猫を抱いて象と泳ぐ (文春文庫) [Kindle]

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  • 文藝春秋
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感想・レビュー・書評

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  • とても静かで小さい少年の話。しかしチェス盤上の世界はどこまでも深く遠くまで広がっていた。
    祖父と祖母と弟、インディラ、マスター、ミイラ、ポーン、老婆令嬢、みんな優しくどこか物悲しい。
    とてもとても美しい話だった。

    「チェスは攻撃よりも、犠牲の形に人間が現れ出る」

    「最強の手が最善とは限らない。チェス盤の上では、強いものより、善なるものの方が価値が高い」

    「じゃあチェスをするっていうのは、あの星を一個一個旅して歩くようなものなのね、きっと」

  • 人形を操ってチェスを指す幻のチェス棋士・リトル・アリョーヒンの生涯を描いたフィクション。

    頭の良さと並外れた集中力・記憶力を備えた寡黙で孤独な少年・リトル・アリョーヒン(通称)は、上下の唇が癒着した状態で生まれ、唇を切り離す際脛の皮膚を移植したため、唇から産毛(脛毛)が生えていた。

    元バス運転手で寮の管理人を務め、回送バスに住む肥満男(マスター)と出会った少年は、チェスの手ほどきを受け、忽ち上達する。「ただの平凡なチェス指しだが、チェスとは何かという本質的な真理を心でつかみ取ってい」たマスターは、包容力があって教え上手。「チェス盤には、駒に触れる人間の人格すべてが現れ出る」、「チェスは、人間とは何かを暗示する鏡なんだ」、「最強の手が最善とは限らない。チェス盤の上では、強いものより、善なるものの方が価値が高い」などと少年に教え込んだ。

    少年は、チェス盤の下に潜り込み裏から盤を見上げると、心が鎮まり頭が冴え、盤面が頭に浮かび、音で相手の指し手が分かるようになった(対座すると力を発揮できなかった)。

    マスターが亡くなった際、その巨体がバスの中に閉じ込められてしまったことから、体が大きくなることに恐怖を覚えた少年は、11歳の体のまま成長を止めてしまう(唇の産毛はどんどん濃くなった)。

    (いかがわしい)パシフィック・海底チェスクラブに乞われ、"リトル・アリョーヒン" 人形の中に入って(人形を操って)チェスを指すことになった少年(見た目は少年だが心と唇は青年)は、記録係を務めるミイラに心を寄せ、対局を通じ老婆令嬢と心を通わせる。その後、チェス連盟メンバーのための老人施設「エチュード」に移っても、人形とともチェスを指し続けた。

    奇妙で不思議な物語だったが、心に響いた。盤面に無限に広がるチェス・ユニバース、そして言葉不要の静寂の中で交わされる対局相手との心の対話が印象的だった。

  • 初めから最後まで胸が締め付けられた。
    でも、嫌ではなかった。

    最初のデパートの屋上から降りられなくなった象インディラの話から、もう胸が締め付けられてたまらなくなった。マスターが死んでバスから出られなくなって、吊り上げられた時も。ミイラが更衣室に消えていった、その意味を知った時も。ゴンドラでミイラとすれ違った時も。書いてる今でも苦しくなって泣きそうになる。

    全体的にずっと暗い感じの雰囲気だったけど、嫌な感じがしなかった。普通だと浮いてしまうような、でも静かに優しい人たちが周りにちゃんといたからかな。リトルアリョーヒン本人ももちろん、すごくすごく優しかった。

    ちょっと悔しかったのは、チェスを全く知らなくて、広い世界の端っこでも、分かりながら読みたかったなーと思った。ちょっとじゃないな、すごく悔しかった。

    小川さんの選ぶ言葉とか見える景色とか、静かな感じが好きだった。また好きな本に出会えた。良かった。

  • 母親が幼少の頃に亡くなったこともあり、少年は優しく思いやりのある祖父母に育てられた。
    少年の最初の友達は、デパートの屋上で飼われていた亡き「インディラ」と名付けられた小象だった。
    34年間、デパートの屋上で鎖に繋がれての一生を過ごすことになった「インディラ」へ思いを巡らすのが、少年の常となった。

