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- / ISBN・EAN: 4988003994228
感想・レビュー・書評
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『スローターハウス5』[SLAUGHTERHOUSE-FIVE] (1972)アメリカ
“私は、時間の束縛から解き放たれた。自分の過去・未来を行き来するものの、自分でコントロールすることは出来ない。
タイプに集中しているので、訪ねてきた娘バーバラの声も聞こえない。
次の瞬間、極寒のアルデンヌの森を一人でさまよっている。装備を持たない丸腰のピルグリムは、ドイツ兵がばけたアメリカ兵と間違えられて、ラザロとウォーリーに捕まってしまうも、3人まとまってドイツ軍の捕虜に。
次の瞬間、自宅のベッドで新妻のバレンシアに抱きついていた。
一転、ドイツ軍の捕虜として徒歩で移動…”
といった具合に主人公ビリー・ピルグリムは、アルデンヌの森・惑星トラルファマドール・自宅・ドレスデン大空襲・航空機事故・シュラフトホフ5(第5屠殺場)・フィラデルフィアと時空間をめまぐるしく移動していきます。原作はカート・ヴォネガット・Jr.の同名の小説『スローターハウス5』。
“原作の味わいを上手く演出した作品だ”
“ヴォネガットはこの映画を「小説よりよくできている」と評している”
“日本でも早川書房から原作翻訳本が発売されており、カルト的人気を集めている”
“カート・ヴォネガット・ジュニア原作のものでは最高傑作のひとつ”
“ビリーの、時間と空間を超越した体験を幻想的に描くが、それを端的に描出したカットの切り替わりの巧みさが素晴らしい”
“奇異な原作を映画化したジョージ・ロイ・ヒル作品としては、ジャンルは違えど、後の『ガープの世界』に共通するテイストがある”
と賞賛されているこの映画ですが、本当にそうなんでしょうか?
凡人の豆狸が公開当時劇場で見たときは、年齢的な問題と不勉強のせいと思っていたのですが、DVD化されてあらためて見直してみても、SF映画としても戦争映画としても傑作と呼ぶには程遠く、記憶に残るのはアルデンヌでの捕虜になるシーンとドレスデン大空襲ぐらい。
編集のカットインも煩わしく、SFと呼ぶには稚拙すぎて、戦争映画と呼ぶ分にはソコソコとしても、全体を通してみてどこをどう観ればそんなに賞賛に値するのでしょう?
当時は判らなかったもののDVDで戦争映画と検証してみると、チェコのOT-810をSd.Kfz.251の代用に使うのはまだしも、ハワード・キャンベルJr.のアメリカ人部隊の志願募集のときの服装は、ちゃんと考証されているのでしょうか? その上、SSの襟章なんかがけっこういい加減に作られてるのには唖然・憮然・がっかりなところです。
わからないものは、わからない。ダメなものはダメと、はっきり言うほうがいいのではないのでしょうか。
どう考えても、わからないというと、“こんなことも、わからないの”と突っ込まれるのが嫌なプライドの高い映画評論家が、自らの不勉強を糊塗するために賞賛しているのと、お抱え映画評論家のギャラに応じた賛辞の双方を、真に受けた一般の人達が尻馬に乗っているようにしか思えないんですけど。
豆狸が公開当時観た劇場というのが、今はなき北野シネマ。ナビオが出来る前で、まだ北野劇場・梅田スカラ座・梅田劇場が地上にあって、地下に梅田地下劇場、と一緒にあった北野シネマ。ATG(日本アート・シアター・ギルド)専門の上映館の印象が強いです。
今回SFと呼ぶには他の作品に申し訳ないので、マシな部分をとって敢えて戦争映画にカテゴライズさせていただきました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
私はカッコをつけて良かったとは言わない
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カテゴリー不明。
う~ん、なんなんだろう。なんだかわからんかった。
これはSFじゃないんじゃない?とも思うし。
奥様をなくして寂しい老人の妄想とも思える。
こういう時系列をばらばらにして組み立てる系の作品は最近多いし。
一方で「そういう仕組みになっている」という宇宙人のセリフは「SFの無責任さ」を彷彿させる。
音楽はすばらしい。
