- Amazon.co.jp ・映画
- / ISBN・EAN: 4988126208240
感想・レビュー・書評
-
この作品では人間とアンドロイドが共に暮らす世界を描いたお話です。アンドロイドが当たり前のように普及し、見かけでは頭についたリング以外ではそっくりそのまま人間のような姿のアンドロイドがあちこちにいる、そんな世界。アンドロイドは人間に対して絶対服従で、どんな扱いをしても文句は言わず、むしろ主人である人間がアンドロイドを人間のように扱えば「ドリ系」(アンドロイドに依存している状態)として気持ち悪がられ、蔑まれてしまう世の中。
家にいる女性型アンドロイド・サミィが自分の命令以外の場所に出向いていることを彼女の行動記録から知った主人公・リクオ。それを辿り、行き着いた先は「当店内では、人間とロボットの区別をしません」というルールを掲げる喫茶店「イヴの時間」だった。そこではその場にいる客たちが人間なのかアンドロイドなのかまったく区別することができず、世の中の「当たり前」が通用しない場所だった。どんな想いでサミィはここにきたのか。カフェにいる誰がアンドロイドで、誰が人間なのか。彼らはどんな想いで、どんないきさつでここに辿りついたのか。そんな疑問を抱えながらリクオは友人のマサキと共に「イヴの時間」に通いつめます。「イヴの時間」の客たちとの交流のなかで、アンドロイドとの付き合いかたやアンドロイドに対しての考え方が変わっていくリクオ。クスリと笑える箇所がたくさんあり、感動し涙する場面もあり、心があたたかくなるとともに日本の未来について考えさせられます。人の視線を追うようなカメラワーク、丁寧で細やかな心理描写が一枚一枚のショットや声優さんの演技の節々から感じ取れる、素晴らしいアニメーション作品です。
近代化が進み、ロボット工学も発展しつつある現在の日本が、この作品のなかで取り上げられる問題に直面することは、そう遠くない未来かもしれません。
心から観てほしい!そう思った作品です。
P.S.声優さんも演技派揃いの豪華キャストですので、ぜひそこにも注目あれ^^詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
未来、たぶん日本。
ロボットが実用化されて久しく、
人間型ロボットが実用化されて間もない時代。
ロボット倫理委員会の影響で、人々はそれを“家電”として扱うことが社会常識となっていた。頭上にあるリング以外は人間とまったく変わらない外見に影響され、必要以上にアンドロイドに入れ込む人々は“ドリ系”と呼ばれ社会問題とされるほどである。
高校生のリクオも幼少の頃からの教育によってアンドロイドを人間視することはなく、便利な道具として利用していた。ある時リクオは、自家用アンドロイドのサミィの行動記憶の中に奇妙な言葉が含まれている事に気づく。
親友のマサキとともにサミィの足跡をたどると、そこには「人間とロボットを区別しない」というルールを掲げた奇妙な店が広がっていた…。
wiki -
面白かったです。続きが気になります。
アンドロイドが実用化されて随分経ってるっぽい世界、アンドロイドへの想いは人それぞれ。
アンドロイドの、人間への想いもそれぞれ…“アンドロイドと人間を区別しない”カフェ『イヴの時間』で、いつも平坦に見えるアンドロイドが生き生きとしているのはちょっと怖かったです。
人間みたいに見えるけど何を考えているかわからない、というのが怖いんだろうな。。マサキのお家にいるアンドロイドみたいに丸っきり形が違ってたらそうでもないんだろうけど。
リクオとマサキのやり取りは面白かったです。ぽんぽん会話する。
ふたりとも、この作品でちょっと変われたし。。
エンドロールでカフェの店主さんの過去話が展開されるのも面白かったです。
エンドロール後はびっくり……倫理委員会?とのあれこれは出てきたものの少しだけだったので、続きが観たいです。気になる。 -
誰かが何かを大切に思うとき、それに何かとの間に差は無くてという優しいお話。
誰かを敬うのは当たり前なのに、難しくなっている -
想定外の行動を取るアンドロイド・サミーに対して憤るリクオのシーンが印象的。
何かに対して憤る時、私は他者を所有物のように扱っていないだろうかと考えさせられる。
また、物に対する愛着という視点で見ても面白い。"モッタイナイ"のように、古くから物を大切にすることは肯定的に捉えられてきた。しかしながら、同時に物に愛着を持ちすぎることは執着として捉えられる。なんだかそのギャップが興味深く感じた。 -
劇場版にする時に端折ったところがあるそうで、ちょっとわかりにくいところがある。けれどSFで有名なロボット三原則をうまく使い、人間とロボットとの愛や共存について考えさせられる話になっている。昨今もAIの話で盛り上がっているけれど、デジタルに感情はあるかは永遠のテーマなのかも。
-
「実はこのシーンの背景には、こんな事実が隠されてます」
鑑賞後に調べてみると、本作にはそんなメッセージがいたるところに隠されているようです。
まったく前提の知識がないまま鑑賞してしまった自分にとっては、様々な点でクエスチョンマークがつく本作。謎が謎のまま終わる。鑑賞後モヤモヤが残る。 -
アンドロイドとの感情の交換は成立するのか。すぐさま似通ったテーマの『Her』(スパイク・ジョーンズ監督)を想起しながら観るも、『イヴの時間』のほうがもうちょっといやらしいというか、まわりくどく「深い」問題を内包していると思われた。
男のヒューマンに対してガイノイド、女のヒューマンに対してアンドロイドがペアのようにあてがわれている設定で、いかにも命令口調・束縛思考であることがいやらしい。
「アンドロイド」という形態を借りてはいるものの、これはもう人間の問題でしかないのではなかろうか。勝手に俺の知らない場所へ行くな、料理の味を変えるな、指示なくして話すな…。時代を経てもこびりついたままの、エゴの塊が「アンドロイド」というテーマをつかって表出しただけのように思われる。
それと同時に、アンドロイド(性別を意識しない用語としての)に対する思慕の念は、もはや我々のリアルな世相のほうが『イヴの時間』よりも発展しているはずだ。
フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』、夢野久作の描く大記憶。そうした「夢」や「記憶」をめぐる人間の(と、本人たちが我がものと思い込んでいる)ものがたりは、どれほど確かなものなのだろうか。
ヒューマンがもつ肉体に宿る脳神経により生み出される、とされている記憶や夢。それがはたして、自分の内なるものから生み出されているものではないと、誰が断言できるだろうか。
アンドロイドの立場をたしかにするのではなく、人間としての自分の意識の不確かさを改めてたしかにするような、そんな観賞であった。 -
アンドロイドが家庭にも普及して家事をやる世界。
家事は出来るが自我はないレベルのはずだったが
、実はとっくにシンギュラリティを迎えていて、密かにアンドロイド同士で交流してたりする。
作業用ロボットとして見下される存在のアンドロイドに感情移入する人は変態扱いされるという世情は、実際に人型ロボットが普及したらそうはならんだろと思う。
人の形してれば人扱いするのが人間ですよ。
が、被差別層を描く視点だと思えばまあ・・・。
10年前には人格を備えていたレベルの人工知能が完全に普及しているのに、社会的に認知されていないのは無理ありすぎるでしょ。
ということでSF的には厳しい。
人情ものとしてはそこそこ。
ハウスロイドが主人を思うあたりは好きよ。