いい歳こいたオッサンがセーラームーンのことを語りたいので上巻の続き。ほんとはもう一度観て全話感想書きたいけど疲れるから全体的なこと。
今では世界的な巨大コンテンツになったセーラームーンだけど、放映開始当時は全くそんなことなくて、ヒットすると思われてなかった。し、私も思ってなかった。
私はとにかく無印が好きで、それも初期の方が好き。初期の頃を観るとその「全く期待されてない感じ」がすごくある。無印が進むにつれて段々アガっていく感じ、アガっていってRの劇場版でひとつの到達点を迎えるあの感じが好き。
いま、若い世代もしくはよく知らない人がセーラームーンの初期を観ると、「28年前の作品だから古い」「懐かしい」と感じると思う。
これは実は少し違っていて、当時中学生だった私からしても「92年にこれは古い」「懐かしい」という感じだったんです。郷愁、ノスタルジーという単語がぴったりくると気づいたのは大人になってから。
それはたぶん、「光と影と質感の詩人」こと椋尾篁さんのムクオスタジオが美術だったことが大きいのではないかと……。椋尾篁さんという方は、日本のアニメ史において本当にすごい方です。
あと、声優陣が当時の人気声優とは違っていて、そこも古かったしあまり期待されてない感じが強かった。
主演の琴ちゃんと久川さんはまだ若手だったけど、富沢美智恵さんと篠原恵美さんといえば『プロジェクトA子』だし笑、すでにそれなりのキャリアがあった。
深見梨加さんだけちょっと違って、洋画の吹き替えをされていた。セーラームーンが始まる直前の92年1月放映『告発の行方』のジョディフォスター役で、これ私は当時テレビで観ててトラウマ映画。偶然にもテーマがセーラームーンと近いとこあるのが面白い。
脇を固めるのは古谷徹と潘恵子……アムロとララァ、星矢と沙織じゃんと笑。ほかに森功至やら曽我部和恭やら、昔のアニメの声優さんたちが多かった。
ちなみに幾ちゃん回の第6話のゲストが若本規夫と鵜飼るみ子…フラウボゥ!
私が最初にセーラームーンを観たのは、番組開始から1年経過した頃。私の県では放映してなかったので、ビデオが発売されてから。『きんぎょ注意報!』は放映されてたのに!
武内直子先生の原作版が一番最初の出会いで、これは初版帯付だからたぶん出てすぐ買ってる。92年夏頃の話。
この原作版をなぜ買ったのかが思い出せない……けどとにかく「なんだか面白そうだから」だったと思う。
小学生の頃の私は80年代ジャンプと同時にりぼんで育ったので、体の半分は少年漫画、もう半分は少女漫画でできている。氣志團の綾小路セロニアス翔が少女漫画好き、当時のりぼん好きで気持ちがわかる。
原作版セーラームーンを買ったのはたぶんその延長線上だと思う。けど、りぼんとなかよしってライバル誌だけどりぼんの方が対象年齢が少し高いイメージで、中学の同級生の女子でもなかよしを読んでる子ってすでにほとんどいなかった(ブームになる前の話ね)。
読んでる子がひとりだけいて、その子とよく話してました。そしてなかよしの付録をなぜかよくくれてた笑。
そんな私が、セーラームーンをどう観てたかというと、ひとつは少年漫画的な「ヒーローもの」「戦隊もの」。当時、同級生とセーラームーンごっこしてたの。幼くて純粋だったのか中二病をこじらせすぎたのかわかんないけど。
つまり、「セーラームーンになりたい!」って目線なんです。よく誤解されがちだけど、エロ目線ではない。これを後輩に話すと「エロ目線の方が健全で、そっちの方が気持ち悪いw」と言われます。
もうひとつは、レンタルビデオでアニメ版を最初に観たとき、ものすごい少女漫画少女漫画してて、心臓をぎゅーって掴まれるような切ない感じがした。特に初代EDの『Heart Moving』と、背景の絵で。大人になるまで気づかなかったけど、「男性の中の女性性」「女性の中の男性性」ってたぶんあるんですよね。
セーラームーンの成り立ちについて。
元ネタのひとつが『美少女仮面ポワトリン』だけど、遡るとたぶん1971年の石森先生原作『好き!すき!!魔女先生』。
私が『魔女先生』を知ったのは、「特撮好き女子にマウンティングしてくるオッサンの特撮オタ」にいいかげん腹が立ったことがきっかけです。
その東映不思議コメディシリーズの流れと、東映の戦隊もの、キューティーハニーも含め東映の魔法少女もの、東映の『スケバン刑事』、東映の『聖闘士星矢』なんかの合体がセーラームーン。「まるで東映の精神が形になったようだ!(CV大塚明夫)」
武内直子先生に関しては、漫画家としては私はあまり評価していない。けど、石森先生の仮面ライダーと同じく「コンセプター」。
先行作品と異なる重要な点は、それらはほとんど男性が作ってたものだけど、女性原作者がコンセプトや世界観を作ったってこと。「前世が云々」ってのはその前に『ぼくの地球を守って』が流行ってたからかな。
セーラームーンってものすごくキラキラした感じなのと同時にカッコよさがある。セーラーVは芝公園、セーラームーンは麻布十番と東京タワー周辺が舞台だから、東京タワーがものすごくシンボリックに映る。東京タワーといえばセーラームーン。
そして「夜の闇に紛れて悪を仕置する」ってコンセプト。仕置人です。だから「おしおきよ!」。
この感じは、武内先生ご本人がバブリーでカッコいい方だからで、彼女じゃなかったら出せてない要素だと思う。
