若きウェルテルの悩み (1951年) (新潮文庫)

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著者 : ゲーテ
制作 : 高橋 義孝 
  • 新潮社 (1951年発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)

若きウェルテルの悩み (1951年) (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 話の結末とあらすじを知っていたが、最後まで退屈することがなかった。訳が好みなのも大きいかもしれない。
    物語の前半はウェルテルが友人に宛てた書簡の体裁をとっている。
    一人称の文章の場合、私はよくも悪くも語り手に対して感情を乱されることが多いのだが、この作品についてはそんなことはなかった。
    多分それは読者がウェルテル自身の視点そのままではなく、彼から手紙を受け取った友人の視点で物語を追う構成になっているからだろう。
    彼の想いは当の本人にしてみれば生死に関わるほどの問題だが、第三者からするとよくある恋の一類型に過ぎない。
    実際、友人も彼に再三忠告を加え、身を滅ぼしかねない想いから遠ざけようとしている。
    だけど頭で分かっていてもそう冷静に判断できないのが恋愛だ。恋愛中の人間はいつだって「これが最後の恋」だと思っているものだから。

    ウェルテルの目を通してみたロッテだけを見ると、何を考えているかよく分からなかった。
    確かにウェルテルのことを好ましく思ってはいるんだろうが、何故夫ある身となってまで彼を傍に置いたのだろう。彼の恋は、夫の目にすら明白に分かるほどだったのに。
    だが、「ウェルテルの書簡をまとめた編者の補足」の体裁で書かれた後半を読んで、ようやく納得がいった。
    以前、ネットである方が「泣くところが同じ人より、笑うところが同じ人の方が気が合う可能性は高い」と言っていて、なるほどと思ったことがある。
    悲しいと思うポイントは一般的に誰でも似ているけど、楽しいと思うポイントは人それぞれだ。
    だからこそ、同じことを興がる相手というのは自分と趣味が似ていることが多い。
    ロッテはそういう自分の本質的な感覚を分かち合える存在であるため、ウェルテルを手放せなかったのだろう。彼女自身が無意識だったにせよ、それは編者が指摘している通り利己的な望みではある。
    だが彼女だけが悪いわけではない。いや、彼女だけじゃなくて、誰も悪くないのだ。

    最期にロッテに宛てて記した文章の中で、歓喜に溢れる部分が却って切ない。

  • ああウェルテル!なんて困った奴!
    己を醜いと思ってて、恥ずかしいのに、そういうところが美しいかもしれないという思いが捨てきれず他人にチラチラ見せてみる。だけど他人がどう評価しても結局それを信じられはしない。なぜなら自分以外の人間はみんなバカだと思ってる。美しいよといわれても「本当か?」と思うし、醜いよといわれても「本当か?」と思うに違いない。ウェルテルはそういう奴。自然は美しくって、そう思う自分は特別で、それがまわりの人には分からないと信じてて、だから神は自分のことを見てると思って、うまくいかないことばかりなのは神の与えた試練だと思ってて、まわりの人はバカばっかなのにあの人は美しくって、それなのに、あの人が僕のことだけを見てくれないのは、ああ、神よなぜですかって、痛いよウェルテル!
    「永久に貧乏で、茅屋に住み、草木皮を齧っても、この作品が分からぬというのよりはましだ」と言った一ドイツ人も痛いよ!ああ、僕も痛いさ!よく分かるんだから。

  • 最後、シャルロッテの心理描写の卓越さに、言葉が出ない。

  • 恋愛って
    莫大なエネルギー

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