プルーストを求めて (1972年) (筑摩叢書)

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  • アンドレ・モーロワの二度目の妻であるシモーヌ・ド・カイヤヴェは、ジルベルトとサン=ルーの娘で、最終巻に登場するサン=ルー嬢のモデルといわれている。
    シモーヌ・ド・カイヤヴェの母、ガストン・ド・カイヤヴェ夫人はプルーストの親しい友で、ジルベルトのモデルである。

    モーロワは自己の人脈を駆使し、多くの協力者を得ただけでなく、ジェラール・マント・プルースト夫人(マルセル・プルーストの実弟の娘)に遺稿及び、未発表書簡、ノート、メモなどを参照、引用の許可を得て、数多くの貴重な資料が本書にはおさめられている。

    マルセル・プルーストは、1871年オートゥイユ(当時はパリ郊外。現在はパリ16区)に生まれた。
    父親のアドリヤン・プルーストは、医師(パリ大学医学部教授)。母親のジャーヌ・ヴェイユの実家は株式仲買業を営むユダヤ系の裕福な家庭で、ふたりの間には、長男マルセルと、次男ロベールが生まれる。

    『失時』のバルベックの舞台とされるイリエ(現在の地名はイリエ=コンブレー)にプルースト家の実家があり、休暇をイリエで過ごす少年は、自然と戯れ、古びた建造物や、風景や思い出に多くの美点を見出す。

    『失時』でもそうなのだが、語り手、又はプルーストの年齢の曖昧さが感じられるのは、プルーストの度を越えたマザコンのせいだろう。
    経済的にも裕福で、愛情をそそがれながら育つプルーストは9歳の時、生涯の持病となる喘息(この病名が適切かどうかはわからない)のはじめての発作を起こす。

    病弱で、内向的で、甘えん坊の長男のプルーストに対し、弟のロベールは、陽気で快活、のちに、父と同じ医学の道に進み、医師となり、プルーストの死後は『失時』の遺稿をまとめる作業にも加わる。

    その後もプルーストは、しょっちゅう呼吸器系の発作を起こし、虚弱であったが、コンドルセ高等中学ではよい成績をとり、パリ大学の法学部に在籍。法学士試験に合格。哲学の文学士号試験にも合格している。

    少年時代から、休暇は、イリエや、ノルマンディ海岸(バルベックの舞台)で過ごし、22歳の時、ロベール・ド・モンテスキュー・フザンサック(大貴族であり、詩人。シャルリュスそして、ユイスマンスの『さかしま』のデ・ゼッセントのモデル)と知り合うことで、上流社交界デビューを果たす。

    青春時代を通してプルーストは女性に対して激しい愛情をおぼえるようなふりをしたが、倒錯的な男色傾向にあったようだ。アルベルチーヌにおいては、性の置換がみられ、ジュピアンのモデルは本当に男色宿を経営し、プルーストはそれを援助していた。

    成人してからも病状は緩慢に進行していき、発作の頻度も多くなっていったものの休止期があり、小康状態の時には、社交界に出かけたり、旅行に出かけたりしている。
    1898年オランダ、1900年ヴェネツィア、1901年ラスキンの足跡を追ってアミアンへ。1902年オランダ、ベルギーを訪れる。

    両親が亡くなったあと、オスマン大通りに引越し、部屋をコルク張りにして、からだの衰弱と闘いながら昼夜逆転の生活時間で執筆に励む。

    『失時』では、語り手が病弱であるということは、周知の事実として最初から捉えるが、プルーストがこんなにも身体的に長期にわたり虚弱で、特に、『失時』の執筆中はほとんど閉じこもりっきりで書いていたとは。
    最終巻の「見出された時」は、死と隣り合わせの哀切が本当にひしひしと伝わってくる。
    彼は、病に常につきまとわれ、他者より早く、緩慢な死や老いを意識し、退廃的な時の観念を持っていたかもしれない。

    『失時』を読んでいて、私がとにかくしんどく感じたのは、語り手(マルセル)の性格だった。
    神経質で、女々しく、愛しているのに愛してないと言い、嫉妬深くその嫉妬深さに倒錯的な面が見られ、少し人にソッポを向かれると泣き、言い訳し、猜疑心が強く、人にどう思われているのかいつも気になる。
    そんな主人公がどうしても好きになれず、犬儒的とは言わないまでも、自分に対する他者の評価を全く気にしない性格の私は、この長大な小説を読み終えるまで彼とのつきあいが続いていくのだという事実に憤怒さえ覚え、先へ先へとスピードを上げて読み進んでいった。
    しかし、最終巻の「見出された時」で、主人公の苦悩や苦痛、死への急速な時の流れを強く感じ、マルセルへの歩み寄りができた気がした。

    アンドレ・モーロワは、シェイクスピアと対比させ、「見出された時」またはその結末部分に関してすばらしい文章を書いているので引用する

    ---『失われた時を求めて』の結末は、少しばかりシェイクスピアの『あらし』に似ている。
    芝居は終った。魔法使いはその秘密を明かした。
    いまや彼は、ゲルマント大公夫人の午後の演奏会で、最後にわれわれに見せてくれた、すっかり白い霜をいただいたその操り人形達を、箱にしまう。
    そうして、プロスペロのようにわれわれに向かって言う。

    「われわれの夢と同じ材料で作られている、われわれのささやかな一生は、眠りに始まって眠りに終る・・・」

    ゲルマント家の人々もヴェルデュラン家の人々も煙となって消え失せる。
    スワンの呼び鈴が、最後に、庭木戸に鳴る。
    そして、最後の文章が時という言葉に終る時、月光の浸す木々のなかに、遥かに遠く、殆ど聞き取れないほどかすかに、マルセルの笑いが聞こえるように思われる---

    モーロワが書くように、最終巻の「見出された時」では、時を経て役者たちが再び舞台に登場し、まるで芝居をみるがごとく物語が進んでゆく。

    晩年のプルーストは、セレストというお手伝いとその夫の運転手に助けられながら生活を送っていたが、
    発作を懸念し、家では一切料理を作らさなかったそうで、
    もっとも、プルーストの摂るものといえば、カフェオーレで、たまに、舌平目のフライか、ひなどりのロチをほしがるくらいだったという。
    死の間際は、ホテル・リッツから冷えたビールをセレストの夫に取りにゆかせ、わざわざ取りに行かせた労をねぎらった。

    死の前年には、無理をして「フェルメール展」を見に行くが、このときの経験がベルゴットの死の場面に描かれ、『失時』の非常に印象深い箇所になる。

    1922年、10月、外出し、気管支炎を起こす。
    この気管支炎は当初、あまりたいしたことのないように思われたようだが、11月18日死去。51歳。

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