カポーティ コレクターズ・エディション [DVD]

監督 : ベネット・ミラー 
出演 : フィリップ・シーモア・ホフマン  キャサリン・キーナー  クリフトン・コリンズJr  クリス・クーパー 
  • ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
3.66
  • (54)
  • (84)
  • (99)
  • (15)
  • (4)
本棚登録 : 469
感想 : 96
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4547462038661

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 異質ゆえの同調、苦しみ、悲哀、そして疲弊が、淡々としながらも丁寧な構成と、主演のフィリップ・シーモア・ホフマンのなりきり型の演技で表現された秀作。

    「ティファニーで朝食を」などで知られる小説家トルーマン・カポーティが、現実に起きた一家四人惨殺事件を取材し、ノンフィクション・ノベルの始まりのいわれる「冷血」を六年をかけて書き上げる過程を描いた作品。

    事件の犯人の一人であるスミスと面会を重ねるうちに、彼のたどった不幸な子供時代や鬱屈に、自らの体験を重ね、友人としてきずなを深めるカポーティ。

    カポーティ自身は、幼い頃に親に捨てられたこと、同性愛者であることなど、さまざまな事情があり、売れっ子作家として世間の輪の中心にいるようで、その実、どこか異質で常に孤独な存在だった。

    しかし、作家としての彼は、事件の真相を話さないスミスに苛立つ。
    そして、スミスたちの死刑執行と、その描写によって、彼の目指すノンフィクション・ノベルが完成することがわかっているため、「友人」スミスの白状と、死を願わずにはいられない。

    カポーティは、凄惨な事件と極悪な犯人を端的に現わすためか、それとも、友人の死を願う自身のことを暗に示してか、執筆中の小説に『冷血』というタイトルをつける。

    作家としてのエゴと友情の間で揺れながらスミスと接し続けたカポーティは、精神のバランスを崩して…。

    フィリップ・シーモア・ホフマンが、甲高い声と独特な雰囲気で、初めは下世話な好奇心だったのに、孤独と二律背反から徐々に精神を蝕まれていくカポーティを演じきっています。

    訪れるべき結末が訪れた時の虚しさと苦さが、とても胸に残る作品です。

  • フィリップ・シーモア・ホフマンが気になって観ました。
    被告人達の刑の執行を一刻も早くと望む気持ちも被告人に対して友情を抱いてしまった気持ちも、観ている側からすれば矛盾しているように思えるけれど、
    どちらも切り捨てられずに苦しんだ、本人の本当の気持ちなのだなあと考えさせられました。
    カポーティの小説を読んでみたいと思いました。

  • 低くて渋い声の彼から、こんな声が出てくるなんて驚いた。あんな体型で、なよなよした腰つきや、太い小指を立てたりしてて、ゲイの役作りは楽しそうだな。

  • 小説家トルーマン・カポーティのファンなので観てみました。

    フィリップ・シーモア・ホフマンの演技が素晴らしい。友人ハーパー・リー役のキャサリン・キーナーと、刑事役のクリス・クーパーもいぶし銀の渋さ。

    暗い色調で抑えたカンザスの風景が美しい。枝の細い樹は楡の木?黒い影絵のよう。

    カポーティの内面と、「冷血」という小説のメイキングという二本立てでストーリーは進んでいくけれど、両方とも十分には語れていなかったような。カポーティの嫌らしい面はけっこう表現できていたけど。

    「冷血」は気が進まなくて読んでなかったけど、読んでみようかなー。

  • トルーマン・カポーティの小説(というか、ノンフィクション・ノベル?)「冷血」は、かーなり昔に読了しまして、凄く面白い!と思った小説でした。で、最近、髙村薫の「冷血」も読んで、コレがまたメチャクチャ面白かったんですよ。やっぱ「冷血」は凄いな。と。

    で、そういえばこの作品で、フィリップ・シーモア・ホフマン、アカデミー主演男優賞を獲ってたよな。彼は大好きなんで、こらもう絶対観るしかないっしょ!まさに今が旬(俺の中では)!と思ってレンタル鑑賞した次第。

