、そこまで(片岡義男の小説の主人公のように)トベなかっただけなんだと思う。

    ただ、片岡義男って、タイトルからしてダサいわけ(笑)
    『マーマレードの朝』とか、『スターダスト・ハイウェイ』とか。
    アメリカに憧れがあって(ま、住んでもいたらしいけど)、必死こいてアメリカっぽくしようとしているのがみえみえで。それって、いわゆる「おフランスおばさん」と変わらないわけで、なんかそこがとっても「あ、イタタタ…」みたいなw
    そういえば学生の時、夏休みにLA辺りを1週間くらい旅行してきた友だち。帰ってきたら、「カリフォルニア」を「キャリフォルニア」なんてのたまいだしちゃっていた、あの恥ずかしさと似た感じ(笑)
    とか言って、あの頃(だから、あの頃っていつだ?w)はロックとかも全然聴いてなくって。その後、ハマったらたちまち自分も憧れていたんだけどさ、アメリカ(爆)

    もっとも、その頃は片岡義男はもう世間から忘れられちゃっていて…、たかどうかは知らないけどw、少なくとも自分は完全に忘れていた。
    そんなわけで、ここまで片岡義男とは無縁できたんだけど、でも何で今さら読んでみたいと思ったんだろ?
    今…、というか、ここ4、5年くらいの日本の空気感って、どこかあの頃、つまり片岡義男がブームになっていたあの頃と似ているような気がするだけど、そういうのもあるのかな?

    そんなこんなあって、今更ふっと読んでみたくなった片岡義男。読み終わった感想はというと、うーん…。
    「あ、意外。面白いかも、片岡義男…」というのと、「片岡義男は、やっぱり片岡義男だな…」の両方かな?w
    というのも、この『スローなブギにしてくれ』は5つの話が入っているんだけど、前半の3編の「スローなブギにしてくれ」「モンスター・ライド」「ハートブレイクなんて、へっちゃら」は、「面白いかも、片岡義男」な話で。
    後半の2編、「ひどい雨が降ってきた」と「青春のこうやってやつ」は、「片岡義男は、やっぱり片岡義男だな」な話という感じ。
    ていうか、後半の2編は正直言って、クサくって読んでらんないって感じだったかなぁ…。
    話の始まりは主人公が「少年」や「客」、「モンスター・ライド」にいたっては誰の視点で話が進んでいくのかさっぱりわからない前半の3つがよかったのに対して、最初から主人公の名前で話が進んでいく後半2つは全然ダメと、評価が真っ二つだったのが面白いところ。

    思うに、片岡義男って、(見た)風景や情景から物語をつくってタイプの人なんだろうな。
    それこそ、自らツーリングに行って。たまたま休憩に入った店にいた人たちにインスピレーションを受けて、片岡義男独特の感傷で物語をつなげていくみたいな?
    だから、後半の2編みたいに最初から設定をつくっちゃうと、話に片岡義男の(感傷というより)価値観みたいなものが入りすぎちゃっうんじゃないのかな。
    だから、その価値観に馴染めない人からすると、クサくって読んでられないという風になっちゃうのかなーと思った。
    いや、なんとなく(笑)

    そんなわけで、最初の「スローなブギにしてくれ」はまあまあ。
    ラストのタイトルにもなっている“セリフ”を言う主人公の少年が必死こいて背伸びしている感じが微笑ましくってわるくない。
    2つ目の「モンスター・ライド」は、読んでいて思い浮かんでくる情景がとにかく気持ちよかった。
    秀逸だったのは、3つ目の「ハートブレイクなんて、へっちゃら」。
    いや、タイトルからしてまさに片岡義男なんだけどさw
    ていうか、ハートブレイクなんて言葉、最近はすっかり死語だよなぁ…、なんて思ったり。
    そんなわけで全然期待しないで読み始めたら、「え?これ、話がどこに落ちていくの!?」と。
    もしかして幽霊オチ?なんて思っちゃったくらい、先がどうなるのか知りたくて、あっという間に読んでしまった。
    *以下、あらすじを最後まで書いてあるので注意!
     ただ、片岡義男は話の展開よりは文章を楽しんでこそだと思う