    少年の家と隣の家との間には、狭い隙間があった。
    そこに入って行った少女は、その隙間から抜け出ることができずにミイラになってしまったと、大人たちは噂した。
    少年はミイラを少女の名前だと思い、寝る時に壁に向かって亡霊ともいえる小柄な少女の「ミイラ」に話しかけるようになり、二人目の友達となった。

    ある日、少年は廃車となったオンボロバスの中で、「ポーン」と云う名の猫と暮らす「マスター」に出逢い、彼からチェスの手ほどきを受ける。
    途端に少年はチェスに夢中になり、毎日オンボロバスに通ってチェスの指南を受けることになる。
    優しい「マスター」は常に甘いおやつを食するために巨漢となり、バスから出ることも出来ず、亡くなった時にはバスを壊して「マスター」を運び出さなくてはならなかった。

    「インディラ」、「ミイラ」、「マスター」と接して成長を恐れるようになった少年は、11歳から成長することを自ら止めてしまう。
    少年のチェスの腕前は飛躍的に向上し、大人の世界でも評判となるのだが、少年は自分の狭小の世界に閉じこもることを良しとしていた。
    少年は狭い世界の中で、雄大なチェスの世界を「インディラ」、「ミイラ」、「マスター」を仰ぎ見ながら泳いで生きてきた。
    深い大海で「インディラ」を仰ぎ見ると、鎖から解放された太い足を動かして自由に泳ぎ、隣では少女の「ミイラ」が踊るように泳いでいる光景を文章から想像させられる。

    過去の偉大な棋士「アリョーヒン」の名を引き継ぐことになった少年は、「リトル・アリョーヒン」と称されるようになる。
    しかし、「リトル・アリョーヒン」がチェスを指す姿を見た者は殆ど存在しない。
    同じ「リトル・アリョーヒン」と名付けられたカラクリ人形の中に入って、肉体の「リトル・アリョーヒン」はチェスを指していたためだ。
カラクリ人形の空間は、異様な程に狭小な世界に思えてしまうのだが、「リトル・アリョーヒン」にとってはきっと雄大な海原だったのだろう。

  • 小川洋子さんの作品レビューはこれで2作目です。
    私は小川さんの語り口や文体がとても好きなのですが、この本に関しては、読み始めて一度、ギブアップして積読となり、のちに(再度冒頭から)読了している、という経緯があります。

    「どういうワクワク、面白さを提供してくれるのだろう?」という気持ちを(無意識ながら)期待していたところに、その原因があるのかなと今では思うのですが、この物語は「受け身」であってはなかなか退屈なのではないか、と個人的には考えています。

    誰かの流した音楽をただ聞いているだけでは、その音楽の本当の意味や、一段奥の素晴らしさに気づけないのと似ている気がします。

    描写自体には複雑な言葉は使われていないのに、感受性を開きながら改めて眺めてみると、実にイキイキとした世界が広がっていることに気づかされます。
    小川さんの本は、たとえばそういった「読者自身の扉」のようなものを開きながら見る必要が多分にあるのでしょう。

    物語としてはチェスに出会った少年が、チェスに魅入られてその生涯をチェスに捧げる、といった斬新さは無いストーリなのですが、そこには出会いから冒険、そして別れといった雄大な流れがあり、同時に暖かく優しい空気が流れています。

    これは単純に「面白い」「面白くない」で語れる作品ではありません。個々の体験の中に”落とし込んで”味わうタイプのお話なんです。他の物語が単純に面白いかどうかで語れる、という意味合いではなく、他の物語よりも一層、そういった要素が強いということです。純粋にそこのみに絞られている、と言っても過言ではないかもしれません。

    出会いと別れの描写でも、猫のルークひとつ取っても、それぞれに見ている世界は違うはずで、読書が好きな人ほど、コツが掴めればこの世界を愉しめるはずです。

    ぜひ、冬は暖かい飲み物を置いてストーブの傍らで、夏は冷たい甘い物をお供に読んでいただきたい一冊です。
    あっ、でも甘い物はほどほどに……(笑)

  • チェスのルールを理解していない自分でも惹き込まれてしまう、美しい文体と情景描写が詰まった小説。

    大胆なストーリー展開は無いのに、チェスの一手一手をじっくり味わい、あたかもその場で同じ空気を吸っているかのように、圧倒的に秀逸で芸術的な文章。

    登場人物であるミイラという少女が一体どんな人物なのか最後まで判然としなかったが、主人公である少年の生き様、葛藤、そして「与えられた世界・宿命」の中でひっそりと、でも信念をもって生ききる姿に、じんわりと感動した。

