君のためなら千回でも スペシャル・エディション [DVD]

監督 : マーク・フォスター 
出演 : ハリド・アブダラ  ゼキリア・エブラヒミ  ホマユーン・エルシャンディ  アフマド・ハーン・マフムードザダ  ショーン・トープ  アリ・ダネシュ・バクティアリ  アトッサ・レオーニ 
  • 角川エンタテインメント
3.91
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本棚登録 : 84
感想 : 20
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4582194841592

感想・レビュー・書評

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  • アフガニスタンのパトゥシューン人の男の子。親友は使用人の息子。友情と呼ぶには少し歪んでいる。
    ソ連が攻めてくる。パキスタンへ逃げる。そしてアメリカへ。
    男の子は小説家に。父は死は死んだ。同じパティシューン人と結婚した。
    ある日電話が鳴る。
    タリバンの支配するアフガニスタンに親友の子供を引き取りに行く。

  • 首都カブールの空に、子供たちが色とりどりの凧をあげ楽しんでいる。アフガニスタンのそんな自由で長閑な時代を思うと、切なくなりました。
    映画のできとしてはいまひとつだったけれど、激動のアフガンの様子が描かれていて興味深かったです。

    ☆詳しいレビューは<a href="http://ihuru.blog46.fc2.com/blog-entry-403.html" target="_blank" title="コチラ">コチラ</a>

  • アフガニスタンは私が子供のときから政情的に不安定で争いの絶えないイメージはありましたが、こうしてその過酷な現実を見せられると、関心すらもとうとしなかった自分自身が恥ずかしい気持ち。宗教や政治思想の対立だけでなく、人種差別も絡み合って余計に悲しく、戦争でありがちとはいえ、弱い者が暴力や性の玩具のように扱われる様子にはとても心が痛む。
    アミールとハッサンのかつての純粋な友情は、まだ平和で賑やかだったかつてのアフガニスタンの街の描写のように美しかった。その後アミールがハッサンに対してやったことは、ひどいな、という気持ちに一瞬なるものの、アミールの育った環境や年齢を考えると、むしろそれは子供らしいとも言えるかもしれない。しかしどんなときも、大人になっても、その純粋な友情に対して全く揺るぎのなかったハッサンの賢明さと誠実さは、この腐りに腐った戦争世界の中で枯れずに咲く美しい花のような尊さであり、それは全ての人類が敬意を払うべきお手本のようなものだろう。
    「君のためなら千回でも」と言った、ハッサンの、混じり気のない真っ白な美しい心。長い時を経て同じ言葉を放ったアミールの、様々なものがぶつかり葛藤した末の、ある種贖罪のようでもあり、あるいはハッサンの手紙によって洗い出されたようでもある、温かい心。この二人の関係に想いを馳せるだけでも、映画が私たちにもたらすものの大きさを感じる、良い作品です。

  • 1980年代にソ連から侵攻され、2000年代にはタリバンの支配を受ける。このようなアフガニスタンの受難がドラマ背景に横たわっており、大変興味深い作品です。

    そのような時代の波に翻弄される2人の少年の「不変の友情」が描かれるのかと期待したのですが、現代が舞台となった後半のドラマの展開には、胸が痛みました。もちろん、その苦難の末に辿り着いたある風景が、本作の光明なのです。

    素晴らしい作品でした。

    BS松竹東宝にて。

  • 暴力と希望がテーマか・・・。

    見終わった後は、悲しみと希望が入り交じった涙で溢れた。
    そして、「もう一度見ることは出来ない」と正直、思った。

    アフガニスタンが舞台の映画。誠実にアフガニスタンに向かい合った映画。アフガニスタンの友人とこの15年、関わり続けただけに、それだけでこの映画を観る理由としては十分だった。

    アフガニスタンの歴史は、私たちに人間の残虐さ、冷酷さ、狭量さ、醜悪さ、無責任さを教えてくれる。と同時に、そこを生き抜いた人からは、無限の希望をくみ取ることが出来る。

