ゲド戦記 [DVD]

監督 : 宮崎吾朗 
  • ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメント (2012年5月26日発売)
2.57
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感想 : 306
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4959241981042

感想・レビュー・書評

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  • 小説を映画化する場合、必ずしも小説に忠実である必要はない。
    しかし、絶対に変えてはいけない部分というのは必ずある。
    信念のようなもの。これを訴えたくて筆者が筆を取ったテーマのようなもの。

    ゲド戦記の原作は5巻からなる。
    1巻は既にテレビドラマに使われていて使えない。
    ジブリは3巻をメインに話を作るという。
    それが公になったとき、ネットなどでは
    『美少女を出して空を飛ばなきゃ気が済まないジブリなんだから
    きっとテルーも竜も出すに違いない』
    と話題になっていた。
    残念ながらその予想が事実になり
    寧ろ予想以上の駄作となってしまった。

    原作者が激怒するのも無理はない。
    これではまったくゲド戦記ではない
    世界中の原作ファンに対して失礼極まりない出来。
    アニメとしても色がどぎつく作画が汚く
    ストーリーも意味不明でしりすぼみの自己完結で、成り立っていない。

    確かにゲドの魅力は過ちを犯してしまう1巻、
    それを乗り越えて人を助ける2巻、
    と経て、やっと死力を尽くして世界を救う3巻に至るので
    3巻だけとりあげて作るのは難しいことはわかる。
    だが、やりかたはいくらでもあったはずだ。
    小説を本当に読んだのか、面白いと思ったのか疑ってしまうほどの
    吾朗氏の作り方なのである。
    映画を見た人全員にゲド戦記の1~3巻を無償提供すべきと
    半ば本気で思う。でなければ、アーシュラの傷つけられた魂はどうなるのか。

    ほとんどはシュナの旅をモチーフに作っている、とまで言ってしまうくらいなら
    最初からゲド戦記ではなく、原案シュナの旅のオリジナル作品として
    作って発表すればよかったものを、なぜ世界的名作を捕まえて
    貶めるような真似をしたのだろう。
    amazonのレビューで犯罪、日本の恥とまで酷評されていた方がいたが
    私も全く同意見である。

    以下、詳細について論じる。

    そもそも3巻の『さいはての島へ』というのは
    エンラッドの王子アレンが世界の異変に気付き、大賢者にお伺いをたてに
    ロークの魔法学院に訪ねてくる物語である。
    1、2巻で活躍し、若気の至りで失敗もしたゲドが大賢人となり、学院長を務めている。
    学院のある島は非常に幻想的なところで、それにみとれている内
    ハイタカと出会い、国許だけでなく世界全体の均衡が崩れつつあることを知り
    その原因究明の為にハイタカとふたり、アレンは船旅に出る。
    その旅路で、魔法はおいそれと使っていいものではないことを学び
    ハイタカを尊敬し、ついに辿り着いたさいはての島で生と死を隔てる石垣を見つけ
    実はこの石垣にクモが穴をあけていて…
    というのがあらすじ。

    けして、突然無意味に父親を殺したアレンが逃亡中に会ったおっさんと旅をして
    情婦の家に転がり込んで、農作業を手伝わされて
    小生意気な少女の歌をきいて何故か心が洗われて
    急に仲良くなって、悪役を倒して国に帰って処刑されることにする、と決める物語
    ではないわけなのだ。

    そもそも、キャラデザからして酷過ぎる。
    ジブリが描く王子なので、アレンはまぁ良しとするが
    ゲドの傷とテルーの火傷の痕は物語上非常に重要であり
    直視できないほどひどいものでなければならない。
    当然子供向けアニメでそこまで描けないのはわかるが
    あれではただシミやアザになっているだけで、傷跡にすら見えない。
    ただでさえ3巻のゲドはラストシーンまではサポート役という感じで
    1、2巻のように派手な活躍はしないのに
    あれではただの肌の汚いおじさんにしか見えず、魅力の欠片もない。
    アーシュラのこだわりのひとつが、ゲドたちは有色人種であるということで
    テレビドラマ版も約束を破り白人を起用したことで彼女の怒りを買ったが
    ジブリもまた同じ轍を踏んでいる。
    (この点に関して、黄色人種から見ればあのゲドの肌の色でも
    有色人種に見えると聞いた、とアーシュラは一応の納得をしてくれているのだが)

