アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (1977年) (ハヤカワ文庫―SF)

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感想・レビュー・書評

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  • 昭和57年に買ったというメモが残っているので、作者が亡くなり、かの有名な映画が公開されたまさにその頃に読んだはずだが、内容はすっかり忘れていた。久しぶりに読み直して、映画にそっくりだなどという感想を抱いたのは、我ながら間抜けな話だ。それにしても、当時、それほど印象に残らなかった作品なのに、30年以上たった今では、この傑作の内容を覚えていないことの方が不思議に思える。それなりに年齢を重ねて、昔とは違って主人公に感情移入ができるようになったということかしら。つまり、アンドロイドから人間になったのだ。朝倉久志訳。昭和五十二年三月十五日発行。昭和五十七年三月十五日三刷。定価360円。
    収録作品:「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」、「訳者あとがき」

  • ブレードランナー2049の上映に合わせて、30年近く本棚に眠っていた本書を再読。やっぱりいい。テーマはレプリカント(人造人間)と造反したレプリカントを追いつめ抹殺するバウンティハンター(映画ではブレードランナー)の間で生命と機械の間に移ろう境界であり、ロボットが今日ほど生活に身近になかった当時としては衝撃的なインパクトだったことを思い出した。レプリカントは人造人間であるが、人間の組織を忠実に模した有機体であり、感情も持ち合わせている。我々が感じているロボットと人間ほどの距離はない。然るに人間との判別には特殊な鑑定機を用いる必要があるほどで為政者もレプリカントが人間を駆逐することを恐れ、反乱を起こしたレプリカントには賞金を掛けて狩り出し、秩序を保つことにした。しかし、高性能になったローゼン協会(映画ではタイレル社)のNexus6型は知性に優れ、バウンティハンターに壮絶な闘いを挑んできた。主人公のデガードは、モノとして接し、処理してきたレプリカントの感情に触れ、境界が曖昧になることでバウンティハンターを続けられなくなる境地になる。現実社会においても人型ロボットの進化の先に人間ような情動を持ち、見た目にもわからなくなるようになれば、この問題は小さくない。

  • 再読。

    アンドロイドを狩る警察官の、波乱に満ちた一日を描くSF小説。アクションもさることながら、人間とアンドロイドとの差についての視点と、その展開が面白い。人間とアンドロイドとの唯一の違いは共感能力を持つか(他者に感情移入できるか)否かだ、というのがその主題であり、作中に登場する「マーサー教」という架空の宗教がその陰影をさらに深めている。
    「マーサー教」は受難者・マーサーをシンボルとする宗教であり、人々は共感ボックスを介してマーサーと一体化し、その苦しみや、共感ボックスで繋がった人々の喜怒哀楽を共有するというもの。しかし物語終盤、マーサー教はペテンであることがアンドロイドによって証明されてしまう。マーサーの姿は三流俳優の演技に過ぎず、聖なる光景は単なる書き割りだったことが人々に知らされる。だがそれでも人間たちはマーサーへの共感を止めず、むしろ場合によってはさらに一体感を深めていく。
    訳者あとがきで引かれている後藤将之「フィリップ・K・ディックの社会思想」を孫引きすると、ディックの作品において「コピーも現物も、親切であればすべて本物であ」り、「『人間』として登場する者も、『アンドロイド』として登場するものも、全て、『人間』であり、かつ『アンドロイド』でもありうる」。アンドロイドがあるときには人間であり得るように、おそらくはマーサーもまた、まがい物でありながら、人間が共感を示す限り真実であるということなのだろう。物語の最後で、主人公の妻が示すいたわりや、新しく家に迎えられた(まがい物のはずの)電気ヒキガエルも、また真実であり、だから物語を読み終えた読み手は、殺伐とした事件続きのあとながら、不思議な安らかさに包まれるのだと思う。

    本書は映画『ブレードランナー』の原作。間もなく(2017.10月下旬)、続編『ブレードランナー2049』が公開されるところ。物語の持つ、人間と真実を巡る主題がどのように表現されるか、映画を鑑賞して確かめたい。

  • SF小説をちゃんと読んだのって、記憶にある限り初めてかもしれない。
    気が付けばタイトルだけは知っていた有名な作品で、奥付を見ると初版は昭和52年。本国でははもっと前に書かれているわけだけど、今読んでも面白い。
    そこに驚いた。
    SFってほとんど知らないんだけど、多分、現代に書かれたものならもっとリアルで楽しめる作品てあるんじゃないかとは思う。
    でも、書かれて何十年たっても面白いのは、人間の本質がテーマの幹になっているからなんだろうな、と思う。

