ソークラテースの、「無知の知」の作品として有名。
大きく分けて「ソークラテースの弁明」「クリトーン」「パイドーン」の三つに別れている。
ソークラテースの弁明
「私は無知だが、無知であることを自覚していることにおいて、自分は知恵があり最高だと思っている人より、知恵がある。知恵がある彼らの知恵と、私が無知であることを、二つ持っていた方がよい。」
また彼は死ぬことについても言及し、死を恐れることはとんでもない間違いであるとし、なぜならば「死ぬことがあるとは、誰も知らない。恐るということは、害悪であるかの様に思うことであり、誰が死ぬ事を悪であると知っていようか。」とする。
クリトーン
また「ある国が不都合である」から逃げることは、「その国の国法の破壊者である」とされ、「その国の判断が正しいことを認める」ことになる。それはもの笑の種であるとする。なぜならば、「その国がそれまで良かったのだから、住んでいたのではないか。」ということだからだ。「長い間をかけて考える時間があり、是認してきた。それなのに急に逃げるのは話が通らない。」とする。民主制のだから、成り立つ話なのであろうが。
パイドーン
ここは、ソークラテースが死を迎えるまでの弟子との対話である。具体的な話はなかなか憶えていないが、ソークラテースは徹底した「対話」をしている。哲学の思索は、かようにして得られるのであろうが・・・。