    自分が二度は見られない映画を人には勧められない。レビューという行為も同じだろう。

    しかし、鑑賞後、監督やスタッフ、原作者の言葉に触れて、確実に私の心は癒えた。希望に燃えることはなくとも、希望の灯火は点いた。

    社会を恨む人。自分が許せない人。でも、生きていてもいいのではないか?と思える人。つまり、希望を信じる人。そんな人のための映画ではないだろうか。

    さぁ凧を揚げよう。

  • 身分をこえた友情という主題に対してはそんなに惹かれなかったけど成長してテロ組織みたいなのから少年を奪還するところまで書かれていたのには交換。

  • 少年の友情を題材にした映画はけっこうあると思いますが、これは爽やかで素敵な映画ですね。

  • 友情。

  • 40年前のアフガニスタンがあんなに美しいところだったとは知らなかった。失われたものを思うと切なくなる。

  • かなりの期間放置していた。重いだろうと思っていたので、なかなか観れず。
    観てみると、少々重かった。

    人種差別や階層社会の中の友情って難しい。リアルっぽいから、余計に重かった。

  • 移民、宗教、民族、それらの事情からなるコミュニティ、恋愛、そしてもちろん戦争… 逃れた人と留まった人の交わる事の無い心の葛藤、家族の秘話… 盛りだくさん。

    映画の中では明かされない、少年の友情、陵辱が何を表しているのかと言う作家の意図を知らずに観れば、凧が風を孕んで滑空するシーンは単純に奇麗で、糸が切れたそれを一心に追いかける少年の直向さに心を打たれる。

    原題の”The Kite Runner”も良いけど、内容を表すには余りに抽象的。作家が描きたかったものは、多分友情の外にある。

    ”君のためなら千回でも”。
    国際社会もいつかそう言えると良いなと思う。

  • 映画はハッピーエンドで終わるけど、ホッセイ氏はその後も葛藤を抱え続けているはず。
    こういう終わり方もいいけど、視聴者に問題提議を与える形で終わってもいいのでは?

  • かつて平和だった頃のアフガニスタンで、凧あげに興じる兄弟のようなアミールとハッサン。しかし、或ることがきっかけでアミールはハッサンを裏切ってしまう。そんな折アフガン政情は悪化し、アミールは後悔を抱えたままアメリカに亡命する。数年後、アミールはハッサンに償うため、再びアフガニスタンの地を踏むことになる・・・。

    冒頭の凧あげのシーンが美しく、「アフガニスタンってこんなに活気に溢れた美しい国だったのか」と思った。そしてそう思った瞬間、アフガニスタンのことを何も知らない自分に気付いた。
    なので、映画を観終わった後に、映画に出てくる凧揚げの文化はもちろんのこと、ソ連のアフガン侵攻とか、タリバーンの暴政、アフガンの少数民族などなど、一通りWikipediaで勉強してみました。やっぱり、知ってるのと知らないのとでは、日々のアフガン情勢ニュースに対する関心度も全然違う。
    その点では、単に映画として良い作品だっただけでなく、私に社会問題に興味を持たせてくれたという意味でも良い作品でした。

    ただ皮肉なことに、この映画に影響を受けて勉強をした結果、この映画の欺瞞にも気付かされてしまった。この映画では、ソ連とタリバーンがアフガニスタンを蹂躙した悪者として描かれているけれど、実際には、アメリカがそれに輪をかけてアフガン情勢を悪化させたという事実がある。でも、映画ではその事実からは目をそむけている。
    こういう嘘やプロパガンダを見抜くためにも、ちゃんとした知識と関心は必要ですね。

  • メジャーデビューのアメリカ映画だから、当然、全編英語仕様かと思っていたよ。何語というのだろう、アフガニスタンで語られる言葉を採用していることに、まずは驚きアンド拍手。それだけで、原作を映画化したい気持ちが伝わってくる。ストーリーはちょっと・・・。アミール君は駄目でしょう。子供のころに甘ちゃんだった奴はオトナになっても駄目。ただ情けない子供じゃなくて、卑怯者なんだから。オトナになったら、そんな自分の過去は忘れて暮らして、ハッサンのことも当然忘れる。子供を助けに行くのに、お金でなんとかできないか考えるなんて。お前にアミルがどうこう云う資格はなーい!この辺、原作を読むともっと理解できるのかな。

  • <span style="color:#000000"><span style="font-size:medium;"><img src="http://yamano4455.img.jugem.jp/20080122_427037.jpg" width="160" height="117" alt="君のためなら千回でも上下" class="pict" />

