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- / ISBN・EAN: 4988135807069
感想・レビュー・書評
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自分が産まれる前の名作も知っておきたいなーと思ってたまたま見たのですけど、想像した以上に哲学的で、「美」って本当、なんなんだろう?って深ーく考えさせられました。
タジオ役の子の美少年ぶりが伝説化されてる映画ですが、私は、主人公である老作曲家の、悲しい過去の記憶の回想や、彼の「美は人間の理性と知識でこそ究極のものを生み出せるはずだ!」と長年信じながらも到達できずにもがき続けてきたのに、その信念を水泡に帰すような「神に与えられた完璧な美貌をもつ美少年」に出会ってしまった運命的な悲劇性と狂気が印象に残りました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
トーマスマン原作 ルキノ・ヴィスコン監督
出演 ダーク・ボガート ヴィヨルン・アンドレセン
1971年パルムドール受賞
初老の作曲家 グスタフは避暑のためベニスを訪れる
そこで、ギリシャ彫刻のような少年、タジオをみかけ、かれの美貌に取り付かれ
あとを追いかける。映画ではこの作曲家はマーラーがモデルになってるんですが
映画でも交響曲第5番アダージェットが使われています
芸術と美が英知、道徳、人間の尊厳のもとに生まれ、芸術家が手本とならなくては
ならないとし、邪悪なものなど決して、受け入れない事を信念としていたグスタフが
それこそ、自然か神様のいたずらが気まぐれかで、美を備えもったタジオに強烈にひかれ
この少年を老いさらばえて追いかけまわし、自分の醜態に泣き笑いしながらも
ベニスの街がコレラで覆われようと、彼が目で追う事が苦痛であり悦び
またこのタジオがグスタフの気持ちを弄ぶように、目の前を行き来する
彼の美の生贄になってひれ伏すのみ
滅びの道へ、ベニスが街が追い立てる
映像美もさることながらゴシックの街並みの建築物、シルビアーノマンガーノのろうろうとした
ひとつひとつの仕草も美しい
実際トーマスマンがベニスで美少年をみかけ、おいかけた体験をもとにかかれた
小説
トーマスマン ヴヨルン・アンドレセン マーラー ヴィスコンティという
この奇跡の符号がピタリと収まってできた、作品 -
こんなににやるせない気持ちになるなんてさぁ…(T_T)
努力の芸術では創り出せない究極の”美”を前にして
年老いた名高き芸術家はただただ狼狽えて、
格好わるく立ち尽くすことしかできないなんて。
結局、自分のなかの越えられない壁を挟んで
その”美”には指一本触れられずに命が果ててしまう。
映画の冒頭で主人公が砂時計を見て
”砂の通り道があまりにも細いので、上のグラスの砂は一向に変わらないように見える。砂がほとんどなくなって、あと少しという時にやっと残された時間の少なさに気づくんだ”
という言葉が象徴的だった。
拒絶し続けた、自分の手では創り出せない”美”を
受け入れざるを得ないと認めた孤高の芸術家の
ものすごく格好わるくて
ものすごく残酷で
ものすごく美しい人生の終わり。
ベニスの街とタージオの美しさがマッチしてて
画面全てが絵画のようでした。 -
DVD
老作曲家アッシェンバッハにうんと傾倒しながら、ボーッと眺める。
ベニスの浜辺、少年、音楽、そして死。そこに共通して映る概念、"美"とはなんだろう。 -
MORTE A VENEZIA
1971年 イタリア+フランス 131分
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
原作:トーマス・マン『ヴェニスに死す』
出演:ダーク・ボガード/ビョルン・アンドレセン/シルヴァーナ・マンガーノ
静養のためヴェニスを訪れた老作曲家アッシェンバッハ(ダーク・ボガード)は、同じホテルに泊まる美しい上流階級の一家の少年タージオ(ビョルン・アンドレセン)の姿を一目見た瞬間から惹かれるようになる。しかしやがて一帯でコレラが蔓延し…。
マイブーム名作映画を見直すシリーズ。何度見ても美しい。映画全体もだけど、とにかくタージオの美しさは、アッシェンバッハ同様、どれだけ眺めても飽きることがない。白いセーラー服が一番可愛いけど、紺バージョンのセーラーも可愛いし、終盤大道芸人が歌ってる場面で着てる、金ボタンがいっぱいついた紺のジャケットも貴族っぽくて素敵。ボーダー水着も色違い二種類あるんだよね(タージオのファッションチェック)
