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- / ISBN・EAN: 4523215038508
感想・レビュー・書評
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歴史的名作!!!
コメディとしての面白さとヒューマンドラマとしての感動が一つの映画の中で楽しめます。公開は1940年ですが、当時にこれほどまでファシズムを痛烈に批判できた見識の高さは驚きです。
ヒンケルが地球儀で遊ぶ(?)有名な場面はチャプリンの見事な動きに魅了されます。そして何より、最後の演説の場面。この場面を観ると「チャプリンはこれがやりたくってこの映画を作ったんだろうなあ」とつくづく思います。
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本来、人生の生き方は自由で美しい。
ラスト演説の印象が強烈。コミカルな演技の動きのキレも秀逸。それにしても、この時代にこの作品を作ったチェップリンの偉大さに脱帽する。 -
神話的な評価のチャップリン代表作
ラストの演説でまくるんですが
それまでが退屈すぎて -
単純に見ていて不愉快になる作品。
ユーモアを交えてる風だが笑えるところがない。
批判性とメッセージ性が強すぎる。
娯楽作品としては見れない。
こういう作品は好きではないが、チャップリンは凄いと思う。 -
おすすめされて見たいとずっと思っててようやく見た。
字幕がない部分はデタラメな言葉だったのかなー。
自分が分からない部分でチャップリンが込めたいものとかがもっと詰まってるんだろうなと思う。もっと深く理解できたらなあ。
最後の演説シーンで一気に引き込まれました。これをあの頃の時代に作ったんだからすごいなあ、と心底思う。 -
あの時代にこの映画を作るのはすごいことだと思います。チャップリンは本当に素敵な方です。
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BSで放映されていたのを見ました。
(あらすじ:ウィキペディアより転載)
映画は第一次世界大戦における戦場の場面から始まる。チャップリンは、架空の国トメニアの陸軍重砲部隊に所属する無名の二等兵(以下、役名を「床屋のチャーリー」とする)として登場する。前線で味方とはぐれた床屋のチャーリーは負傷した士官のシュルツを救出するとともに、シュルツが所持している重要書類を本国に届けるべく飛行機で飛び立つが、二人の乗った飛行機は燃料切れにより墜落してしまう。墜落を生き延びた二人は友軍に重要書類を届けようとするも、トメニアがすでに降伏していたことを知り大いに悲しむ。
抱腹絶倒の飛行機の場面。逆さづりの状態で撮影された一方、床屋のチャーリーは墜落のショックで記憶を失い、以後の20年を病院で過ごすことになる。この20年の間にトメニアは政変が起こり、アデノイド・ヒンケル(チャップリン:一人二役。なお、床屋のチャーリーと顔が似ているのは「偶然」である)が独裁者として君臨し、内務大臣兼宣伝大臣ガービッチ(ヘンリー・ダニエル)と戦争大臣ヘリング元帥(ビリー・ギルバート)の補佐を受けつつ、自由と民主主義を否定し、国中のユダヤ人を迫害した[2]。
床屋のチャーリーは病院を抜け出し、ゲットーにある自宅に戻ってくる。しかし、本人は20年の時間の経過を理解しておらず、ほこりが積もった理髪店のありさまに呆然とする。彼はヒンケルの手先である突撃隊が自分の店の窓にペンキで塗った「ユダヤ人のレッテル」を消そうとして、突撃隊に暴力を振るわれる。現在の政治状況について何も知らない床屋のチャーリーは突撃隊に反抗したところ、大勢の突撃隊に私刑を受け、吊るし首にされようとしたが、かつて命を助けたシュルツが偶然に通りかかる。
独裁者ヒンケルが地球のバルーンをもてあそぶ、有名な場面シュルツはヒンケルの信頼も厚く、今では突撃隊長となっていた。床屋のチャーリーがユダヤ人と知って驚いたシュルツであったが、以前助けられた恩から、突撃隊に床屋のチャーリーと彼の恋人であるハンナに手を出さないよう部下に命じた。