    うーむ。ゴメン。フィリップ・シーモア・ホフマン、ごめん。そんなにオモロイとは、、、思わなんだ、、、ゴメン。というのが、正直な感想です。あなたの存在感は、間違いなく大好きなのですが、、、うーむ。この映画は、俺には、あんまり合わなかった、、、ごめんなさいね。

    1959年に実際に起こった殺人事件を題材にしているのですが、当時の出来事をまあ、映画で再現している、という訳なのですが、個人的に凄く驚いたのは。

    殺人事件の犯人がまだ捕まっていないのに、カポーティが、現地の担当主任くらいの警察の人にガンガン個人的に取材に行って、色々と情報聞き出す。警察の人の奥さんがカポーティのファンだってことも利用して、ガンガンに警察の人の自宅にも行ってご飯食べたりお酒飲んだりしながら取材情報聞き出す。
    え?それって、、、現実問題として可能なの?まだ事件の犯人捕まっていない状況だぞ?警察の人、こんな時にカポーティ―と個人的に会って色々ペラペラしゃべったりしていいの?大丈夫なの!?という驚き。

    犯人が捕まった!となったら、これまた刑務所に行って、ガンガンに個人的に犯人に会ってインタビューしまくる。あれだ、カポーティ、刑務所の所長みたいな人に、キッチリ賄賂を渡して「コレで俺と犯人会わせてくれよ。便宜はかってくれよ」みたいな描写があった?気がするのですが、
    コレもまた、良いの?それって。犯人捕まったけど、まだ一応、アレだ。容疑者段階?ですよね?で、そんな時に、カポーティが如何に当時すでに超有名な作家だったとしても、なんというか司法の壁を超えて?ほぼカポーティ自身の興味本位で、犯人の肉声を聞くために直接会う、とか、、、アレだ。許されるのか?どうなのそれ?

    とかは、凄くこう、興味深い。「冷血」という作品は、ホンマにこんな風に制作されたのか?それともコレは映画の脚色?2021年現在だったら、こういうカポーティの行為は、絶対に許可が下りませんよね?普通。司法的にも、社会通念的にも。いや、できるのか?2021年現在でも。どうなんだ?うーむ。気になる。マジこう、気になる。

    映画としてみると、なんでカポーティは、殺人犯であるペリー・スミスに、あっこまで感情移入したのか?というのは、うーむ。あの上映時間では描き切れていないんじゃね?というのを、生意気にも思ってしまってスマン。小説「冷血」自身は、相当に長い年月をかけて書かれた作品の筈なので、その間のカポーティとペリー・スミスの心の交流を、映画の尺の中に入れ込むのは無理っしょ、って思ったのが正直な感想ですかねえ。

    でも、そんなこというたら、一般的な映画の尺では何も表現できないじゃん、ということになりますので、ま、この映画が自分とはただ単に合わなかった、ということなのでしょう。残念だ、ということ、か。ということかなあ、と思いますね。

  • 暗くて好き。

  • 作家カポーティが殺人事件の犯人を取材する実話。これ移行カポーティは作品を書けなくなったという。
    死刑が決まっている犯人と友情を結ぶことにどんどんと疲れていくカポーティの演技がすごい。キャッチコピーの「何よりも君の死を恐れ、誰よりも君の死を望む」の通りの作品

  • 圧巻!
    「冷血」を再読したくなった。カポーティは「冷血」を書くために生をうけたかのようだ。

  • 主人公の揺れに揺れる感情を理解できるかが評価の分かれ目か。
    観てる最中よりも、観終わってからじわじわ考えさせられるものが。

    主演のフィリップ・シーモア・ホフマンさん、
    この前観た「パッチ・アダムス」の役とは随分また様変わり。
    声も仕草も中性的?でびっくり。

    ちなみに最後の涙は台本にはない、予定外のものだったそう。
    カポーティさんへの役作り、相当徹底してるんだろうなあ。

    後日談
    あとからカポーティ本人の写真を観たところ
    たしかにそっくりだ!!!

全96件中 1 - 10件を表示
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×