スローフードな人生! -イタリアの食卓から始まる-(新潮文庫) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • スローフードを見直す必要があると思った。
    「子供たちのアトピー、若者たちの骨粗鬆症、うつ病に悩むサラリーマン、サラリーマンの過労死、環境ホルモン、男子の生死の減少、名前を持たない現代病」などは、食からきていることも多い。
    著者はイタリアに行って、スローフードの発祥の地で、スローフードを考察する。日本にスローフードについて、正確に伝えようとした本である。実に、食に対して奥行きのある本だった。
    スローフードとは食文化のことである。単純にファーストフードの反対ではない。ただゆっくりと時間をかけて食べれば良いと言うことでもない。その地元の特色のある食べ物を維持し継続していく。食の文化を継続することにある。食べる事は、体に栄養を取り込むだけの作業ではない。それはコミニケーションの手段である。生活習慣と自ら置かれた状況そして行動の表れでもある。
    スローフードとはすべては関係性の問題。人と人、人と自然。他者といかにコミニケーションをとっていくか。大地の恵みをどうやって口まで運ぶか。そういう根源的な関係性の問題の根底に〈食〉と言うものがある。アメリカ的なファーストフード マクドナルドの進出つまり世界的な規模の食の均一化が起こってしまえば、自分たちの立脚する文化そのものの喪失であり、豊かなコミニケーション手段としての食の喪失となる。
    イタリアで提唱されたスローフードとは、
    ①消えて行きつつある郷土料理や質のよい食品、ワインを守ること。
    ②質のよい素材を提供してくれる小生産者を守っていくこと。
    ③子供たちを含めた消費者全体に、味の教育を進めていくこと。
    子供の好き嫌いの激しさはごくわずかな幅の味の体験しかないことからくる。
    ともに食べることは、ともに生きること。
    「この地方の支部のことを、僕らはコンヴィヴィウムと名づけているんだ。コンヴィヴィウム、Convivium という言葉を知っているかい? イタリア語のコン・ヴィーヴェレ Con-Vivere、他者とともに生きるという動詞があるだろう。それと起源を同じくするラテン語なんだ。いいかい、常に僕らの念頭にあるのは、この他者とともに生きるということなんだ。それと、この言葉には、有名なダンテの『饗宴』(原題はConvivio)ではないが、共食、ともに食べるという意味もあるんだ。つまり、ともに食べることは、ともに生きることと同義なんだよ」

    ローマにおけるマクドナルドの反対運動は、伝統の味を守る。古代遺跡の宝庫のような特殊なローマの環境保護の立場から、ファーストフードは街の風紀と環境破壊する。旧市街の品位を落とす。マクドナルドは、ケチャップ帝国主義だ。トマトソースに甘味料や化学調味料を混ぜたソースを広げることになる。イタリアでは、マクドナルドの反対運動があったのだが、日本では最も簡単に歓迎されたのは、なぜなのかは、分析する必要がありそうだ。
    言葉を探り当てるのがうまい著者である。とても、切れ味のいい言葉が並んでいる。
    豊かな暮らしぶりは、良い食べ物から培われる。
    ファーストフードはアダルトチルドレンを作るシステム。
    食事と言うのはコミュニケーションの手段で異文化との無言の対話
    マクドナルド化とは、レストランの不確定要素を削ぎ落とすことになった。料理人を不要とし、複雑なオーダーをなくした。数種類のバーガー、飲み物、ポテトフライで構成する。チェーン店化し、大量に仕入れることで、単価を大幅に下げることができる。それは合理主義の不合理を生み出す。
    ここまででも、十分にスローフードのあり方がわかる。