さてアッシェンバッハ、回想シーンで妻子が出てくるので、けして同性愛者というわけではない。にも関わらず、タージオの圧倒的な美の前に打ちのめされてしまう。同じく回想シーンで、作曲家仲間のアルフレッドとの議論が度々挟み込まれるが、芸術家の創造なんて自然発生の美の前には何の役にも立たないみたいな理論を、タージオの存在は実証している。ちなみにアルフレッド自体はとても面倒くさい議論ふっかけ屋なので、出てくるとイライラする(苦笑)
このアルフレッドとアッシェンバッハが砂時計について話す場面が序盤にあるが、この砂時計がとても象徴的。最初のうちは全然砂が減ってないように見えるのに、気付いたらあっという間に砂は落ちてなくなってしまう、というようなことをアッシェンバッハが言うのだけれど、この砂=若さとも命とも置き換えることができ、ラストのアッシェンバッハはまさにそのような状態で、あっという間に破滅へと滑り落ちていってしまう。
中盤で一度アッシェンバッハは帰国しようとし、駅で瀕死のコレラ患者を見かける。この時帰国していればアッシェンバッハは死なずに済んだのに、しかし彼は手違いで荷物が違う場所に届いてしまったことに激怒し、ホテルに引き返す。このときのアッシェンバッハの嬉しそうな顔。本当はずっとホテルに残ってタージオを見つめていたかった彼は、帰らずに済む口実が出来たことが嬉しくてたまらなかったのだろう。
以降、コレラの蔓延に薄々気づきながらも、アッシェンバッハはタージオのストーキングを続ける。これは恋なのか、といえば、アッシェンバッハはけしてその成就を望んでいるわけけではなく、タージオに何か見返りを求めているとも思えない。ただただその美を堪能していたい、それだけであることに、個人的にとても共感する。もはやこれは推しアイドルとファン関係みたいなものだ(違)
とはいえ、最後にアッシェンバッハは、めかしこみ海辺に現れる。この滑稽さが悲哀を誘うが、もはやあれは最後の死化粧のようなものだろう。美しい推しの姿を見つめながら息絶える。ある意味理想の死に方なんじゃなかろうか。
余談ですが、タージオ母役のシルヴァーナ・マンガーノの着ているドレスも毎回とても素敵でうっとりでした。何そのドレープ!とくに帽子が素敵で、広い鍔の上に花とかヴェールとか盛り盛りに乗ってるの、重くて首めっちゃ疲れそうだけどとにかく豪奢で素敵でした。 -
題名はよく知っているけど…という物語の一つ。
どうしてベニスで死ぬのかと思ったら…結論はかけませんが,そういう話でしたか。
イタリアの国旗が,あの紋章の入ったやつで,イタリア王国の頃の話だと言うことは分かる。Wikipediaによると,
1861年4月15日、サルデーニャ王国の国旗は、新たに建国されたイタリア王国の国旗となった。トリコローレの中央にサヴォイア家の紋章を取り付けたこの旗は、1946年6月に王政が廃されるまでの85年間、イタリアの国旗であった。
とあるように,この紋章が入ったヤツがあれば,そのお話は,1861-1946のイタリアが舞台であることの証明となる。
さて,ドラマの内容は好青年に心引かれる芸術家の話。今ではこういう話も,まあ,見てもいいかと思うけれども,ずっと前にこういう話を書いたトーマス・マンさんがすごいな。というか,日本でも昔から男色系の話はないことはないか。
《NHKプレミアムシネマの解説を転載》
イタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督が、ノーベル賞作家トーマス・マンの小説を映画化。
マーラーの交響曲第3番、そして第5番、 全編を彩る甘美な旋律も忘れがたい名作。作曲家のアッシェンバッハは、静養のためベニスを訪れ、ホテルに同宿するポーランド貴族の少年タッジオの美しさに心を奪われる。理想の美を追い求め、自らの命を削っていくアッシェンバッハ。その苦悩と歓喜を、ヴィスコンティ監督ならではの美学で描く。 -
素晴らしい映画だった
老と若、不純と純粋、生と死・・・そして美
全てのシーンに耽美さと、そして妖しいゆらめき。
グスタフの美の追求を、今までに築き上げ追い求めてきた美をすべて根底から覆したのがタージオだったのではないだろうか。
今まで見たどんな作品よりプラトニックで耽美だった。言葉では言い表せない。もう一度見る。 -
わしのベスト2である。
映画というものは映像と音楽だけで十分楽しめるということがわかる作品じゃ。遠景から近景への移動の間、老人の表情の微妙な変化、華やかさと孤独の対称、美しい避暑地に忍び寄る死の影、白い消毒液、突然崩れるようにしゃがみ込む男、笑い狂う芸人、そして美しい少年。
死の場面で流れ出す悪夢のように重苦しいマーラーの音楽こそ老音楽家が求めていたものかもしれない。