    と、思ったら、訳者あとがきに

    「人間とは何か?」という大きなテーマに取り組んだのがこの長編なのですが、

    という一文がありました。

    蛇足。
    人間とすぐには見分けがつかないアンドロイドがいる時代に、主人公が読んでいる書類がカーボン複写のタイプされたもので、文字がぼやけてしまっている、と言うのが、ちょっとご愛嬌だと思ってしまいました。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「ちょっとご愛嬌だと」
      どうしても、現実と想像の間を行き来していると、想像の中に現実が入り込んでしまっているコトを見落としてしまう。。。人間...
      「ちょっとご愛嬌だと」
      どうしても、現実と想像の間を行き来していると、想像の中に現実が入り込んでしまっているコトを見落としてしまう。。。人間ですから。。。
      映画「ブレードランナー」も好きです。そして続編の話に、観るまでは死ねないなぁと思ってます。
      2013/01/23
  • 一気にひき込まれたように読んだ本。
    アンドロイドと人間の違いは、「感情移入」できるかどうか、要は相手のことを思いやれるかどうか。誰にでも人間的な面、アンドロイド的な面があるのだろうか。

  • サンフランシスコ警察とは名ばかり、懸賞金稼ぎをやっているリック・デッカードは、希少になった本物の動物を家に迎え入れるため、火星から逃げた、懸賞金付きのアンドロイドを探す。しかし新型のアンドロイドネクサス6は、人間と飲み分けがほとんどつかない。24時間以内に、すべてのアンドロイドを探し出すことはできるのか?

    古典SFを読む夏。実は未読の割に、旧版新板の2種類とも持っている『電気羊』を行ってみた。

    いや、意外や意外、タイトルからも多分ややこしくて読みにくいかと思いきや、読みやすいし理解しやすいタイプだった。『高い城の男』に比べると、わかりにくいかもしれないが。

    この手の作品のとっつきにくさというと、世界観、動機そして報酬系ということになろう。本作は、核戦争後の人間以外の動物がほとんど絶滅した世界である。その割に薄汚かったり、人間は大量にいたりするあたりがなんとも、1960年代と今との認識のギャップなのだろうと思う。

    動機は非常にわかりやすい。むしろ、何でアンドロイドを追ってんのかなあと忘れてしまう。一方でお尋ね者のアンドロイドが、なぜか人前でオペラ歌手をやっていたりする。矛盾というかなんというか。

    また、本作の報酬系は「生きた動物を入手する」なのだな。これまた独特。

    面白いのは、生きた動物を手に入れられないものは、機械化された「偽動物」を人に知られずに飼うこと。また後半で明かされる、人と見紛うばかりのアンドロイドの寿命の秘密など、ディックらしからぬしっかりした設定を入れてきたのは感心した。もうちょっと生かしてほしかったが。

    ディックの長編の中では屈指の読みやすさであるので、独特のタイトルと、映画『ブレードランナー』の原作ということだけが売りではない。浅倉久志の訳も良くできている方だろう。

    新板も持ってるけど、旧版の表紙のほうが良くない?普通のブックカバーに入るし。旧版は80~100円でよく売られているので、見つけたらぜひ。

  • <DO ANDROIDS DREAM OF ELECTRIC SHEEP ?>

  • 先日の出張の飛行機の中で映画「ブレードランナー」と「ブレードランナー2049」を続けて観たので、ついでに原作も読み返す事に。図書館で借りたのだが、年季の入った一冊だった。

    多分、昔、読んだ時と感想。引き込まれるけど、難しい…。


    昔読んだ時との違いは、原作とはなっているが映画とは別物であることを知っていたことと、Android(OS) と Nexus(スマホ)が世に出たことか。

  • 随分前に読んだので覚えていない。当時映画と全然筋が違うなと思った記憶がある。映画はすごい好きなんだけどね。

  • 20年くらい前に旧作映画(ブレードランナー)は観ていて、新作映画(ブレードランナー2049)の前に原作を読んでみました。小説を読み終えてから復習のために旧作映画を見直したので、小説と映画を比較しながら感想を書きます。

    主人公の内面描写
    小説では、本物の生き物への憧れや、アンドロイドへ感情移入への戸惑いなどが描かれ、主人公に共感しながら読むことができました。映画ではどちらかと言うとロイの心情の方にスポットが当たっていたように思います。

    湿度の違い
    映画では冒頭の屋台から、ロイとの決闘まで、雨のシーンが多いです。汗だくでウェットな印象。小説では明確な天候の描写は無かったように思いますが、死の灰が降り積続けているので、ドライな感じがします。

    生き物の存在
    どちらの世界も生き物が高値で取引されている事になっていますが、映画は湿度が高いこともあってゴキブリやネズミがたくさんいそうです。小説ではそういった虫よりも、アンドロイドの方が価値が無いとされています。主人公の本物の生物への強いこだわりが、キャラクターを引き立てています。

    J・R・イジドア
    小説では、アンドロイドを追い詰めるデッカードと対をなすように、アンドロイドに共感するキャラクターで、もう一人の主人公のように描かれています。もう少しデッカードと価値観の衝突があったら良かったのにと思いいました。映画では利用されて殺されるだけの役に。

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