コスチューム原案も武内先生。フィギュアスケートが好きでそれを参考にされたそうですが、かわいさとカッコよさとエロスのギリギリのバランス。
セーラームーンってやっぱりエロスが内包されてて、それは武内先生が女性で、女性を女性の目で見たときに感じるエロスなんだと思う。レイちゃんが生足ハイヒールなとことかは武内先生のこだわり。だから、男に媚びてる感じがしない。
ここからアニメ版のよさ。
庵野秀明監督はセーラームーンのことを「中身がない」と言ってて、さすが庵野監督!と思いました。
コンセプトの骨組みしかなく、中身がないところにアニメスタッフたちがオリジナルで話を作ってた。アニメ本編が同人誌的。
幾ちゃんが最たる例で、実験的なことやアート映画的にできる自由度があった。幾ちゃんって寺山修司に影響を受けてる方なんですよね。のちの『おジャ魔女どれみ』の細田守回と同じく、ウルトラセブンの実相寺回みたいなもん。
当時、バブル崩壊が始まった直後で、でもバブルの空気は表面上は残っていて……時代的にも空虚さがあったなと感じます。
ダークキングダムの目的は「愚かな人間どものエナジーを奪うこと」ですが、「人間の欲望を利用して」なんですよね。
そして利用されるのは「女性の欲望」が多い。宝石が欲しい、恋愛、痩せたい…etc.これも武内先生の第1話の功績だと思うけど、「大人になりたい」女の子たちに対して「大人の女性も持つ欲望」を見せてる。女子高生ブームが来るのはこの少しあとだったと思います。
第3クール以降、ムーンヒーリングエスカレィショーン!でリフレーシュ!する。エナジーを吸われる、ヒーリングする……これはどう考えても鬱病の話にしか思えない。これとほとんど同じなのがスタッフが共通してる『マクロス7』で、90年代は「こころの話」がとても多い。
そしてサトジュン監督。サトジュン監督と言えば『とんがり帽子のメモル』と『Zガンダム』の第19話『シンデレラフォウ』。
なので、しょこたんがセーラームーンを観てた歳の頃、私はメモルやZガンダムを観てたことになる。小さかったのでメモルの記憶はほとんどないけど、大好きでした。
メモルの頃「東映に若手ですごい奴がいる」と評判で、若手スタッフを探してたお禿げ総監督にZガンダムで起用されたそう。
『シンデレラフォウ』ってすごく重要な回なのに、起用されたサトジュンも、起用したお禿げもすげぇな!と思います。ただ、フォウがフェンスの金網を手で触りながら走る良いシーン、あそこはサトジュンのアイデアではないらしい笑。
サトジュンがすごいのは、「泣かせのサトジュン」であり「笑いのサトジュン」なとこ。サトジュン回はめちゃくちゃ笑える爆発力がある。
と同時に、泣かせや感情を描くのがすごい。だから庵野監督にエヴァで起用されたんだと思う。
原作のもつキラキラ感とカッコよさ、それをアニメでコメディに寄せたサトジュンの面白さ。水戸黄門や仕置人的な痛快さ。少女漫画の切なさ……私が感じるセーラームーンの魅力はそこらへんです。
セーラームーンがエヴァを生み出す直接的な原動力になっているのは有名な話で、セーラームーンはセカイ系や日常系の元にもなってると思う。
エヴァの方が最後の使徒は人間で、戦略自衛隊とか一応ちゃんと出てくるけど、セーラームーンはそんなのすらない!
主人公と好きな男と敵ボスの恋愛関係が地球の命運に直結するし、銀水晶はチート兵器でイデオンやエヴァみたいなもん。
脚本の富田祐弘さんて、イデオンやエスパー魔美に参加されてる方なんですよね。イデオン→Rの劇場版→エヴァと観ていくと、つながりがよくわかります。
エヴァブームになってからサブカル誌で特集が組まれたり、社会学者やらがこぞってエヴァを語るようになった。ファンも同じく。97年頃にサブカルチャーって言葉の意味も変質してきたように思います。
…でも、お前らそれ以前のアニメ、セーラームーンって小馬鹿にしてなかったか!?って思うことがけっこうある。言語道断横断歩道ですよ!
日常系の元なのは、エスパー魔美もそうだしF先生が日常を描いてた。原恵一監督は小津安二郎が好きなので、ルーツは古いと思う。
エスパー魔美の方がファッションが凝っててオシャレ、セーラームーンの私服の方が初期はパターンが少なかった。特にまもちゃんの私服は壊滅的w
そのかわりの初期の変装ペン。あとセーラームーンだから学校帰りに制服着てることが多いからだと思う。
部活してなくて、学校帰りに制服着たままゲーセン行ったり友達の家に集まってダベる、恋バナをする……そんな日常。
男子中学生だったけど、その輪の中に入りたい!って思ってた。(高田漣ちゃんがパンクバンドのスリッツに対して似たようなこと言ってた)
ヒャドインさんも「(言えなかっただけで)男の子たちもセーラームーンが好きな子が多かったと思う」って、良いこと言ってました。
作品の中に没入して、主人公たちに共感して、「自分はうさぎちゃんだ!」「亜美ちゃんだ!」「セーラームーンになりたい!」って一体化しないとやっぱり楽しめないと思いますね。
あの頃私はちょうど思春期に入るか入らないか、子供と大人の境界線上にあったからギリギリでそんな風に楽しめてたのかもしれません。
大学生ぐらいで観てたとしたら、エロ同人誌描いてたかも……セーラームーンは私にとって「少女漫画の神聖な領域」「神聖なバカ」だから、エロ目線で見ることができない。