    前にも書いたけど、冒頭は誰が主人公なのか全然わからない。
    夜のまだ早い時間のとある七里ガ浜の店(バー?)。
    店にいるのはバーテンと客(冒頭だと男か女かもわからない)一人。
    電話がかかってくる。
    電話をとったバーテンが電話の相手と何やら話す。どうやら、電話の主は自分の知り合いがいないか尋ねているらしい。
    電話を切り、「変な女!」とつぶやくバーテン。それを見て、かすかに笑う客の男(ここで客は男だと明かされる)。
    客とバーテンが話していると、また電話が。
    電話の主はどうやらさっきと同じようで、バーテンが「その人はいない。ハワイに行っている」と言って受話器を置く。
    カウンターで煙草を吸いながらビールを飲んでいる客の男。
    また電話。「だからトシ坊はいない」といって、電話を切るバーテン。
    それが、店に出入りする他の客の様子の描写をはさんで延々繰り返される。
    最初はたんに客が男となり。たんに男が26、7のがっしりした体格云々となり、また、電話の主が尋ねているのがトシ坊となっていく、その徐々に明かされていく(というよりは、定まっていく?)展開見事で話に引き込まれる。

    出ていった他の客が忘れ物をしたのを見つけ、店の外に飛び出すバーテン。
    そこにまたかかってきた電話。今度は客の男が電話に出る。
    相手は若い女。たぶん20歳くらい。酒が回ったようなしゃべり方。
    「トシ坊に代わって」と女。「トシ坊はいないよ」と客の男。
    やがてバーテンが帰ってきて、客の男に代わって電話を切る。
    混んできた店。
    そこにまたあの電話。客の男は「俺が出てやる」と電話をとる。
    「トシ坊を出して」「トシ坊はいない」と同じことを言っていると、女は「死んでやるから」と言い出す。
    男は「どうぞとは言えないけど、きれいに死ねよな」と電話を切る。
    またかかってくる電話。
    「トシ坊を出して」「トシ坊はいない」「死んでやるから」
    ひたすらそれが繰り返されるのだが、その過程で他の客がハワイのトシ坊に電話をかけたり。電話の女がメグという名前だとわかったり。トシ坊はメグなんて女知らないと言っていたりといったことが明かされていく。

    結末としては、客の男が「トシ坊は朝方にハワイから帰ってくる」と嘘をつくことで、その女を羽田の近くで待ち伏せ。
    蛇行しながら走ってきた車(赤いスカイラインw)が歩道に乗り上げ停まる。
    男が半ドアだったドアを開ける。シートに座ったまま動かない女。その足元に散らばる白い錠剤。
    男は用意していた塩がたっぷり入ったスプライトを女に飲ませて吐かせ、知り合いの病院に連れていく。
    2日後、医者から電話がかかってきて、「もう来てもいい」と男に言う。
    病院に行った男。「よくも助けたわね」という女。
    そんな女を男はピッターンと平手打ち(爆)
    続けて反対側に一発。さらにって、都合何回だよ?w
    で、その後は、「よくも助けたわね。つきまとうわよ。あんた、わるい女をつかんだわよ」という女に対して、男は「どのくらい悪いんだ?」と。
    女は「わかるまでには一生かかるわよ」と、なんだか妙にクスっとしちゃう展開になっちゃうと(笑)
    いや、その後も数行続く。
    それも含め、その前の羽田で待ち伏せして見事出合うなんてことあるわけねーだろ!的な展開。さらに言えば、どっちも飲酒運転じゃん!しかも女の方は睡眠薬まで!という、今時の良識あふれる人たちから無茶苦茶怒られちゃいそうな展開はともかく。
    ぶっちゃけ、今時の女性作家の「男(旦那)が愛してくれないのよ」的な小説読むくらいなら、よっぽどこっちの方が愛を感じるんじゃない?なんて(爆)
    思いやりは大事だけど、でも今の思いやり過剰な社会風潮(というか社会正義?w)は逆に人をスポイルしていると感じちゃう自分からすると、とってもスッキリする話で、思わず「なんだよ~。いいじゃん、片岡義男」なんてw

