ハムレット (1957年) (岩波文庫)

  • 15人登録
  • 4.00評価
    • (2)
    • (4)
    • (2)
    • (0)
    • (0)
  • 7レビュー
制作 : 市河 三喜  松浦 嘉一 
  • 岩波書店 (1957年発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)

ハムレット (1957年) (岩波文庫)の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • ほぼ半年前に買って読み始めたものの、半ば過ぎでいったん放置、それから残りを一息に読みました。

    各社からいろいろな種類の訳が出ていますが、私が読んだのは、古めかしくはあってもとても平易な言葉づかいで、偶然とはいえ運が良かったです。
    ではなぜ読み終えるのに半年もかかったのかと言えば、登場人物、特にハムレットの長台詞に辟易して、まじめに取り合うのに疲れてしまったからです(作者は怒るでしょうけど)。
    だから、後半は注釈もほとんど読まず、辞書も引かずにしまいました。でも、それで差し障りがあったかと言えば「ノー」です。
    これは演劇の台本ですが、もし舞台や映像作品として見た場合、ちょっとくらい知らないワードが出てきても、私ならスルーしてしまうと思います。はなからそういうつもりで読んでいれば、半年も待つことはなかった気がします。
    もちろん、読書と演劇鑑賞の楽しみは自ずから別々ですが、文学として研究するのでなければ、舞台を見ているつもりで読み流す方がいいと、私は感じました(落語の速記みたいなものかな)。

    市河・松浦両氏の共訳ですが、ちぐはぐな感じはしませんでした。50年以上前の日本語なので、緊迫したシーンでもなんだかホンワカした気分になりました。それがいやな人もいるでしょうが、私は作品(ソフト)と本(ハード)の両面で楽しんだと思っています。
    時折、関西弁のような言い回しも出てくるのですが、当時は標準語として認識されていたのか、訳者が気づかずに入れてしまったのか分かりません。

    筋書きはとてもシンプルで、途中で迷子になることはないでしょう。台詞を削れば、30分くらいの映像作品にまとめることもできそうなくらいです。そのくらい、美辞麗句のオンパレードで、簡潔を尊ぶ人には疎まれそうな作品です。かくいう私も、枝葉が多すぎて嫌になるくらいでした。
    しかし、そのために放置していた期間があったお陰で(?)、面白い体験をすることができました。ハムレットが狂人を装っているのか、それとも本当に狂ってしまったのか、頭が混乱しはじめたのです。
    無論、彼は心に抱いた復讐の炎を悟られないよう、狂気のベールで自らを覆い隠してしまったのである。しかるに、彼の芝居が完璧であるが故に、知らず知らず、真の狂人を見ているかの如くに錯覚したのだ!
    これは正しい読み方ではないのは分かっていますが、楽しみ方としては人に自慢したいくらいなので、ここに記しておきます。ごきげんよう。

  • *図書館の所蔵状況はこちらから確認できます*
    http://opac.lib.kitami-it.ac.jp/webopac/catdbl.do

  • 言わずと知れた復讐王子ハムレットの岩波版。
    わりかし軽妙な印象の訳、注釈が豊富で親切。
    復讐のために狂気を演じていることになっているハムレットだが、隠しきれない本物の狂気も端々に感じる。そもそも根本のハムレットの怒りや嘆きは人間として至極正当であり、それを狂気と言ってはあんまりではある。結果として感情的に正しい行いが惨事を招くのだが、ハムレットにとって自らの感情を殺すことも感情に殉じることも悲劇にしか繋がらないのが最大の悲劇であったと思う。

  • 父親の亡霊が地中から「誓言せよ」としつこく言うところは笑ってしまった。また、ハムレットが退場するかに見えて、三度も戻ってきてはオフェリアに台詞を言う場面や、ハムレットとポローニアスが会話しながらお互いにそっぽを向いて、聞こえないようにからかっているところもおもしろい。
    伏線が気持ち良く回収され、ハムレットの人物像も作りこまれている。道化の墓掘りとハムレットの問答もよかった。

