・園子温監督作品。第59回ベルリン映画祭カリガリ賞、国際批評家連盟賞を受賞。上映時間237分。
・園子温監督作品。第59回ベルリン映画祭カリガリ賞、国際批評家連盟賞を受賞。上映時間237分。
・盗撮のプロの自伝的映画。父親は神父をやっている変態少年ユウは、父の愛人の娘ヨーコと恋に落ちる。父、愛人、ヨーコはカルトの新興宗教に入信。一言でいうと、変態がカルトにはまった恋人を取り戻す映画。
・満島ひかりがヒロインを憑依したような演技で熱演。ユリイカ2012年5月号「テレビドラマの脚本家たち」の脚本家坂元裕二のインタビューを見たら、坂元さんはこの映画を見て、満島ひかりの「それでも、生きてゆく」出演を希望したという。
・満島ひかりは、同じく坂元裕二脚本「Woman」の主役にもなった。「Woman」には、園監督の映画「ヒミズ」でヒロインをやっている二階堂ふみも出演している。坂元さんと園監督は目指すところというか、志向が一致しているのかも。
・園監督の映画「紀子の食卓」「愛のむきだし」「冷たい熱帯魚」とみてきたが、どの作品にもヨーコという名前の女性が出てくる。ヨーコという名前は、監督にとって特別な名前みたい。村上春樹の小説に直子という名前、あるいは名前は違っても、直子風のヒロインが何度も出てくるように。
<印象的なセリフのピックアップ>
ユウ「こっちの世界に戻ってこい」
ヨーコ「こっちの世界って?」
ユウ「こっちの世界って現実だよ」
ヨーコ「こっちの方ってあんたの世界でしょ。こっちの方がよっぽど現実だよ」
ユウ「変態だね! 僕は確かに変態だ。でも確かにお前から見れば」
ヨーコ「お前って言うな」
ユウ「君から見れば」
ヨーコ「君からじゃねえよ。誰が見たっててめえらみんな変態だよ」
ユウ「今誰が見たってって言ったよな。それがまともな意見ってやつだよ。いいか聞いてくれ。お前がな、誰からも認められるような人間になるとは思っていない。ただあの宗教にだけは入ってほしくないんだ」
ヨーコ「コリント書の第13章知ってるか」
ユウ「知らない」
ヨーコ「最高の道である愛。たとえ人間の不思議な言葉、天使の不思議な言葉を話しても、愛がなければ私は鳴るドラ。響くシンバル。たとえ預言の賜物があり、あらゆる神秘、あらゆる知識に通じていても、愛がなければ私は何者でもない。たとえ全財産を貧しい人々に分け与え、たとえ賞賛を受けるために自分の身を引き渡しても、愛がなければ私には何の益にもならない。愛は寛容なもの、慈悲深いものは愛。愛はねたまず高ぶらず怒らない。見苦しいふるまいはせず、自分の利益を求めず、怒らず、人の悪事を数え立てない。愛は決して滅び去ることはない。預言の賜物ならばすたれもしよう。不思議な言葉ならばやみもしよう。知識ならば無用となりもしよう。我々が知るのは一部分、また預言するのも一部分である故に完全なものが到来するならば、部分的なものはすたれ去る。私は幼い子どもであった時、幼い子どものように語り、幼い子どものように考え、幼い子どものように思いをめぐらした。一人前の者になった時、幼い子どものことはやめにした。我々が今見ているのは、ぼんやりと鏡に映っているもの。その時に見るのは、顔と顔を合わせてのもの。私が今知っているのは一部分。その時には、自分がすでに完全に知られているように、私は完全に知るようになる。だから引き続き残るのは、信仰、希望、愛、この三つ。このうち最も優れているのは、愛。お前はこんなセンテンスも知らない。あんな色欲牧師と一緒に暮らしていたから、聖書のことですらちゃんと把握していないわかる? 神様のこと何も知らないってことだよ」
ユウ「色欲牧師って父さんのことか」
ヨーコ「そうよ。今は彼も治療されつつあるけど」
ユウ「いくらなんでもそんな言い方はないだろ」
ヨーコ「お前さ、あいつといて神について考えたことあったわけ」
ユウ「じゃあ教会で後で一緒に語り合おう。そんなに神とともにいたかったら、みんなで一緒に教会で、神について語り合おう。だから」
ヨーコ「だから今ゼロにいんだよ!」
ユウ「ゼロは神の教会じゃない。あれはまやかしだ」
ヨーコ「お前はまやかしじゃないのかよ!」
ヨーコ「僕は変態だけどまやかしじゃない。変態なりにきちっと生きてる。僕は、君が神を求めるなら釈迦でもマホメットでもキリストでもいい。でもまたゼロ教会のことだけは聞いてくれるな。あれは、釈迦でもマホメットでもキリストレベルでもいない。ただの嘘つきだ」
ゼロ教会のボス「ユウ君だっけ。君は本当にダメ男ですね。すぐに勃起する」