詩の原理 (1954年) (新潮文庫)

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著者 : 萩原朔太郎
  • 新潮社 (1954年発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (247ページ)

詩の原理 (1954年) (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 夏目漱石『文学論』ほども読まれてないだろうし、手に入れにくい(紙媒体)けど、読んでみると、萩原朔太郎は結構思慮深い人物だと感じます。

  • 藝術に於いて、感情はその動機、藝術を生もうとする熱意にすぎない。表現するものは、感情ではなく、この感情を鏡に照らし、文学や音楽に映すところの、知性に於ける認識上の才能である。

    音楽の表現は、音の高低強弱に於ける旋律とリズムを通じて、心の悲しみや喜びを、それの気分さながらに描出するのであるから、音楽家が音によって心内の情緒を描くのは、画家が色や線やによって、外界の物象をさながらに描くと同じく、ひとしく対象の観照である。

    詩人にしてよく感情の機密を捉え、それの呼吸や律動やを真さながらに表現するのでなかったら、どうして詩が人を感動さすことがあり得ようか。そして「表現する」ことは、それ自ら「観照する」ことに外ならない。故にもし感情のみが高潮して、これを観照する智慧がなかったならば、吾人は野蛮人や野獣のように、ただ狂号して吠え、無意味な絶叫をするのみだろう。

    表現があり、藝術があるところには、必ず客観の観照がある。実にイタリー美学者クローチェが言う如く、認識(観照)に亡きものは表現になく、表現に無きものは認識にないのである。故に「観照」と「表現」とは同意義であり、したがってまたそれ藝術と=である。

    故に一切の藝術は、音楽であると美術であると、詩であると小説であるとを問わず、すべて皆観照によってのみ成立する。然るに観照されてるものは、その限りに於いて客観的であるがゆえに、言語の純粋の意味における主観、は芸術上に於いて存在しない。

    認識するということは、この混沌無秩序な宇宙について、主観の趣味や気質から選択しつつ、意味を創造するということに他ならない。

    意味の深さは感情の深さに比例し、より情線に振動をあたえるものほど、より意味深いものである。然るにまた一方から、客観の立場に於いて考えるとき、意味の深さは認識の深さに比例する。より深く真実にふれ、事物や現象の背後に於いて、普遍的に法則するもの、或いは科学的真理の上に於いて、さらに法則する根本原理に触れた時、吾人はそれを意味深長という。

    詩人の資格たるべき方程式は、
    主観者+客観者=詩人 となる。
    熱烈なる生活者であり、人生の夢を追って一貫した詩人でありながら、一方には常に純粋な芸術家で、表現に苦心し、観照に徹しようとした。

  • 吉本隆明:詩の原理より
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