ヒンケルはオーストリッチ[3]侵略を企て、ユダヤ系の金融資本から金を引き出すため、ユダヤ人への抑圧政策を緩和した。急に「人間らしく」なった突撃隊員たちを目の当たりにして、ゲットーの住人はヒンケルが自分たちに市民権を返してくれるのではないかという淡い期待を持った。しかし、資金援助を断られたヒンケルはユダヤ人に対して怒りを露わにし、シュルツにゲットーを襲うように命令する。これに対し、シュルツはユダヤ人迫害は党の利益にならないと反対したため、ヒンケルは落胆しつつも彼をすべての役職から解き、強制収容所にぶち込んでしまう。そして、ラジオ放送においてユダヤ人への怒りを露わにした演説(?)を行い、ユダヤ人迫害を再び強化する。
床屋のチャーリーと恋人ハンナシュルツが失脚したことを知った突撃隊は、床屋のチャーリーのせいだと思い込んでゲットーへの襲撃を行い、床屋のチャーリーの店は破壊されてしまう。これらを受け、ハンナは隣国オストリッチへの亡命を思い立つ。強制収容所から脱出したシュルツはゲットーに逃げ込み、ヒンケル体制の転覆を計画したが、事前に発覚して床屋のチャーリーとともに捕まり、また強制収容所に送り込まれてしまう。また、ハンナと彼女の両親ら床屋のチャーリーの近所の人たちはオストリッチへ亡命同然に避難をし、オストリッチでヒンケルに迫害されない新たな生活を迎えようとしていた。
しかし、世界の皇帝として君臨する野望を抱くヒンケルはオストリッチへの侵略を諦めていなかった。ヒンケルのオストリッチ侵略計画は、近隣国バクテリアの独裁者であるベンジノ・ナポロニ[4]によって反対され、2人の独裁者の間で激しい交渉(および食べ物を使った喧嘩)があり、両者はいったん妥協するが、ヒンケルは妥協を反故にして遂にオストリッチ侵攻を決行した。
チャーリーとヒンケルは入れ替わってしまうオストリッチに脱出していたハンナたちは再びヒンケルの支配下に置かれ、深い悲しみと絶望の淵に追い込まれることになった。 シュルツと床屋のチャーリーはトメニアの軍服(ナチスの鉤十字に似せた双十字が特徴。英語の"double cross"には「裏切り」の意味がある)を着て、強制収容所から逃げ出した。このとき、床屋のチャーリーの外見がヒンケルにそっくりだったこと、かつてヒンケルに重用されていたシュルツを従えていたことから、将兵たちは床屋のチャーリーを本物のヒンケルと間違えてしまった。
ヒンケルに代わって、チャーリーはラジオで一世一代の演説を行う逆にヒンケルは侵攻に備えて、狩猟旅行を装ってオストリッチ国境付近で単身待機していたところを、脱走した床屋のチャーリーと間違えられて配下の兵士に逮捕されてしまう。
床屋のチャーリーはヒンケルと間違えられたまま、トメニア軍に占領されたオストリッチの首都へ連れていかれる。ガービッチが演説を行い、言論の自由や民主主義を否定し、ユダヤ人や黒人は劣った民族であるとして「ヒンケル」にただ服従せよと迫る。それに続いて演台にに立った床屋のチャーリーは、人種の壁を越えた融和を訴え、ガービッチとは全く逆のヒューマニズムに基づく演説を行う。兵士たちの拍手喝采の中、チャーリーは絶望に泣き崩れるハンナへラジオを通じて語りかける。希望を感じさせながら物語は幕を閉じる。
チャップリン映画初のトーキー(肉声)映画。明らかにドイツの独裁主義を風刺した内容でしたが、当時はまだ世界的にはナチ=悪という感覚はなかった時代に、これだけの批判精神あふれた作品を作ったというのは、チャップリンの感性は素晴らしいものがあります。
この作品を見ると、メッセージももちろんですが、随所に出てくるギャグの数々は、日本のお笑いにも大きく影響を与えているな、と思います。
例えば冒頭の、砲弾に追いかけられるシーンや飛行機でのやり取りなど、明らかにドリフターズのコントでも見られるし、ヒンケルとナポロニのやり取りなどもコント55号っぽいし、とにかく娯楽作としても面白い内容となっています。
最後の有名な演説シーン、話には聞いていましたが、鬼気迫る演技で、チャップリンのこの映画にかける熱意を感じます。
しかし、チャップリン当時51歳。この年齢にしてこのドタバタアクションは素晴らしいの一言です。 -
チャップリン