     アフガニスタンの昔からの言い回しで、自分の好きな人、大切な人から何か頼まれごとをされた際、その嬉しい気持ちを表すときに、「君のためなら千回でも」という表現が使われることが多いという。喜んでさせてもらうよ、ありがとう、というような気持ちなのだろうか。

     この小説の作者は、ソ連のアフガン侵攻をきっかけにアメリカに両親とともに亡命し、その後、医者として社会的にも成功したアフガン人である。この小説の中にも、登場人物の台詞として出てくるが、彼自身が、アフガンを捨てて出てきたという贖罪意識にさいなまれている。ソ連が撤退した後、続いてタリバンによる圧制(虐政)で苦しめながらもアフガンにとどまっている、否、正確に言えば、脱出することさえもできない人たちがいる一方、自分は、祖国を捨ててしまったという後ろめたさ。その思いが、この小説を書くに至った動機なのかもしれない。

     小説ではあるが、この中で、アフガニスタンの様々な風習や言い伝えのその一端も感じることができる。また、子供はいつの時代でもどの国でも、その純粋さは同じだということも感じることができた。

     ストーリーの詳細はここでは書かない。胸かきむしられる様な思いになる箇所もあり、ほのぼのと読み進むところ、淡々と走った箇所、世界で800万部という大ベストセラーとなった所以が十分感じられる小説であった。翻訳も分かりやすい。一気に読み終えた。
     ぜひ、お薦めである。

     尚、この作品は、<a href="http://eiga.com/official/kimisen/" target="_blank">映画</a>にもなって間もなく上映されるという。ところが、上映にあたり、思いがけないトラブルが起きた。出演者側から上映中止の要請が出されたのである。

     映画出演者中、アフガニスタンの子供たちは、現地のまるっきり素人の子供たちに出演してもらったという。ところが、いざ、上映という段になると、その子供の親達からストップがかかった。

     なぜか。

     この作品には、子供がレイプに遭う場面がある。しかも、その子供は男の子だ。そんな映画に出演していることが知れたらその子供たちも、親達もタリバンに殺されてしまう。それでなくてもイスラムの世界での掟がある。中東のある国において(サウジアラビアだったかな?去年のことなので憶えている方も多いのではないだろうか)、ある女性が7人もの男たちに襲われてしまった。その後、その事件が判明し、捕まった加害者の男たちだけでなく、その被害にあった女性までもが鞭打ちの刑に処せられた上で、六ヶ月の収監となった。そういうイスラム文化である。子供、しかも同性愛者からのレイプとあっては、いくら映画上のこととはいえ、許されない。

     映画関係者は、彼らを説得し、国外で保護するということで上映にこぎつけたという。執念である。・・・。映画制作費を無駄にしたら大変なことになるからか・・。

     尚、ある映画評論家が、この原作者にインタビューした際、このことを尋ねたという。この小説において、なぜ、子供のしかも男の子のレイプというあまりに衝撃的な出来事をもってきたのか、他の非人道的な行為でも良かったのではないか、と。作者は、次のように答えたという。

     いや、あの場面はどうしてもああでなければいけなかった、ソ連のそしてタリバンの極悪非道な行為を、そして、アフガン人の筆舌に尽くしがたい苦しみを象徴するものとして、絶対にあってはならない、許されない行為を書かなければならなかったのだ。・・・・・
     
     私たち日本人は、あまりに世界の圧政を知らなさ過ぎるのかもしれない。それは、日本から、否、世界の情報からあまりに遠すぎるからであろうか。チベットの中国による暴虐、映画「<a href="http://rwanda.hp.infoseek.co.jp/" target="_blank">ホテル ルワンダ</a>」にある内乱だけでなく、やはり間接的であっても他国からの、<a href="http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/world/20080121-567-OYT1T00322.html" target="_blank">アフリカにおけるジェノサイド</a>(民族粛清・虐殺)、今回触れたアフガン問題等々。

     そんなことも考えながら、この小説を読んでみてはいかがだろうか。

     余談。原作及び映画の原題は「THE KITE RUNNER」、直訳すれば「凧追い」となろうか。邦題は小説、映画ともに「君のためなら千回でも」。こっちの方がよい。「凧追い」なら、私の手は伸びなかった。</span></span>

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