    読み終わった後に残る穏やかな幸福感は今までにないものだった。

  • 「大きくなること、それは悲劇である」

    成長しすぎたことでデパートの屋上から
    おりられなくなった像インディラ。
    狭い壁の隙間から出られなくなった
    亡霊ミイラ。
    巨体ゆえに死後、回送バスから
    出せなくなったチェスの師匠マスター。

    これらにふれる主人公は成長を拒み
    リトル・アリョーヒンとして
    チェスの盤下で生きることを選ぶ。

    個性的な登場人物が繊細に描かれていて
    その特徴のひとつひとつが愛おしくなる。

    アリョーヒンは生まれた時、
    くちびるが閉ざされていた。
    それを医者が開いて口にした。
    物言えるように。

    世間では良いとされるような
    成長すること、
    饒舌に語ること、
    存在を主張すること、
    明るいこと…
    それらポジティブな事柄を強調する
    意味を問われているように感じた。

    成長しないこと。
    物言わないこと。
    存在しないかのような在ること。
    物静かであること。

    ネガティヴともとれる
    その生き方を許容してくれる空気感がある。

    小川洋子さんの繊細緻密な描写で
    様々なもの、場所、人が頭の中に
    鮮やかに描き出させる。

    心揺さぶられる作品だった。


  • 世間的には不遇と思われようが、主人公が少しずつ成長して、最後には自分の居場所を見つける物語。
    百貨店の象、壁のミイラ、師事したマスター、アリョーヒンの猫、主人公の捉え方と心理描写が秀逸。
    かなり没頭して読み、思わずチェスのスマホのゲームをダウンロードしました。「慌てるな、坊や」というマスターの声も頭に残りそう。
    最後は、運命に抗おうとする婦長の姿勢に涙しました。

  •  チェスを題材に、1人の少年の半生を描いた話

     私はチェスに関してほとんど知識も無く、触ったこともない。それでもこの作品を通してチェスの面白さ、難しさ、そして美しさを感じた。
     本を手に取って、まず思ったことは「なんだこの題名は」である。そして読了し、まず思ったことは「これ以外に適切な題名はない」ということ。
     チェスについて何も知らなかった少年と一緒に基本を学び、リトル・アリョーヒンをはじめ、マスターや老婆令嬢のチェスを通した考えに触れているうちに波に足元を掬われて、気がついたら海に放り出されていた。

     本作は、ドキドキワクワクのようなものはほとんどなく、淡々と滑らかに進んでいくが、マスターの死が訪れたり、ミイラが被害を被ったりとするたびに大きな波が起こった。
     しかしそれもいつかは過ぎ去り、海中に放り出されている私の周りは静かな海へと戻る。それはリトル・アリョーヒン(少年)の死が訪れた時も同じだった。

     最後の一文を読んで、全身に鳥肌がたち、その後とても心地の良い読後感の中をたゆたう感覚に陥った。
     切なくも、暖かく、形容しがたい感覚にまどろんでいつまでも波に身を任せておきたいが、泳がなければ、やがて浜へと打ち上げられる。
     少年のように底の見えず、どこまでも行ける海を泳ぐか、総婦長のように安全だけど限りのある地に二本の足で立つか、どうしようか。

  • 彼がチェス盤の上に描きたかったのは美しい宇宙だった。チェスに魅了され命をかけた一人の少年の姿が著者の透き通った言葉で語られる。史実かどうかなどと考えながら読み始めたのが途中からそんな思いはどこかへ。そう、確かに彼はこの書の中に生きていたのだから。

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著者プロフィール

1962年、岡山市生まれ。88年、「揚羽蝶が壊れる時」により海燕新人文学賞、91年、「妊娠カレンダー」により芥川賞を受賞。『博士の愛した数式』で読売文学賞及び本屋大賞、『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞、『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞、『ことり』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。その他の小説作品に『猫を抱いて象と泳ぐ』『琥珀のまたたき』『約束された移動』などがある。

「2023年 『川端康成の話をしようじゃないか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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