風立ちぬ [Kindle]

著者 :
  • 2012年9月13日発売
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感想・レビュー・書評

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  • 「風立ちぬいざ生きめやも」
    その意味は、
    「風が吹いた、いまこそ生きねばならない」
    この話は実際に結核にあい病死をした彼女をモデルにしたと調べたら出てきました。

    主人公は亡くなった節子を思いこう言いました。
    「わたしは死者たちを待っている。そして彼等を立ち去るがままにさせてあるが、彼等が噂とは似つかず、非常に確信的で、死んでいる事にもすぐ慣れ、すこぶる快活であるらしいのに驚いている位だ。ただ、お前ーーお前だけは帰って来た。」

    ここまで、死者を思い儚い文章を私は見たことがありません。言葉の勢いはこの思いを伝えようとする重みがあります。
    リルケのレクイエムでの引用では、亡くなった節子になぞられてこう言いました。
    「帰っておっしゃるな。そうしてもしお前に我慢できた、死者たちの間に死んでおいで。死者にもたんと仕事はある。けれども私に助力をしないでくれ、お前の気を散らさない程度で、」
    その意味は、作中の主人公の思いで伝わりました。
    「細やかな小さい明かりが私たちを照らし生かしている」
    「おれはこれまで1度たりとも自分がこうして孤独に生きているのをお前のためなんぞ思ったことがない。」
    自分のために戻ってきて欲しくない。節子がいる気配がするのは気の所為だ。風の木々の音であると思いたいその思いがあまりにも強く苦しくなりました。
    風が吹いたのは彼女がそばに居ると言うことならば私は彼女が死者の世界に戻れるように強く生きなければならない。
    最後まで彼女を思い、彼女の後ろ姿に後押しをする姿は雪のように儚く切ないです

    「花咲き匂う人生」という様にこの作品には沢山の花が作中に出てきます。たしかに病人と花は切っても切れない存在であるからです。そこに目をつけた作者は天才だと思いました。
    花を提示する前に花言葉に重なる出来事が多いのです。最初にでてきた花は、ライラックとエニシダ。
    これは、この2人の関係を指してるとも言えます
    ライラック⇒思い出、初恋の匂い
    エニシダ⇒謙遜、卑下

    17号室の重症患者が亡くなったあと看護師は野菊とコスモスを摘みに行きました。その花言葉は、
    野菊⇒守護、忘れられない
    コスモス⇒移り変わらぬ気持ち、そして恋の思い出、別れ
    ここの思い出と別れの意味は主人公達のこれからを予期して書いたとも取れます。
    また、神経衰弱の奇妙な患者が栗の下で自殺をはかりました。栗の花言葉は、満足という意味があります。
    主人公が節子との思い出を小説として書いてるときにはブナの木が書かれ、それは独立と勇気という意味もあるのです。
    特に作中によく出てくるのはもみの木で、それは永遠という意味です。
    とても切ないです……
    また、この日記は全てを悟った内容から察するにその日に起こった期日で日記をかいてないと思われます。
    過去を振り返るような口調で書いてることからこの思いもこの苦しみも全ての出来事を自然と受け入れたためやっと振り返ることが出来たと言わんばかりです。
    サナトリウムから見える谷を死の影の谷と思っていた主人公が最後に

    「幸福の谷そう今はそう呼んでもいいような気がした」
    その言葉は死を受け入れた、そんな並大抵の覚悟ではなかったはずです。
    作者と主人公の思いに感動しました

    • ナカジマさん
      ものすごく精緻な考察ですね…
      散りばめられたら花言葉に込められた想いをよくぞここまで丁寧に集めましたね。
      死の影が色濃くありながらも、対...
      ものすごく精緻な考察ですね…
      散りばめられたら花言葉に込められた想いをよくぞここまで丁寧に集めましたね。
      死の影が色濃くありながらも、対照的に生命の象徴である草花に物語を暗示させる…なんとも繊細で美しい構造ですね。
      2023/06/06
    • りんさん
      コメントありがとうございます!!
      まとめるの大変でした笑
      生命の象徴の草花……。ほんとこの作品はすごいです
      コメントありがとうございます!!
      まとめるの大変でした笑
      生命の象徴の草花……。ほんとこの作品はすごいです
      2023/06/06
  • 風立ちぬ、さあいきめやも。あってる?
    覚えてる。

    繊細でナイーブで、
    今なら「読むと」もっとわかるかも?