    3巻メインではおじさんと王子の延々船旅なだけなので
    吾朗氏はこのままやってもつまらないと思ったようだ。
    その考え方も既に原作を全く読み込んでいないし、リスペクトもしていない。
    つまらないなら映画にしなければよかったものを。
    つまらないので、船旅は全くなしにして、4巻以降で出てくるテルーとテナー
    しかも2巻のエピソードはとってつけた「墓所にいると昔を思い出す」程度の台詞だけで
    全く描かれていない為、あれだけの物語の主人公であったはずのアルハも
    ただのおばさんとして無意味にテルーの母ポジションでいきなり出されてしまい
    彼女の家にころがりこむという、よっぽど動的でなくつまらない展開に変えてしまった。
    どころか、石垣の穴による世界の異変を、鬱屈した若者のストレスとイコールにしてしまい
    「もうこれ以上我慢できない。なんでそうしたかわからないが父親殺しをする」
    という吾朗氏の考え方から、突然のっけから父親を刺す(吾朗氏の考える)現代の若者に、
    王子であるアレンは仕立て上げられてしまう。
    更に、農作業をしながら「ゲドのようなおじさんに諭されて回復はできない」
    だからテルーが必要だった、という、
    ならなぜに『ゲド戦記』なのだ
    とつっこみたくなるような考えから、テルーは登場しゲドはただのおっさんにされてしまう。
    本当はアレンは前向きでゲドを尊敬する少年なのに、吾朗氏の思う若者は
    「積極性が無く後ろ向き」だそうで、アニメにあたりアレンは性格も改竄されてしまった。
    しかも吾朗氏はラストについて
    「原作では世界のバランスが崩れているのは、
    クモという魔法使いがあの世とこの世の境にある扉を開けたせいではないかと。
    それを塞げば均衡は戻るという書き方。でも、それはないだろうと感じたんです。」
    と、原作に納得がいかなかった、だから変えたと発言している。
    ここまで原作に納得がいかなかったのなら、なぜ原案シュナの旅のオリジナルで
    作らなかったのだろうか?
    原作者と原作ファンを馬鹿にしているとしか思えない。

    そこまでして訴えたいことは、
    「最近の若者は無気力で消極的でやる気が無く、ふいに人を殺したりして
    結局その罪を反省することもあるかもしれないが、処刑されます」
    というのがこのジブリ版ゲド戦記なのである。

    大賢人ハイタカが旅に出て、魔力の全てを投げ打って世界を救うのに
    「それはないだろう」と言うのは、物語がちゃんと読めていないし
    ハイタカの偉大さや素晴らしさがわからず、尊敬の念もまったくないという証拠だ。
    だから物語が意味がわからないし、訓戒も安っぽく
    取り敢えず竜だったり、不思議で変わった女の子に安易に頼ってしまう。
    クモがただの悪役になりさがり、なぜあんなことをしたのかがまったく描かれない。
    奴隷狩りについても唐突で、なぜあんなことが行われているのか説明がない。

    原作の竜というのは偉大な存在である。
    人は言葉を喋り、嘘をつくが
    動物は言葉を喋らず優しく寄り添う。
    しかし竜は言葉を話し、かつ嘘をつかない。
    なのに安っぽくのっけから竜が出て、しかも共食い。
    魔法学院の描写や世界の異変は台詞で誤魔化して描かれず
    突然アレンが父親殺し。
    魔法を使わない大賢人が、逃亡中の犯罪者を魔法で助け
    開始10分間我慢して見ても微塵も原作と被る部分がない。
    大体、アレンが既に侵されていたら 全て話にならないのに
    なぜ原作通り、アレンが世の中をなんとかしようとして ゲドを訪ねないのか。
    余りに酷い展開なので、ハイタカがよもやまさか
    ゲドだと普通に名乗るんじゃないかと思ったほど劣悪だった。

    とってつけたような奴隷が連れられていくシーンも、あれでは
    ゲドよりナウシカ(漫画版)でケチャがユパに止められるシーンを思い出す。
    人殺しのアレンが人が商品だなんて、と言いだしても説得力が無い。
    アレンとハイタカの旅が描かれず何の思い入れもないのに
    奴隷、そしてハジア云々言われても意味がわからない。
    そして何故だかポートタウンにテルーがひとりでいる。
    捕まったアレンを、またしてもゲドが魔法大安売りで使用し助けに来る。
    そして向かうのが何故かテナーの家。
    いきなりテルーとテナーを出されても、このふたりが背負っているものについて
    全く描かれておらず、意味がわからない。
    奴隷狩りがクモの家来というわかりやすいチープな設定で
    何故かハイタカとアレンがクモに狙われることになる。

