頭ならびに腹 [Kindle]

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  • 2012年9月12日発売
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感想・レビュー・書評

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  • この物語には、「権威の法則 」、「同調バイアス効果 」と「傍若無人 」と言う言葉が関係し、これが結果として、暫くもすれば一人取り残された子僧の急行列車の方が目的地まで早く着くことになった理由だと考える。なぜ、この「権威の法則 」と「傍若無人 」がどう結び付いているのかということだが、まず、ここでいう「権威の法則 」とはどういう事を言うのかというと、人は権威を持っている相手に対しては盲目になりそれが正しいかどうかに関係なく従ってしまう という心理状態に陥ってしまうと言う事である。つまり、この物語でその心理状態に陥ってしまったのは群衆だが、その「権威」を指す人物というのは、肥大な一人の紳士のことである。なぜ「権威」が有るのかということ、「彼の腹は巨万の富と一世の自信とを抱蔵(省略)腹の下から祭壇の幡幡のやうに光つてゐた 」と書いてある通りこの文章からその男は、外見は肥大尚且つ自信に満ち溢れていたということになる。この肥大というのは飢えていては必ずと言って良いほどそのような体型にはなれない。つまり、食べ物を買うお金が沢山有ることによって手に出来る「腹」ということだ。また、その「腹」は、「自信に満ち溢れている 」と書いてあるがこれは、今までの過去の自信によって生まれた行動や言動が社会的仕事というものに関係しその利益で得た「お金」が「食べ物」に変わり、その肥大な「腹」が完成されたのだと考える。加えて、この本が書かれたのが1924年 、第一次世界大戦が終わった頃に書かれているのだが、時代背景から見ても労働運動が民衆によって行われ、社会的地位の安定 を目指していた運動があったことからも、この時代の「権威」とは社会的地位の安定 から生み出される「お金」のことを指すのではないだろうかと考える。そしてそれによって、多くの群衆の頭が動き同時に「同調バイアス効果 」として集団の一員という安心感 に見舞われたのだと考える。
    一方で、他の乗客に目もくれず「傍若無人 」からもたらされたその性格や考え方をする子僧は、一般的に客観視しても迷惑で秩序に欠けていると考え、社会的に見てもそういう人物を信用しようと思う人物は多くはないと考える。しかし、逆を言えば、その子僧は、他人の意見などは無視し、自分の考えだけを客観視出来る力があると考えるのだ。これは、自分という意思をしっかりと持っているということ、相手の行動や言動に振り回されたりしないという事である。つまり、この子僧だけは、心理的に陥りやすい「権威の法則 」や集団の安心性がもたらす「同調バイアス 」などの心理的要素には一切触れることなく、自分の強い意志や非同情がこのような結果(子僧以外は迂回の道を選んだが心理的要素に触れなかった子僧は特別特急に乗り続け、結果的に暫くもすれば発車し、迂回する電車よりも早く目的地に着くことができること)が生まれたのだろうと考える。なぜ、列車は止まってしまったのか、車掌が言うように迂回した方が本当に早いのか、と言うような客観的価値観を身につけることにより、人生が大きく変わっていくという事をこの作品では意味を指しているもののではないかと考える。
    このことから、肥大な一人の紳士の「権威の法則 」から生まれた最終結果と「傍若無人 」の子僧が手にした結果から、客観的に物事をよく考えず「権威」があるからとその物事が良いことだと判断するのは非常に良くないこと、また「権威」があるからといって全てその人の言うことが正しいとも限らない。このような人間は今の現代でも少なからず問題になっていることだと考える。だからこそ、今回の物語のように選択肢の成功を導き出す為には、一人ひとりの人間がその物事に対してしっかりと考えられる力、ブレない力を身に付け、社会的地位や心理的情緒に振り回されないと言うことが人生という選択肢を選ぶ上で一番重要なものだとこの作品をとして作者が言いたかったことではないかと考える。

  • 「新感覚派」と命名されるきっかけになった作品。
    川端を読んでもよくわからなかったけれど、横光の方が分かりやすい。横光偉い。
    視点は『蠅』に似ていて、完璧な三人称神視点なので、カメラがまわっているよう。
    人間の生き様が神視点で描かれ、物語が終わろうとした時、(人間の枠組みにおいて)下等な生き物に焦点が当たって、視点と重なるところも似ている。

  • これはえらく技巧的というか、読者への挑戦にもほどがあるってな感じの小品。読み解き方のセンスを問われているようで、実は必死に読み解くほどでもなく、一瞬を切り取っただけの作品かもしれず。
    うーん、作家の思惑どおりに進んでいく駄目読み手のようですな、当方は。

  • 【小説の奥深さを感じられる一冊】
    数ページしかない超短編小説。しかし、その裏にある著者が込めた意味合いは深い。

    とはいえ、他人の解説を読んで始めて、この小説の持つ奥深さを実感した。そうでないと、何が言いたいのかさっぱり分からない。
    例)
    http://f59.aaacafe.ne.jp/~walkinon/yokomitsu.html
    http://blog.livedoor.jp/blueskytheory/archives/1832471.html

    時は大正時代。今は当たり前のように使われる「レトリック」がまだ馴染みがない時代だ。小説冒頭の、

    真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けていた。沿線の小駅は石のように黙殺された。

    は、今では普通に受け入れられる文章だが、当時は真新しかったらしい。

    解説は上記の解説者に任せるとして、とにかく感じたのは、小説(特に昔のものは特にか)は当時の時代の様子がわかっていないと理解ができないものが多いようである。

    今回の小説も、「新感覚派」のことを知っていないと何がすごいのかさっぱりわからないし、大正時代に何が起きていたのかわからないと「頭ならびに腹」が何を示しているのか予想もつかない。

    昔の書物に触れることは当時にタイムスリップするような感覚を覚えるし、それが楽しくて仕方がない。「今」との相違点を発見し、何ができるかを考えることはとても面白いわけである。

  • 変な感じなんだけど、よくわからない。

  • 大正時代の横光利一の代表作のひとつ。冒頭の 「真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された。」 は、新感覚派の典型例として引用されることが多い。

    腹は富豪や権力、頭は民衆を揶揄している。

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著者プロフィール

よこみつ・りいち
1898〜1947年、小説家。
福島県生まれ。早稲田大学中退。
菊池寛を知り、『文芸春秋』創刊に際し同人となり、
『日輪』『蠅』を発表、新進作家として知られ、
のちに川端康成らと『文芸時代』を創刊。
伝統的私小説とプロレタリア文学に対抗し、
新しい感覚的表現を主張、
〈新感覚派〉の代表的作家として活躍。
昭和22年(1947)歿、49才。
代表作に「日輪」「上海」「機械」「旅愁」など。



「2018年 『セレナード 横光利一 モダニズム幻想集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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