あと拉致されてきたお姉さんモンタナさんが亡くなった奥様に似ているのは、宇宙人側の思いやりかなと思って、すこしほろりとしました。 -
音楽がグールドなとこだけかな。。
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WOWOW
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¥
mmsn01-
【要約】
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【ノート】
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未読だけど傑作とされるSF小説の映画化。だと思って観たのに支離滅裂で訳の分からない話だった。次元の違う異星人との交流という点では『メッセージ』のような認識、パースペクティブの転換が描かれるのかと思うのだが、本作はそうでもなく、wikiの解説にあるような決定論と自由意志との問題を扱うのかと思えばそうでもなかった。『2001年』の後とは思えないほどチープなセットで展開される緊張感のない乳繰り合いが、過去・未来の過酷なはずの運命までをも軽くしてしまう。かと言ってニーチェの永劫回帰のような深遠な思想だとも思えず、やっぱり原作を読まなきゃダメかなのかなと思うに至った。☆2.5
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原作での決めフレーズ「そういうものだ」の持つ諦念と冷めた視線は、映画にも踏襲できてたと思う。
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有名な原作は未読のまま。自分にはちょっと難解でしたね。リアルな戦争の場面と、未来の生活との対比にどういう意図があったのか今一つわかりませんでした。
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『スローターハウス5』は原作がすごく好きなのでずっと観たかった映画でした。
もう読んだのだいぶ前だから原作の内容をかなり忘れちゃってます。たぶん、だいたい原作通りなんじゃ?というのと、こんなんだっけ?が半々。『猫のゆりかご』とごっちゃになってる。
原作を読んだ時にも書いたけど、SFってただの手法ですからね。ヴォネガットはだいたいそうだと思うけど、特に『スローターハウス5』は別にこれSFでやらなくても……というとこもある。だから映画版では途中がただの回想シーンにしか見えない笑。
それと、映画を観て改めて思ったのは、SFはSFでもこれScience FictionじゃなくてSpeculative Fictionの方ですよね。
この映画って原作のたった3年後の公開です。あの『2001年宇宙の旅』からしても4年後。
今は色んなビジュアルイメージが出てるけど、当時これを映画化するのって難しかったんじゃないかなあ。
で、ギレルモデルトロが「映画化する完璧な方法に行き着いた」って言ってるのは、たぶんこの時系列シャッフルの処理の方法なんじゃないかな?って思いました。
小説と映画だと、脚本を映画向けにきっちり作り変えないと、原作小説を映画が越えることは基本的にできないと思ってて。じゃないと「原作小説読めばいいじゃん」ってなるから。
この映画は少なくとも、原作小説をちゃんとなぞれてるので、最低限クリアって感じですね。原作は越えてませんが、小説を読んだ時の僕の頭のイメージと、映画の画が完全に一致してました。再現度高い。
監督のジョージロイヒルはヴォネガットと同い年で、ヴォネガットは陸軍だったけど監督は海兵隊のパイロットだったみたいですね。
途中、主人公が入院して、罪悪感のない元飛行兵に出会うシーンがあるけど、監督としてはものすごく複雑な思いがあったのでは。
『スローターハウス5』は、今ではアメリカ中の若者が読むような小説だけど、ドレスデン爆撃が知られるようになったのは小説と、そしてこの映画のおかげだろうし、監督も使命感がすごくあったんじゃないのかなあ。
余談だけど、ポールバーホーベンなんかはオランダでほぼ同様の惨状を目にしてる。
"So it goes."って1回しか言ってなかった気がして残念だったんだけど、僕が聴き逃しただけなのかな。