    自分があの頃(だからいつだよ?それw)、片岡義男がきらいだったのは、片岡義男のダンディズムだったのだろう。
    いや、今も好きじゃない。だって、そのダンディズムをあからさまに書かれちゃうと無性に恥ずかしいって、今でも思うから(笑)
    ただ、今はあの頃“きらい”だったのが、“好きじゃない”に変わったのは、そのダッセぇダンディズムwで必死こいて背伸びしてツッパっているところはわるくないと思うからなんだろう。
    ま、ダンディズムとか、背伸びとか、ツッパるとか。そういうのって、今となっては死語…、というより、どっちかと言えば悪いことのようになっちゃっているみたいなところがあるんだけどさ(笑)
    でも、というよりは、だからこそ今のニッポン(人)はダンディズムとか、背伸びとか、ツッパるとか、もっとあった方がいいように思う。
    そう考えると片岡義男、意外とカッコイイじゃん!なんて(笑)

    全然関係ないけど、読み終わって、ふと違和感を覚えたのはタイトル。
    『スローなブギにしてくれ』の、その“スロー”なブギってなに?
    ブギといったら、小刻みにリズムを繰り返すような、どっちかといえばテンポの速い曲だと思うんだけど、それがスローって、そんなブギある!?(あっ!レゲエ? ←絶対違うw)
    今は何が便利って、自分が疑問に感じることは他の誰かも絶対疑問に感じているわけで、つまりネットには同じ疑問を持った人がブログで書いていたりするわけだ。
    見てみたら、やっぱりあって、その方も“スローなブギって想像がつかない”と。
    その方は考えた末、それは矢沢永吉の「I LOVE YOU,OK」なんじゃないかということで、その曲をユーチューブで聴いてみたら…

    なるほど!
    話の最後で「スローなブギにしてくれ」と言うのは、アメリカ文化に詳しい著者ではなく、普通の18歳の少年なわけだ。
    もっとも、その曲(スローなブギ)を選んでかけるのは店のバーテン(おそらく少年よりは年上)なのだが、とはいえ、この話が書かれた時代を考えれば、確かに矢沢永吉辺りの方が自然な気はするかな。
    というか、下手に洋楽でないからこそ、まさに「主人公の少年のリクエストにこたえた」と言えるんだろう。

    思うに、今はこの話が書かれた時代から40年以上経っているわけで、情報頭デッカチになっているということなのかなーと。
    つまり、今でこそ「ブギ」というのはこれこれこういう感じの曲と、ちゃんとした情報を得られるが、その頃は「ブギ」といっても定義は曖昧で、気分や雰囲気でそう言っていたということなんだろう。
    それこそ、哀感を帯びた曲をみんな「ブルース」と言ったように。
    そう考えると、少年が「スローなブギにしてくれ」と言った後。(それを聞いたバーテンが)“「なにを言いやがる、それでせりふのつもりかよ」そう言いはしながら、首をふりつつ、ジュークボックスに歩いていった”とあるように。少年が言った「スローなブギ」とは、知ったかぶりをして何となく「ブギ」ということなのかと。
    そもそも「スローなブギ」なんてものはなく、ないからこそ(バーテンは少年のリクエストに何とか応えようと)“首をふりつつ”どんな曲をかけようか考えた、ということなんじゃないだろうか。
    だとすれば、そのブログの方が書いていたように、「スローなブギ」が矢沢永吉の「I LOVE YOU,OK」だというのはアリと思うし。
    また、それはあの頃の空気感をうまく捉えている気がして、すごくリアルだとも思う。
    ただ、自分的には片岡義男がクサくてダサかったように、矢沢永吉もクサくてダサかったという方だったったからなぁー。なんか、ちょっと笑っちゃうかな?w
    とはいえ、あの頃、片岡義男や矢沢永吉が必死こいて背伸びしたり、ツッパったりしていたダンディズムみたいなのって、今となってみると案外わるくないんだよな。
    ていうか、それって、今のニッポン(人)がすっかり忘れちゃった大事なことのような気がしてしょうがない。

    短編集はどっちかというと苦手なのだが、これはいい短編集だと思う。
    後半2つも前半3つくらいの話だったら、★4つでもいいと思った。


    以下は本の内容とは関係ない話。
    この本は、近くの某チェーンの古本屋で買ったんだけど、背表紙の裏に、なぜか湖面に首を出して進む首長竜(ネッシー?)のラクガキがあって。
    片岡義男に何でまたネッシーぃ?と、そこがとっても謎なんだけど、ま、その辺りがあの頃なんだろうw

