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- / ISBN・EAN: 4988003807597
感想・レビュー・書評
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「イディオッツ」とは直訳すると「馬鹿」となる。だがこの「馬鹿」とは誰のことなのか。この映画では登場人物は知的障害者を演じるが、知的障害のある人間がそのまま「馬鹿」なのか、それともそういう障害者を演じて社会に迷惑を掛けることを楽しむどうしようもない愚鈍さこそが「馬鹿」なのか。そんな彼らに対して偽善的に対応することしか出来ない周囲の人物こそが「馬鹿」なのか。それともラース・フォン・トリアー自身が己が「馬鹿」であると居直っているのか。なかなか難しい問いだ。ストーリー性に欠けるきらいがあり、冗漫なところが評価出来ないのだけれど投げ掛けている問いの深さからこの点数になってしまった。私もまた「馬鹿」として生きている身であり、彼らに対して(あるいは彼らに対応する行政や健常者に対して)共感を抱かなくもなかったからである。あと、この映画はユーモアがない。そこも苦しい。
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つまらなかった。
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鬼才、ラースフォントリアーの問題作。本当に問題な作品。
「内なる愚者」=「汚れを知らぬ存在」? -
だれのこころのなかにも、ひとりの薄痴が棲んでいる
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愚かさを生きることについて描かれた作品 とても苦しくなったし、痛みでいっぱいになる映画だった。自分ではない自分を演じる、しかも弱者を演じる愚かさ。それは人間として一番開放されたかたちなのかもしれない。しかし、それを自分の日常生活に戻すと、成立しなくなる。
最後に収録されてた俳優のインタビューを聞くと、さらに追い打ちをかけるかのように辛くなります。特に撮影で本物の障害者と触れ合った時の感想とか、生々しくて、演技を忘れているって答えていた部分はそのシーンを見返すと辛い。
現実にはタブー視されることを実現できる。映画の醍醐味を感じることのできた作品でした。ラース・フォン・トリアー天才。一種のユーモアですよね -
馬鹿になって自分の日常を破壊するのは怖い、一人ひとりはびびる腰抜け小市民でも、巻き込まれ、強引な馬鹿の王様に命じられた集団になれば、他人の日常を破壊するのは嬉々としてなんでもやっちゃう。
子供の死による女の悲嘆からの回復プロセス、逃避、逸脱、自己破壊はアンチクライストにも共通するテーマかな無理に結び付けたら。
小道具をなるべく使わないルールの中でドキュメンタリータッチでフィクションを撮る手法はまったく違うけど。