サンセット大通り [DVD] FRT-018

監督 : ビリー・ワイルダー 
出演 : グロリア・スワンソン 
  • ファーストトレーディング
3.74
  • (12)
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本棚登録 : 93
感想 : 25
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4560285900182

感想・レビュー・書評

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  • 情婦と混同しているシーンが多数ありw

    ラストはマックスが殺人犯の肩代わりをするという脚本でも良かったような気がする。

  • 本人が幸せなら過去にしがみつくことも現実を忘れることもアリなのでは

  • 死者が語り手となって、その死の顛末を語り出すという話型が大胆(死者の一人称って「アメリカン・ビューティ」くらいしか思い浮かばない)。ただメタミステリではないので、このギミックがどこまで効果的だったかは疑問。

    過去の栄光が忘れられない元スター女優だから「サンセット」か。あの女優は醜さ、気味悪さはやけに印象に残ります。

  • オープニングが有名な作品ですが、狂気のラストシーンも見事!


    監督:ビリー・ワイルダー
    出演:ウィリアム・ホールデン、グロリア・スワンソン


    プールに浮かんだ死体が語り始めるオープニングは有名。
    実はこのオープニング、試写会の後に撮り直したもの。
    元々は死体置き場で他の死体に語りかけるという設定だったそうです。
    しかしそれが試写会で失笑を買ってしまい、撮り直したのだそうです。
    こうして名シーンが生まれたのですが、正に名作と失敗作とは紙一重、というような話です。

    さて、最大の見せ場はラストシーンでしょう。
    グロリア・スワンソンが素晴らしい演技を見せます☆


    1950年の作品。
    ひょっとしたら、このオープニングとラストシーンは、後世の諸作品に多かれ少なかれ影響を与えているかもしれない。
    実際、これにインスピレーションを受けたのではないか、と思えてしまうものが散見されます。
    もちろん勝手な想像ですが、そう思えてしまうほどに、このオープニングとラストシーンは印象的なのですw

  • 起用不可能と思えた往年のスター、グロリア・スワンソンに加えて、下降気味だったウィリアム・ホールデン、異彩を放つシュトロハイム、それぞれがまるで過去を投影した現在の自分自身を演じている。映画全体を司る鬼気迫る役者の演技が、素晴らしいの一言に尽きる。

    この作品は是非、映画のバックボーンを知るべき作品。サイレント映画で活躍したスターたちを<ロウ人形><化石>と称した瞬間、観ているこっちがドキっとさせられた。少なくともグロリア・スワンソンとシュトロハイムとデミルの過去の関係性を理解すると、かなり面白い。

    この年のアカデミー賞から見てもわかる通り、この秀作が3部門に留まったのは、やはり当時のお堅いアカデミー会員には相当気にくわない作品だったらしい。ハリウッド映画を内部からここまで皮肉ったから。しかし、映画愛に溢れた作品でもあると思うわけでして、ラストのスワンソンがじりじりとカメラに寄るシーンや、ウィリアム・ホールデンがプールに落とした命や、よく考えたら捨てきれない映画に対する執着心の顕われだと思う。「映画こそ私の人生」と語るノーマには心底泣ける。ハリウッドで生きる者への辛辣なメッセージとともに、それでも(大げさかもしれないけど)ハリウッドを捨てきれないワイルダーたちの映画愛を感じた。迫り寄るスワンソンとともにカメラがピンボケするラストシーンはなんとも最高でした。

  • 過去の名声にすがる大女優ものって新鮮味も興味もない。ステレオタイプだなと思うが、その出発がこの映画だったりすると当時は新鮮だったのかもしれない。最後の場面は鬼気迫る名場面だ。

    主人公が最後死ぬことが最初に語られるが、どんな紆余曲折があるのかと思ったら想定以上のことはない。普通だと大女優が殺すと見せて実は他の人とひねりたいところだ。これもこの時代では新鮮なテーマだったのでひねる必要がなかったのかもしれない。

  • 狂気のノーマに飲み込まれた。人間としてとても面白かった。一歩ひいたところから冷めた目で語るジョーがいい仕事していて正解。ノーマ自身が語るよりも、第三者が見ているからこその真実が浮かび上がる。最後まで本当に目が離せなくて面白かった。

    (20131123)

  • 「マルホランド・ドライブ」を観てこの作品に興味を持ち、
    「アーティスト」を観て「あれ?これって??」と勘のみでひっかかったので鑑賞。

    いやー、やっぱり名作って言われてるものはそれだけの理由があるんだなあ・・・と感じました。
    だって、60数年前の作品なのにめちゃくちゃ面白いもの。

    (黒澤作品等は別にして)白黒映画はなんとなくハードル高く感じてたけど、面白いものはちゃんと面白いなあと毎回思わされます。

  • ある豪邸で一人の男が殺された。
    この殺人事件を回想するかたちで物語はすすむ。

    貧乏脚本家のジョーは、偶然、サイレント映画の大女優ノーマの豪邸に滞在することになる・・。
    過去の栄光から抜け出すことができないノーマ。不気味な執事。


    名作といわれているけど、ほかのビリーワイルダーの話に比べるといまいちかも。ただ、女優ノーマの描き方は見事。

  • すさまじい女優の情念。一度脚光を浴びるとこうなのかな。

  • ビリー・ワイルダー監督、1950年の作品。
    ギリスが最初から最後まで語るという造りが面白い。
    死体が鯨のようにあげられた、などの台詞がブラックユーモアというか、なんというか。ビリー・ワイルダーらしい。

