孤独と愛―我と汝の問題 (1958年)

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  • ひとは世界に対して二つのことなった態度をとる。それにもとづいて世界は2つとなる。
    ひとの態度は、そのひとが語る根源語の二つのことなった性質にもとづいて、二つとなる。…
    根源語のひとつは"われーなんじ"であり、他は"われーそれ"である。ー

    こんな書き出しで始まる本著。
    "人格的な関係"とは何だろう?という問いから読み始めました。
    半分くらいは難解でよくわかりませんでしたが、非常に多くの示唆を与えられました。

    気付かされたことの一部。
    "われーなんじ"の関係が、人格的な関係のことなのだ。
    そして、今まで私がこの世界を見る態度は、圧倒的に、デカルトが「われ思う、ゆえに我あり」と言ったような独立した"われ"の世界観であり、本著にある"われーそれ"の態度であったこと。だから、自分の生きる意味を見失ってしまっていたのだということ。
    "われーなんじ"の関係は神秘的なものや恍惚的なものではない。むしろ、本当に現実的に生きるということは、"われ"と"永遠のなんじ"の関係を生きること。

    神との関係をまず一番にしなさい、とよく語られますが、その理由が理解できた気がします。それが基本というか、現実をしっかり見て生きるための土台だから。そのうえで、あらたな"なんじ"との関係に向かうことができる。

    この理解で正しいのか定かではないですが、著者ブーバーと対話するかのような読書体験ができるほど深い内容であり、じっくり時間をかけて読む価値のある本であることは確かです。
    やっぱりこういう読み応えのある本も、いいですね。

  • 「我と汝」「我とそれ」の二重の世界。
    主体としての「我」があるのではなく、そのどちらの関係にあるかによって、「我」はそのつど決まる。「汝」と「それ」は常に転換し、永遠の「汝」とは神的なものだけである。
    シンプルで深遠なこの世界観に従えば、心を科学しようと試みる心理学などは「それ」の範疇の代表のようなもので「我=汝」に至れなければ本当の臨床とは云えないであろう。
    そういう戒めのキツーイ書。
    岩波文庫版より読みやすい。

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