  • ハムレットは、情熱的でこころのままに生きたいだけなのに、周囲が変に勘ぐって彼を孤立させている。味方がいなくてかわいそう。ホレーシオだけだ。

    ポローニアスが死んだシーンでは、愚かな老人が一人減って少しすっきりした。

    気高い魂が俗物の間でじわじわ絞め殺される話。

    オフェーリアは凶器を得てからの方が真実を見る目がとぎすまされているようだ。

    悲しみのあまり正気を失っているオフェーリアこそ完全に見える。以前は従順で退屈なだけのお人形みたいなお姫様だった。その悲しみと狂気を乗り越えたなら、ハムレットのいる高みにまで、ハムレットの気高さと同じ心になれたかも知れないのに。

  • シェイクスピアの四大悲劇の一つに数えられる『ハムレット』を読んだ。非常に話の流れが複雑で、いくつもの筋が絡み合い、溶け合い、また離れてを繰り返している。だが、混乱するということはないし、読み終わると、全てのエピソードがラストに向かって流れ込んでいることが分かる。記憶に是非留めておきたい言葉も溢れている。今回は市川・松浦訳で読んだが、新しい訳なり原文なりで再読、三読したい。

    物語は、ホレーシオと二人の将校が城門において先ごろ亡くなったデンマーク王の亡霊を目撃するところから始まる。第二場ではエルノシア城内に場面が移り、先王の兄であり現国王であるクローディアスなど城の者たちが大勢集まっている。先王の息子であるハムレットは、父の死後まもなく叔父が王の座に着いたこと、父の母であったガートルードがあっという間にクローディアスと再婚したことなどに対して、激しい反感を抱いている。物語の主人公であるハムレットは、彼ら彼女らに卑屈な態度に出て、一人になると毒のある独白を長々とやってのけており、出だしとして異様な印象を受ける。その後、友人のホレーシオから父の亡霊が城内に出現するという話を聞きつけて、ハムレットはその夜に彼とともに待ち伏せをする。

    父の亡霊から、自分はクローディアスたちに毒殺されたのだという話を聞いたハムレットは、その後狂人のような振る舞いを繰り返して王たちに迫っていく。王たちもまたハムレットの、わきまえを失い、「がらりとひとが変わってしまった」(p.53)原因を探ろうとしてさまざまに思いをめぐらし、策を立てる。両者ともにお互いの腹を探り合い、行いを徐々にエスカレートさせていき、最終的には、互いが互いを死でもって決着を付けようという場所にまで到達してしまう。

    この話の流れで非常に面白いのは、両者の思惑が全くばらばらで、何のつながりも無く、本当に彼らの推理が正しいものなのかは、物語でもほとんど明らかにされていないということだ。王たちはハムレットの変わり様をオフェリアのせいにするが、それはそもそも全くの間違いである。ハムレットもまた、亡霊から彼がクローディアスたちに暗殺されたということをきかされているが、クローディアスたちはその件についてハムレットが不在の時にも全く触れることが無い。いわば、相互の誤解(無理解)に基づいた心理合戦が続くという構図をとっている。物語に参加した読み手(観客)もまた、真相を知ることができない。ハムレットが狂人なのか、狂人をまねた役者なのか、また亡霊の言うとおりクローディアスたちは先王を葬って今の地位を得ているのか、そうではないのか、我々には分からないような仕掛けになっている。『ハムレット』は、後半からものすごい数の人間が死んでいくが、この悲劇は、誰一人として事の成り行きを理解できないままに展開する。唯一つ分かることは、父の王の姿をとった亡霊が、ハムレットの心に復讐の種を植え付けることで、事件のきっかけが作られたということくらいだろう。

  •  デンマークの王様だった父親を毒殺したクローディアス(父親の弟)をハムレット(父親の息子)が復讐する悲劇。父親の亡霊に煽り立てられ復讐心に燃えるハムレットと、ハムレットを厄介者扱いするクローディアスの話がメイン。
     大学の時に授業でシェークスピアをやったが、実は自主的にシェークスピアを通読したのは今更ながら初めて。今度劇団四季の『ハムレット』を観に行くので、その前に読んだ。ハムレットやオフィーリアが気が狂う、というのがどうもよく分からなくて馴染めなかったが、解説を読むと、「気が狂う」のは当時の流行だったらしい。シェークスピアの四大悲劇の一つで、最後は確かに悲劇だけど、なんかドタバタ劇みたいでおかしくて笑ってしまった。(10/06/16)

全7件中 1 - 7件を表示

シェイクスピアの作品

ハムレット (1957年) (岩波文庫)はこんな本です

ツイートする