いきなりだが、本書「第二十六 谷中村の滅亡」から引用しよう。
「明治政府悪政の記念日は来れり。天地の歴史に刻んで,永久に記憶すべき政府暴虐の日は来れり。準備あり組織ある資本家と政府との、共謀的罪悪を埋没せんがために、国法の名によって公行されし罪悪の日は来れり。ああ、記憶せよ万邦の民、明治四十年六月二十九日は、これ日本政府が谷中村を滅ぼせし日なるを。正義と人道との光り地に堕ちて、悪魔の凱歌は南の極みより、北の涯まで亘る。」(本書、p156)
明治維新を堺に、西洋に追い着け追い越せと、ひたすら西洋をマネて近代化を続けてきた日本社会。そこには、もちろん国民にとってプラスのこともたくさんあったに違いない。しかしその反面、一人一人の命や生活を蔑ろにする政策が強制されてきたことも間違いない。その一つの典型的な事件が、足尾銅山鉱毒事件という日本最初の公害問題の発生と、それをうやむやにして葬り去ろうとする谷中村滅亡(村を遊水池にする)の施策である。
明治維新が西洋でいうブルジョア革命の一種だとすれば、維新革命後の明治政府と資本家たちは、これまでの古い体制を乗り越えることと同時に、自らが新しい社会の課題に直面することになるのは、歴史の必然である。そんな課題を前にしたとき、資本家たちは人間の倫理を失わないで経営ができるのか…。そんなことをすると競走には勝てない。したがって、一般市民には黙っていてもらいたいのである。その方法が、権力と金の利用である。
著者・荒畑寒村氏は、足尾銅山の経営者の古川市兵衛やその姻戚関係にあった時の農相陸奥宗光に対して、これ以上ない強い筆調で糾弾している。その後の栃木県の指導者に対しても厳しい。当時の社会主義的な思想を反映してか、とても過激な文章が続いていく。出版後、すぐに発刊禁止になったことも頷ける。本当に、これだけ怒りに充ち満ちた文章を読んだのは久しぶりだ。
それでも、内容は詳しく、どのように地元住民が懐柔されていったのかがよく分かる。
足尾銅山鉱毒事件~谷中村強制収用事件の流れを見ていると、「いつの時代も、政府や企業のやることは変わっていないな」と思う。日本政府がこの事件からしっかり学んでいれば、水俣病もイタイイタイ病も、あれほど大きな問題にならなかったに違いない。そう、多分、福島の原発事故もなかった(そもそも原発は建たなかったはずだ)。日本社会は、田舎の犠牲のもとでの経済優先で動いてきたために、そのひずみが大きくなってきてしまった。そして、ついには3.11となり、福島が「フクシマ」となってしまったのだ。
1970年、本書が復刻されたときに書かれた宇井純氏の文章「解題―足尾鉱毒事件の意味するもの」を読むと、先に述べた感を強くする。
「日本は公害の先進国となってしまったという認識は、今や国内における常識となり、外国からも指摘されるところとなった。なぜこれほどに公害が激化したか。その根源は明治以来の近代日本の政治的体質と,日本資本主義そのものの生い立ちにあることを、『谷中村滅亡史』は書かれてから六十年後の今日も、はっきりとわれわれに教えている。」(p188)
宇井氏は、こう書き出して、戦後の日本社会の公害や住民無視の状況を足尾事件と比較して言及している。残念ながら、二度あることは三度も四度もあるのだった。
最後に…
「我々は、人の心を金で買うんだよ」という珠洲原発計画を進めていた当時の関電社員の言葉は、なんのことはない、明治の時代から続いていることがよくわかった。
なお,本書の巻頭には,岩波文庫版にはない著者による「改版あたって―政府資本家共謀の罪悪」という小論が掲載されている。これを読むだけでも,谷中村の事件というのがどういう経緯で起きたのかの概略はつかめると思う。