    • 本ぶらさん
      猫丸(nyancomaru)さん、コメントありがとうございます。
      片岡義男のCD(音楽)エッセイというのは、たしかに面白そうで読んでみた...
      猫丸(nyancomaru)さん、コメントありがとうございます。
      片岡義男のCD(音楽)エッセイというのは、たしかに面白そうで読んでみたいと検索して見たんですけど…。
      結構、高いんですね(^^;
      たぶん、その内本になるだろうから、その時ってことですかね。
      ていうか、片岡義男。
      暖かくなってきたし。久しぶりに読んでみようかなーって思いました。
      2021/02/23
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      本ぶらさん
      そのうちねぇ、、、
      毎月1ページだから、ジャケット画像を加えて水増ししても10年後?
      本ぶらさん
      そのうちねぇ、、、
      毎月1ページだから、ジャケット画像を加えて水増ししても10年後?
      2021/02/23
    • 本ぶらさん
      猫丸(nyancomaru)さん、コメントありがとうございます。
      ま、10年後なら、たぶんなんとか生きているのかと(^^;
      猫丸(nyancomaru)さん、コメントありがとうございます。
      ま、10年後なら、たぶんなんとか生きているのかと(^^;
      2021/03/02
  • 収録内容は以下の通り。

    スローなブギにしてくれ(1975年8月 発表)
    モンスター・ライド(1975年5月 発表)
    ハートブレイクなんて、へっちゃら(1976年1月 発表)
    ひどい雨が降ってきた(1974年9月 発表)
    青春の荒野ってやつ(1976年2月 発表)

    発散させてもなお余りある、エネルギーに溢れた作品群である。登場人物たちが度々見せる人間の器の大きさに惹かれる。

    カバー写真は大谷勲、カバーデザインは竹原宏。

  • 激しくタイヤがきしむ。すさまじい爆音。ハイウェイの両側の風景が後ろからふっ飛んでゆく。
    <ほっといてくれよ。ひとりで考え、自分でちゃんとやるんだから!>
    非行のため高校を転校させられたスピード好きの少年と、子猫に奇妙な優しさを示す少女との不思議な出会い・・・。
    オートバイの疾走の快感とリズムを伝える鮮烈な文体に都会の若者達の倦怠とフィーリングをとらえた新感覚の傑作集。表題作他4編収録。「野生時代」新人文学賞受賞。

    -----

    やはり初期らしく文体がまだ若い。今の著者からは一寸想像できないかな。
    これが「都会の若者達の倦怠とフィーリングをとらえた新感覚」だとすると、今の若者はもっとひどいことになっている。スタイルばかりでスピリットがない。
    「モンスターライド」と「ひどい雨が降ってきた」がよい。とくに「ひどい雨が〜」のアメリカンハウスで暮らす男二人と女性一人、そしてオートバイというシチュエーションがいかにも時代っぽくてよい。

  • 激しくタイヤがきしむ。すさまじい爆音。ハイウェイの両側の風景が後ろからふっ飛んでゆく。<ほっといてくれよ。ひとりで考え、自分でちゃんとやるんだから!>非行のため高校を転校させられたスピード好きの少年と、子猫に奇妙な優しさを示す少女との不思議な出会い・・・。オートバイの疾走の快感とリズムを伝える鮮烈な文体に都会の若者たちの倦怠とフィーリングをとらえた新感覚の傑作集。表題作他4篇(スローなブギにしてくれ/モンスター・ライド/ハートブレイクなんて、へっちゃら/ひどい雨が降ってきた/青春の荒野ってやつ)収録。「野性時代」新人文学賞受賞。

  • 85032

    30 会話、描写がいい。

  • 青春とか、若いとか、人生とか、そういうものはその辺の年寄りに言わせておけばよい。
    波があって、オートバイがあって、なんだか今日が上手い事自分の中に収まっていればいい。
    と、そんな片岡的生き方に憧れるきっかけになった一冊。

  • 片岡義男の作品は十代の頃よく読んだ。思春期特有のカッコつけたい気持ちにマッチした。

  • 大学の時に読んだwww

  • 今の若者がこれを読んでどういう感想を抱くのかな。
    昔読んだときは、なんかもっと乾いた感じがしてたけど。
    底に横たわるのは絶望ともちょっと違う?

  • ふとしたことからめぐり合った二人の男と一人の女の奇妙な生活を描く。

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