    「私をいじめに?この子を殺しに?」
    このテルーの台詞は笑うしかなかった。酷過ぎた。滑稽だ。
    原作のテルーが聞いたら激怒するだろう。
    テルーはこんな自己中心的で、命懸けで助けられても礼も言わず
    自意識過剰で被害妄想な幼稚な小娘ではけしてない。

    延々と続く旅。
    ゲドの原作もそうだが、所謂ファンタジーというもの、
    指輪物語や、ファンタジー系ゲームに至るまで
    武器も食料も水も馬もマントも無しで旅をする者などめったに出てこないのだが。
    そのあたりも全く描かれない。長い旅の苦労も全く伝わらない。ファンタジー冒険活劇において重要な点にもかかわらずだ。
    たとえばラピュタでは目玉焼きののったパンとナイフ、ナウシカでもチコの実や鎖帷子あったのにである。

    自由の重み。
    魔法が完全なものでないこと。
    結局は全て人に託されるということ。
    これを語った2巻の主人公とも言えるアルハはどこ行ったのか。
    ただのおばさんでゲドの女にしか描かれないことが不憫すぎる。

    魔法は簡単に使えるものでも、使って良いものでもない。
    これと同じくらい重要なのが、誠の名についての話なのだが
    これについても殆ど描かれていない。
    重みも全くない。
    すっかりただの、悪い人を正義の味方がやっつける話になっている。
    闇が単なる駄目な物にされて、それに冒されて父親殺しをしたことになって、
    ゲド戦記の重要なところがなにも語られていない。
    ただのプライド、恨み、醜い悪役にされたクモ。
    テナーとテルーはただ女性成分補充で、肝心のゲドが役立たず。
    世界を救うはずのゲドが。テナーとよろしくやっているだけ。
    竜が出てきて、なぜかあっさりクモが燃え尽きる。

    償いの為に国に帰る、と軽く、父親殺しの意味が無い。
    (意味はないし理由はわからないものを吾朗氏が描こうとしていたらしいので
    そういう意味ではとてもよく出来たアニメなのかもしれないが。)

    そしてこんな中途半端なところで終わってしまう。
    ほのかなテルーへの恋心。しかしアレンは国許に帰って自首し処刑される。
    このどこが『ゲド』の『戦記』なのか。
    ハイタカ=ゲドときちんと語られたようにも見えない。


    アーシュラが懸命に、風景と歌はイメージ通りだったとか
    優しいことを言ってくれているが
    結局彼女の言う通り、これはアーシュラのゲド戦記ではなく
    『吾朗氏の映画』に過ぎない。
    ゲド戦記の欠片もないのに名前を引用した、同人誌未満の作品を
    ジブリの看板をかかげて無理矢理嘘をついて契約した詐欺師が
    金をかけてプロを名乗って作って公開し、原作ファンの怒りを買い
    読んでいない人も意味がわからない、というものになってしまった。
    こんなものを作ってておいて、どの面下げて作者に会えるのだろう。
    彼女の家に招かれた時の振る舞いから考えても
    やはり恥知らずなのだろう。
    ジブリという名前に溺れているのだ。

    プロがプロに対するリスぺクトもなく物を作ればこんな最低なものになる。
    しかし、ジブリの威光があるから罰せられず、面白いという人まで出てくる。
    こんなやり方でプロと名乗って映画を作れるなら
    プロを目指して必死になっている良い仕事をしている人たちはさぞかし悔しいだろうとさえ思う。

  • ジブリ作品は何回も見たほうが視点が変わるから面白い。
    この映画もまさにそう。

    子供のときにみても、竜とか魔法とか要素はあるのに、展開がハラハラしたりしないから面白くないように感じる。

    でも、モラトリアム中とか死生観を考えたことがあるとかそういう大人になりかけてる時とかにみるとまた印象が違う。

    ゲド戦記は、駄作だというイメージがつきすぎてる作品だと思う。思い込みで敬遠したりするのはもったいないから見てほしい。

  • ゲド戦記の主題歌を目的として見た。

    でも・・・。
    吾朗さん・・・。(宮崎駿さんの二男。)