    ピエモンテ州のバローロのワインについての物語が、面白かった。イタリアには、2000種近くある。ぶどうの代表的なものは、ドルチェット種は紅葉し、モスカート種は黄色くなり、ネッビオーロ種は紅葉しない。秋の霧が出る頃にぶどうは熟す。ピエモンテ州のワインはネッビオーロ種で作られる。
    ここで出てくるエリオアルターレ。父親の作るワインは、ぶどうは化学肥料で量産を目指した。1ヘクタールで5トンだった収穫量が20トンにもした。そして、50年から100年の古い樽を使っていた。
    しかし、フランスのブルゴーニュ地方のワインは、父親の作るワインと比べて、100倍の値段だった。そのことを息子のエリオは、ブルゴーニュに行きそこで学ぶ。そこでは、量ではなく質を目指していた。エリオは、ぶどうの収量を上げるのをやめ、化学肥料を使うのをやめ、剪定して美味しいぶどうを作るように心がけた。ぶどうの樹を剪定する息子を父親が怒った。「お前たちの世代は飢えと言うものを知らない。お前は神の恵みを捨てるのか。」と、エリオはいう「大量の化学肥料を使い、神の恵みの質を落としていたのだ」そして、古い大きな樽も、えぐみの原因になると思って、小さな樽を使って、エレガントなワインを作るのだった。エリオのワインは、父親の作ったワインより、イタリアの人々に愛された。エリオは、「偉大なぶどうなくして、偉大なワインなしだ」と言う。
    なぜか、心があたたまる話だった。
    イタリアのスローフードは、ウィンを抜きにして語れない。地域によって、ワインが違い、ワインに合った料理が作られている。なるほど、日本はスローフードは、発酵がキイワードになるのだね。いいこと教えてもらった。

  • 腕時計を持たない。次の約束のために今の時間をおろそかにしたくないから。
    携帯電話も持たない。通話じゃなくて会話をしたいから。
    煙草も2年前にやめた。
    最近若い女性が多く吸い始めたけど、それを見てすごくとても醜いと思ったから。

    車は未だに '88年型のローバーミニ。
    「AAA」だの「AAAA」だの誰かが決めた規準じゃなくて自分の好き嫌いで選びたいから。

    こんな私の生き方もあるいは「スローフードな人生」なのかも知れない…と、(手前味噌だが)この本を読んで思った。


    端的に言ってしまえば、「『食べること』を通して世界の有り様を考えよう」というのが「スローフード運動」だ。「スローフード」という言葉を「ファーストフード」と対比させれば(正確ではないが)感覚的に解りやすいだろう。

    イタリアの片田舎ブラに本拠を置くNPO「スローフード協会」について書かれたくだりは、町おこし村おこしの活動にとても参考になる。特にブラの村祭りの様子はとても楽しそうで美味しそうで、わがまちのイベントにもぜひ採り入れたいと思うアイデアがいっぱいあった。

    また、この本は、これまで私が描いていたイタリアという国やその国民性についてのイメージを変えてくれた。たとえば国民の6人に1人が何らかのボランティア活動に携わっているそうだ。イタリア人が陽気なだけの怠け者だという噂は嘘だ。

    エスプレッソコーヒーをを飲ませる『バール』がどんな町にもある。しかしそこは単なる喫茶店ではなく、地域の寄り合い所みたいな機能を果たしている。すごく田舎では採算がとれないので地域の人が交代で店主を務める。イタリア人が脳天気な個人主義者だという噂は大嘘だ。


    それから、アグリトゥリズモ(農ある田舎の民宿)の話とか、殺人が増えたのは食べ物のせいではないかという話とかが、ユーモアあふれる口調で美味しい料理のレポートと一緒にちりばめてある。読んで損はない。

    グローバル化とは世界を均質化するものではなく、その地域性や固有の文化をお互いが知り認め合うことでなければならないと、改めて強く感じた。

  • スローフードやイタリアの農家に関するエッセイ集のような感じで、フワッと読めました。
    逆に、運動を体系的に学ぶのはちょっと難しいかな、と思いました。そもそもスローフードの運動がそれほど体系だっていなくて、家族経営の分散型農家に任されているからかもしれません

  • 食は悦び

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著者プロフィール

島村 菜津:ノンフィクション作家。福岡県出身。東京藝術大学芸術学科卒業。十数年にわたって取材したイタリアの食に関する『スローフードな人生!』(新潮文庫)はスローフード運動の先駆けとなった。著書に『フィレンツェ連続殺人』(新潮社、共著)、『エクソシストとの対話』(小学館、21世紀国際ノンフィクション大賞優秀賞)、『スローフードな日本!』(新潮社)他。最新作は『バール、コーヒー、イタリア人~グローバル化もなんのその~』(光文社新書)。

「2017年 『ジョージアのクヴェヴリワインと食文化』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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