  • 2010年に観た。メモから書き起こし。

    ビリー・ワイルダー監督作品。
    全体的にちょっと怖い雰囲気。そこがいい。

     「世間から忘れられたという事実を受け入れられず、およそ実現不可能だと思われるカムバックを夢見るスター気取りの中年女優」(wikipediaより引用)であるノーマ・デズモンド役のグロリア・スワンソンは、実際にサイレント映画時代に活躍した女優である。トーキー時代の作中時間の現在、彼女は実際に過去、自分が出演した作品を繰り返し鑑賞することで、現実から目をそらし屋敷の中でひたすらに《ノーマ・デズモンド》に固執する。
     執事のマックスが、彼女と同じく一線から身を引いた監督役であること、それを演じるのがエーリヒ・フォン・シュトロンハイムであることも面白い。最後のシーンの彼の存在感が忘れられない。

    「倒叙法」を用いたストーリー。
    「事実」と交差する脚本、キャスティング。
    鑑賞後の印象が未だに強いので★5。

  • ノーマに夢を、マックスに憐れみを。
    ラストシーンは皮肉ながら、グッとくるね。

  • グロリア・スワンソンのラストの表情に鳥肌が立った。

  • 舞台は、無声映画から音声映画に変わって20年が経ったハリウッド。
    無声映画時代の大女優ノーマは、音声映画へ適応できず、映画界から捨てられた存在。しかし、彼女の心は当時の栄光にとりつかれている。

    この映画は、ビックリするほど当時のハリウッドの内幕を映し出しています。
    この時代、無声映画が終わり、身体で全てを表現する時代は終わった。音声映画では身体よりもセリフが重視されるため、適応できずに消えていった役者が多数いました。チャップリンもその一人と言えるでしょう。

    この映画ではストーリーのみならず、本物の役者までもが音声映画によって消えていった人達を使っています。大スターであったバスター・キートンも、映画の中では現実を同じく、無声映画の大スターとして出演しています。執事のマックスを演じた役者も、ストーリーと同じく無声映画時代の大監督で、音声映画によって消えていった本物の人物です。

    このように、本当に消えていった役者を使い、ハリウッドの冷たい内幕を描いた作品です。
    この映画は本当に最高傑作です。ハリウッドの歴史上、傑作映画として上位10位以内に毎回必ず入る作品です。

  • ビリーワイルダー監督作品。
    いつものことながらワイルダーの脚本はセリフ回しが見事。多弁的なモノローグはスピード感があって、ユーモアがあって、ウィットに富んでいて、現代でもまったく劣化しない普遍的な楽しさがある。

    過去の栄光にしがみつき現実を直視しない老女優を、実際のサイレント映画時代の大女優グロリア・スワンソンが演じているところも面白かった。

  • ノーマ大迫力。熱演。こわかった。

    映画のイントロがちょっとおしゃれ。

  • ごめんなさい、途中で思いっきり寝ました…
    ノーマ(グロリア・スワンソン)の邸宅の内装が結構すき。

    (1950年、ビリー・ワイルダー監督)

  • 「愛しているのよ。嫌わないで。」
    世間に忘れ去られた往年の大女優と名もない若手脚本家。すれ違う彼女と彼のプライド、孤独、仕事への情熱、愛憎。
    老若男女問わずに楽しめるザッツエンターテイメント!
    アカデミー脚本賞をとっただけあって、物語の展開、登場人物の性格付け、言葉の使い方が秀逸。もちろん、俳優の技量、セット、映像細部にも行き届いて・・・映画への愛が感じられる名作。

  • 主観と客観のズレの極大化は、
    現実を直視する性質を壊し、
    夢遊病へと誘う。
    若年期に大衆からもてはやされたプライドは、
    年をとり廃れた後も消えず、
    世界は自分中心に回っていると思い込み。
    そんな人の周りには「やさしい」人なんているはずもなく。
    対比として、人間のあるべき姿ってなんだろうって考えさせられた。
    また、この作品の中で正しい愛だったのは、
    ジョーとベティだけ。
    貧乏なジョーは、ベティを幸せに出来ないから、
    うそを言って、二度と会わないことを決めた。
    好きな人のために、好きな人をあきらめたという意味で、
    カサブランカと通じるものがある。
    他方、マックスとデズモンドの間にあるもの、デズモンドがジョーに抱いたものは、
    愛でもなんでもなく、
    ただ一緒にいたいとか、、自己アイデンティティの保持とか。
    きわめて自己中心的。

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