    期待した分、だいぶ内容が「??」だらけでした。

    評価は・・・手島さんが歌っているのが好きなのでおまけで二つ。

    ・・・小説とあまりに違うといわれているので小説も読んでみる。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「小説も読んでみる」
      是非!
      全6作ある中から、2つくらいの話を混ぜたようです(未見)。
      このような構成のため、原作ファンの私には観たいと思...
      「小説も読んでみる」
      是非!
      全6作ある中から、2つくらいの話を混ぜたようです(未見)。
      このような構成のため、原作ファンの私には観たいと思えませんでした。
      本来なら映画は映画で楽しむのが筋なんでしょうけど。。。
      2012/09/19
    • しをん。さん
      そうなのですか!!
      ゲド戦記について色々調べてみると確かに、原作に元づいていないと・・・。
      たくさん書いてあって驚きです。
      6冊もあるのです...
      そうなのですか!!
      ゲド戦記について色々調べてみると確かに、原作に元づいていないと・・・。
      たくさん書いてあって驚きです。
      6冊もあるのですか(●^o^●)
      また、読んでみます♪
      2012/09/19
  • 太古、人間と竜はひとつであった。
    しかし、ものを欲した人間が大地と海を選び、
    自由を欲した竜は風と火を選んだ。
    以来、人間と竜は交わることがなかった。
    その竜が姿を見せ且つ、共食いなどとは、
    いよいよ黄昏が深まる兆しじゃろうか。

    父殺し、アレン。
    目的という目的もなく国中を見て廻るハイタカ。
    またの名を、ゲド。

    この街はおかしいです。
    いやこの街だけじゃないさ。
    あちこちで作物が枯れ、羊や牛が駄目になり、
    そして人間の頭も変になっている。
    何か疫病みたいなことですか。
    いや、疫病は世界が均衡を取ろうとする
    ひとつの運動だが、
    今起きているのは均衡を崩そうとする動きだ。
    そんなことができる生き物は
    この地上には一種類しかいない。わかるか?

    際限の無い人間の欲望ですね。

    力を持つ者はその使い方を誤ってはならんのだ。
    世界の均衡を破壊するつもりか!
    死と再生の繰り返しこそが命の根幹なのだぞ。
    この世に永遠に生き続ける者などありはしないのだ
    自分がいつか死ぬという事を知ってるという事は
    我々が天から授かった素晴らしい贈り物なのだよ
    わしらが持っているものは、
    いずれ失わなければならないものばかりだ。
    苦しみのためであり宝物であり
    天からの慈悲でもある。
    わしらの命も。

    人はいつか死んでしまうのに
    命を大切に出来るのか?
    終わりが来ることが判っていても
    それでも生きていかなきゃならないのか?
    違う!
    死ぬことが判っているから命は大切なんだ。
    アレンが怖がっているのは死ぬことじゃないわ。
    生きることを怖がっているのよ。
    死んでもいいとか、永遠に死にたくないとか、
    そんなのどっちでも同じだわ。
    ひとつしかない命を生きるのが怖いだけよ。
    命は自分の為だけのもの?
    私はテナーに生かされた。
    だから生きなきゃいけない。
    生きて次の誰かに命を引き継ぐんだわ。
    レバンネ、そうして命はずっと続いていくんだよ。

  • 面白いけど…たぶん、いろんな事が割愛されているんだと思う。本当は本を読んでから映像を見て見たかった。いずれ本を読んでみよう。

    アニメの顔が、ハイタカはなんとなく菅原文太さんに似ていて、アレンはなんとなく岡田くんに似ていた。わざと似せていたのかな?

  • 私はさほどジブリのファンでもないほうだが、アニメとしての作りは動きもいいしとても良いと思う。原作との比較で酷評されているようだが、私は原作を読んでいない。
    生と死をテーマにしている作品と見て取る分にはよくできている作品だと思う。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      pinoko003さん
      猫は見逃し続けているのですが、キャラクターの造形等をパッと見ただけで、監督が「ゲド」を理解していないのは一目瞭然。
      ...
      pinoko003さん
      猫は見逃し続けているのですが、キャラクターの造形等をパッと見ただけで、監督が「ゲド」を理解していないのは一目瞭然。
      とは言え、映像化作品は別物だし、「ゲド」より「シュナ」に近いと言われているらしい。次に地上波で放映される時は見てみよっと、、、
      じゃなくて「アスーシー」読んでみて!
      2023/02/23
  • 2006年日本 ジブリ
    岡田准一、内藤剛志、菅原文太


    何なんでしょうかこのアニメは、、、、宮崎吾郎さんの監督デビュー作らしいですが、何を伝えたかったのでしょうか?
    ところどころで父親の作品の面影を感じたり、、でも、町並みはすごくきれいに描かれていて、、

    だけども、余りにも意味のない作品です。
    大体アレンはなぜ父親を刺したの?父親殺しのアレンがなぜのうのうと生き延びてるの?
    ストーリーの展開とかも全く意味不明、、、原作を読めば理解できるのかと思ったりもしたのですが、それならば映画という作品にならないですよね。

