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- / ISBN・EAN: 4988003980924
感想・レビュー・書評
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主演のジェームズ・テイラー、デニス・ウィルソンがミュージシャンだったということは知らずに鑑賞したわけだが、それゆえに極端に寡黙な脚本や配役も納得がいった次第。その二人の演技に対比される形でGTOを演ずるウォーレン・オーツの滑稽さが光るわけで。少女役のLaurie Birdという女優が若くして夭折したというのも鑑賞後に知るぐさりと刺さった事実。ウディ・アレンの「アニー・ホール」(1977) が遺作とのことなので機会があれば観かえしてみたい。
後日Japan Societyの映画祭を通して塩田明彦監督による「さよならくちびる」(2019) という作品を鑑賞し、その作品に対する監督本人による紹介ビデオの中で「ヘルマン監督によるTwo-Lane Blacktopという作品をイメージして撮りました」という言葉を聞けたときには「おー、予習しておいてよかった!」となった。(つまりはこれこそが本作の原題)スケールや背景は全く違うもののその意味するところはすんなり伝わりました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
モンテ・ヘルマンの傑作。
1971年、アメリカ、ロックンロール、ロードムービー、バディムービー、車、、、果てなき旅路。あてもなく、走り続ける。
鑑賞後、しばらくエンジン音が耳の中から消えなかった。無気力さの中に、男らしさだったり、生命を感じる。 -
行き場のない70年代アメリカの閉塞的な空気を描いた作品。
男を乗り換えつつ、どこでもない場所を流離う「ザ・ガール」が印象的でした。
今もこんな女性いっぱいいるよね。 -
'71年のアメリカン・ニューシネマ。登場人物少ない、台詞少ない、物語の起伏もない。代わりに当時の気分や雰囲気がそのまんま伝わってくる秀作。僕には何も共感できるものはないけど、あの焦燥感ややるせなさ、「断絶」感を味わっていた人にはたまらないんだろうな。僕にとってはジャームッシュがたまらないように。☆3
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(1971年作品)
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「男と女と車があれば映画はできる」(だっけ?)と言ったゴダールを彷彿とさせる淡々とした映画。盛り上がりがない分、いろんな深読みはできるのだろうが、車が好きな人はそんなこと関係ない。男と女と車があれば、映画なのだ。
【ストーリー】
アメリカン・ニューシネマの決定打を一本挙げよ--と言われれば、あまり考えず、この名を出すだろう。それは“躊躇なく”というのとはちょっと違う。この気怠くやせ細った作品では、“商業的ニューシネマもどき”が専売特許とする風景の思い入れたっぷりの叙情描写すら、ごくさりげなくあるだけで、ただもう昼夜の別なく車が走っている。
しかも、職業役者の演技の域には遠く及ばない2人のミュージシャン、“ビーチ・ボーイズ”のD・ウィルソンとシンガー・ソング・ライターの代表格J・テイラーの主演で、そのやりとりは非常に即物的だ。
しかし、流しのドラッグ・レーサーの彼らが疾走するアメリカのくすんだ栄光、くたびれた優しさ、そして、ハッタリとホラばかり言っている、南部からワシントンへの長距離レースの相手、オーツの抱える敗北主義が一つになって、この映画は現在も呼吸し続ける。あの当時の映画の数少ない生き残りとなっている。
登場人物たちに名前はなく、オーツは乗っている車から(ポンティアック)GTOと呼ばれるのもいかにもだ。2人が途中で拾う、奔放でコケティッシュなヒッチハイク娘L・バードが映画に無邪気さを盛るが、にしたって、テイラー(ドライバー)の眼光の鋭さとやるせない態度は変わらない。
皮肉なことに、ナイス・ガイのデニスは、83年に麻薬でラリって海で溺死してしまい、神経症で事故の癒しのため唄を歌っていたテイラーは、今ではすっかり禿げ上がってコンサバおじさん風である。
興行は惨敗で、監督のヘルマン、脚本のワーリツァーともに“呪われた作家”の烙印を押されてしまうのであるが、それも有名税と言える時代になった。 -
アンプ音量を最大でみよう!
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ジェームス・テーラー演ずるザ・ドライバーとデニス・ウィルソン演じるザ・メカニックが55シェビーを駆り、ストリートでレースを続けて行く。そして、ウォーレン・オーツ演ずるGTOと新たなレースを始めるが…。当時人気絶頂のミュージシャン二人を主演に起用しながら、ミュージシャンという先入観で見られるのを嫌った監督の意向で彼らの曲は使用されていない(ウィキペディア/デニス・ウィルソンの項目より)。
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好きですロードムービー。
カーレースしながら延々と道をゆく青年と
家出娘の交流…といえばいいのかな?
ジェイムス・テイラーがかっこいい。
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これも観なきゃいけないのに。