教師の実践とは何か (1968年)

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  •  すごい本である。著者の力強い教育論に、圧倒されっぱなしである。

     教師にとって実践とは何か、実践をどう扱うべきなのか、そして人の実践に触れたとき、教師はまたどうしなければならないのか、実に明解に、厳しく書かれている。

     実践とは何か。
    p.118 「実践するということは、自分の目の前にある具体的な事実なり問題なりを対象にして、具体的に考え、具体的に行動し、具体的に事実を動かし問題を解決していくことである。事実の中から解決しなければならない課題を絶えず自分のなかにつくり出し、どんなにその課題が困難なものであり複雑なものであっても、たじろがずに全うに課題にたちむかい、あらゆる工夫と努力をして、課題を解決したり新しい事実や課題をつくり出したりすることである。一つの方法で駄目なら他の方法でやって、必ず新しい事実をつくり出すことである。」

     つまり、教師の仕事そのままなのである。教師の仕事、それを真摯に取り組むとき、それが実践になるのである。

     実践をどう扱うべきなのか。
    p.83 「自分でつくり出した実践によって泥をかぶる」という表現が何度か使われている。教師は、自分でつくり出した実践によって泥をかぶることをしなければならないと筆者は言っている。それが意味するところが具体的に書かれているところはないように思うが、恐らく、自分の実践を発表し、批判なり意見なりを真摯に受けろということなのだろう。この本の中でも、自分の実践を第三者に置き換えて発表している教師や、著者の学校の音楽会を参観して発声法を指摘しておきながら、自分の実践を紹介しようとしない教師のエピソードが紹介されている。これでは、教師としての姿勢が問われても仕方ないだろう。

     人の実践に触れたとき、教師はまたどうしなければならないのか。
    p.124 「事実を大切にし事実にしたがい、事実から素直に学びとるという謙虚な人間に教師がなっていなければならない。事実だけが豊かなものを持ち、事実だけが豊かなものを教えてくれるということを知った人間になっていなければならない。」
     もっと言えば、目の前の事実(実践)とひきくらべて、自分の実践を考えるということをしなければならないということだ。評論家になってしまったら、もはや実践家、教師ではない。

     ここまで書いてきて、では、著者の実践はどうだったのかと言えば、残念ながら、この本の中にはほとんど具体的なことは書かれていない。p.186からp.192で紹介されている音楽会のプログラムは、質、量ともに普通の小学校の音楽会とは思えない高度なもので、強いて言えば、ここから想像するしかない。本の中で著者も言っているが、この1冊ですべてを判断するのではなく、他の本も読んだ上で、総合的に判断するしかない。

     この本が出されてから既に40年以上が過ぎ去っている。この間、教育がどれほど進歩したのかと改めて考えさせられた。

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