    本当に観ててばかばかしくなる作品でした。

  • ジブリらしさ とか そういうのはよくわからなかったけれど
    良い作品でした

    伝えたい言葉が多すぎて
    わたしの中に全部入りきれなかったのが残念です

    生きること と 死ぬこと
    誰もが通る道だけれど
    きっと深く考えたことは皆無いと思います
    わたし自身 死ぬことを考えたことはあるけれど
    命について考えたことがなかったので
    ちょっぴりハッとさせられました

    ジブリに出てくる人たちは
    皆何かしらの自分の役目を持っていて
    他人を影響させる何かを持っているので
    自分も頑張ろう と思わされます

    何年後かにまた見たい映画です

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「皆何かしらの自分の役目を持っていて」
      是非、原作も読んでみてください。。。
      「皆何かしらの自分の役目を持っていて」
      是非、原作も読んでみてください。。。
      2014/07/05
    • 実和子さん
      コメントありがとうございます。
      原作も読んでみます!時間のある夏休みにでも…!
      コメントありがとうございます。
      原作も読んでみます!時間のある夏休みにでも…!
      2014/07/14
  • 思春期の男の子の「不安定さ」は、
    これからその時期にさしかかってゆく息子を持つ私に
    とっても大切なことです。

    この映画の伝えたいことのひとつにきっと
    「思春期の男の子の、成長への葛藤」があるように思いました。
    「精神的な父親殺しができにくい現代」だ、
    と解説に翻訳者の清水さんが書かれていますが、
    本当に殺すというよりは
    「象徴的に与えられているエピソード」だという印象がありました。

    若いみずみずしい感性は、同時にそれゆえの不安定さを抱えています。
    普遍の知恵や、ゆるぎない倫理観を持つ前に、
    必ず通る「葛藤」の時期は、形は違っても誰もが通る道です。

    不安定な凶暴さをどうコントロールするかを
    映像は、優しく教え諭しているように思えました。

    クモとの「永遠の生命」騒ぎは、アレンを自立へと導いてゆきます。
    本来、人間が「戦う」ということ、
    つまり「剣をぬく」ということは、
    「正しい目的、つまり「いのちのために」を知る者だけができること」
    なのだと伝えられているように思いました。

    戦いを終えたアレンの、風になびく髪とあの清清しい表情が、
    物語の終わりを告げているように思いました。

    この作品のなかに描かれる自然、
    特にその流れてゆく風景の動画ならではの表現が、
    私はとても魅力的に思いました。
    リアルに懲りすぎず、
    物語のニュアンスも残しているように思いました。

    「DVD絶対ゲットするぜ!」とこころに誓いました。
    (すいません、週に二回ポケモンにお付き合いしているので、
    このほうがやけに自分のこころにリアルに響く!
    さては私の影はまだ私の後ろにいるのか~?(T-T))

    それにしても、おばちゃんふたりの強烈さは・・・・・。」
    自分の都合のいいことには調子よく利用して
    勝手気ままに情報活用の後悪口吹聴。
    その情報源のいいかげんさや信憑性のなさ右に出るものなし。
    なのに責任は相手に丸投げ。・・・。・・・。

    でも、ハイタカにならすぐばれちゃいますよね。

    追いかけてくる「影」こそが「光」。

    「耳をすましてごらん。希望が近づいてくる」

    と同じニュアンスだと思っていいのでしょうか。

    とにかく、とてもよかったです。

  • 主人公の心の葛藤がとても心地よかったし、
    それを理解して受け入れることができる周囲の人たちも温かかった。

    たしか公開されたとき、酷評だった気もするけど、
    内容が難しかったんじゃないかなぁ。
    心を見たことがある人には伝わるものがあるはず。

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著者プロフィール

1967年、東京都生まれ。信州大学農学部森林工学科卒業後、建設コンサルタントとして公園緑地や都市緑化などの計画、設計に従事。1998年より三鷹の森ジブリ美術館の総合デザインを手がけ、2001年より2005年6月まで同美術館の館長を務める。2004年度芸術選奨文部科学大臣新人賞芸術振興部門を受賞。2006年に「ゲド戦記」でアニメーション映画を初監督。2011年に映画「コクリコ坂から」、2014年には初のTVシリーズ「山賊の娘ローニャ」(NHK・BSプレミアム)を監督。同作は国際エミー賞キッズアワードのアニメーション部門で最優秀作品賞を受賞した。

「2021年 『スタジオジブリ絵コンテ全集22 アーヤと魔女』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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