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- / ISBN・EAN: 4988111286895
感想・レビュー・書評
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是枝監督がカンヌのパルムドールを獲ってから、Twitterの一部で左右の人たちが若干荒れてたので色々と考えてた。丁度そのタイミングで放映されたので、久しぶりに『羅生門』を観た。戦後、日本映画が海外で初めて高い評価を受けた作品。
今回初めてデジタル修復版を観たんですが、映像も良いけど前回すごく聴きとり辛かった音声がかなり良くなってたと思う。
ただ、個人的に『羅生門』はそこまで面白い作品だとは思ってない。黒澤作品だと他にもっと面白いのあるよなぁ……と。そこでけっこう引っかかる。
Wikipediaを見ると、黒澤さん本人は
「日本映画を一番軽蔑してたのは日本人だった。その日本映画を外国に出してくれたのは外国人だった。これは反省する必要はないか。浮世絵だって外国へ出るまではほとんど市井の絵にすぎなかったよね。我々は、自分にしろ自分のものにしろ、すべて卑下して考えすぎるところがあるんじゃないかな? 『羅生門』も僕はそう立派な作品だとは思っていません。だけど、「あれは まぐれ当たりだ」なんて言われると、どうしてすぐそう卑屈な考え方をしなきゃならないんだって気がするね。どうして、日本人は自分たちのことや作ったものに自信を持つことをやめてしまったんだろう。なぜ、自分たちの映画を擁護しようとしないのかな? 何を心配してるのかなって、思うんだよ。」
と、言ってる。「そう立派な作品だとは思ってない」と。この発言で重要なのはその点ではないけど、是枝監督がパルムドールを獲ったことにダイレクトに繋がってるから救われる言葉。68年も前なのにね。
他、自分が引っかかったところはWikipediaにだいたい書いてることが多い。太陽を撮るシーンだとか、あと三船の顔にレフ板の反射をすごく強く当ててるなぁと思ってたら、レフ板ではなく鏡だったりとか。
この映画はそんなに面白くないのに、なぜ海外で評価されたのか?色んな要因があると思う。日本的なものが珍しくて新鮮だったからだとか、イタリアがネオレアリズモ期だったりとか。
別件で聖書のことを調べてるときに、なんとなくアダムとイヴと蛇が、『羅生門』の男と女とミフネに重なって見えてきた。聖書は「私はやってない」、『羅生門』は「私がやりました」だから逆なんだけど。
原案の原案は日本のものなのでどうなのかわからない。普遍的な話でもある。だが原作の芥川龍之介はキリスト教に影響を受けた作家として有名ですよね。もしかしたらそういう部分が、カトリックの人たちにとっては受け入れ易かったのかもしれない。
普遍的な部分は、男と女の話であるから。男性、女性、性についてのことは、僕自身もずっと考え続けてることでもあります。
聖書を調べてた理由となった映画は『ブルーズブラザーズ』だったんだけど、その点でも男性と女性についてのことでありました。
そんなわけで、芥川を読みたいなーって気分になっている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
人の心は不可解なもの
真実ではなく思考すること
負の感情が入り乱れ世の人が悪に見える
人とは人間とはどれだけ汚れても
逞しく生きるものだ
優しさや哀れみをなくしても
なお生きていかねばならぬ
がそれをなくした人間は人間ではなくなるのかも知れない
悪だ鬼だ!
だかこそ最後のカットが心を打つのだと思う
修羅の場になってこそ人が人としての本質が出るのだと
誰もがそうであってほしい
人をやっぱり信じたいです -
自分の体裁を繕うための嘘
誰だって自分が一番大事で平気で他人を陥れ見捨てる
ズンズズズズンというボレロ調の音楽に追われるように
錯綜する人間の浅はかさエゴイズムが暴かれていく……
ラストに一部始終を目撃していた志村喬と
立ち会うことになってしまった千秋実の
二人が人を信じる心を思い出すシーンで、人間はまだ捨てたもんじゃないのだと、かなり救われた気持ちになった
ギラギラに野性味あふれる女好きの悪人、実はヘタレな三船敏郎
しとやかで妖艶な魅力のある武士の妻、実は気性の激しい女な京マチ子
黙っていればイケメンな武士、だけど実はカッコ悪い森雅之
自分を良く見せるための嘘の人物像と
その真逆の本当の人物像
この二面性を演じ分けがすごいなと思う -
【コメント】
人間というものを描いている。
*** 物語の展開が面白い。
羅生門の雨宿りでたまたま居合わせた三人。
ちょっとした暇つぶしのつもりの立ち話は、
人間の性(さが)に分け入っていく。
*** 古さを感じさせない
1950年の映画の割には古さを感じさせない。
デジタル版ということもあるのかもしれないが、
白黒なのに、光や雨の描写が瑞々しくて印象的だった。
*** オリジナルのオリジナル
映画のオリジナルは、芥川龍之介の「藪の中」で
はあるが、そのまたおおもとは平安時代に編纂された
今昔物語なのだそうな。(参 wikipedia)
【内容】
羅生門に雨宿りで顔を合わせた三人が、
雨が上がるまでの暇つぶしにと、最近おきた
殺人事件について話題にする。
その殺人事件では、不可思議なことに
容疑者達がみな自分が加害者だ!と言い張るのだ。
(尋問するために巫女に憑依させた)被害者までも
自分で自殺したのだ!と言い張る始末…
いったいどうしたことなのか?
と皆、首をひねることに。 -
三船敏郎の顔面説得力。光の使い方が相変わらず凄い。ただストーリーが「羅生門」でなく「藪の中」だったのは知らなかった。志村喬いい顔してるなあ。
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制作年:1950年
監 督:黒澤明
主 演:三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬
時 間:88分
音 声:日:ドルビーデジタルモノラル
平安時代。
ある森の中で侍とその妻が盗賊に出くわし、侍が命を落とした。
やがてこの事件は検非違使のもとで裁かれることになるが、当事者である盗賊や侍の妻らの言い分は大きく食い違っていく。 -
主観と客観。
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映画館の京マチ子特集で見ました。
主演は京マチ子、三船敏郎という豪華メンバーであったけど。だまされて樹に結び付けられる森雅之さんの眼が一番印象的でした。あと、巫女さんの演技が怖かった。
京マチ子は眉毛をそってオーディションに現れたとか。このころの日本演劇界って、すごく「ガラスの仮面」の世界に近いのですね。