    • nejidonさん
      いざいきめやも、だったような。
      新訳では[さあ]なのかしら。
      一番大事なフレーズなので変更してもらいたくないところです。
      いざいきめやも、だったような。
      新訳では[さあ]なのかしら。
      一番大事なフレーズなので変更してもらいたくないところです。
      2020/11/14
    • トミーさん
      あなた様が正しいです。
      私めいい加減です。なんかすっきりしました。ありがとうございます。
      あなた様が正しいです。
      私めいい加減です。なんかすっきりしました。ありがとうございます。
      2020/11/14
  • 結核を罹った妻と、一緒にサナトリウムにて、寄り添い生活する夫。
    一時は仕事もせず、先行きもわからないなかで、療養所の他の人々とも関わらずにやせ細っていく妻を見守る。

    高原の美しさと孤独感に包まれた二人の空間に、私は居心地よく世界に入り込めた。

    妻が亡くなったあと、幸福感というものの気づきを知る夫の言葉がよかった。

  • 死の淵にいる節子を献身的に支える主人公が、サナトリウムでの生活を通して、何気ない生が如何に幸福に満ちているものかを知る。

    「しかし人生というものは、お前がいつもそうしているように、何もかもそれに任せ切って置いた方がいいのだ。……そうすればきっと、私達がそれを希おうなどとは思いも及ばなかったようなものまで、私達に与えられるかも知れないのだ。……」

    主人公の人生観は行雲流水であり、妻の病気に対しても恨みを洩らすことはない。病人の世話をすることを通じ、成り行き任せの人生においては無私無欲たることが、純な幸福を享受する鍵だと感じている。この主人公の献身性と、節子が弱音を吐かずただ自身の生に向き合う様子が、透明感のある表現で綴られている。

    しかし、物語の後半になると、主人公は自分の幸福感に少し疑いを感じる。
    「こうして病人と共に愉しむようにして味わっている生の快楽――それこそ私達を、この上なく幸福にさせてくれるものだと私達が信じているもの、――それは果して私達を本当に満足させ了せるものだろうか? 私達がいま私達の幸福だと思っているものは、私達がそれを信じているよりは、もっと束の間のもの、もっと気まぐれに近いようなものではないだろうか?」

    今の幸福は、妻が今際の際にあるがために生まれている特殊な感情であり、自分達の被害者意識が生んだ、自らへの憐憫なのではないか。この感情はただ一時の哀愁であり、時が過ぎてしまえば、途端に日常の些細な喜びと判別のつかぬものになるのではないか。
    主人公は、自分の幸福の感情が深いものなのかきまぐれから来るものなのか、どちらに属するのかはっきりしない思いを抱えながら、妻とゆっくりとした時を過ごしていく。

    そして妻が死んだ後、一人で雪中の小屋で過ごす描写に、その答えがある。
    「――だが、この明りの影の工合なんか、まるでおれの人生にそっくりじゃあないか。おれは、おれの人生のまわりの明るさなんぞ、たったこれっ許りだと思っているが、本当はこのおれの小屋の明りと同様に、おれの思っているよりかもっともっと沢山あるのだ。そうしてそいつ達がおれの意識なんぞ意識しないで、こうやって何気なくおれを生かして置いてくれているのかも知れないのだ……」

    答えは、深くもありきまぐれでもあるということだった。幸福は身の回りに溢れているも、意識すること無しに通り過ぎていく。自分が妻と過ごした日々は、深い心の内から溢れ出た幸福と共にあったことは、確かに間違いなかったが、それと同じぐらい、日常の幸せも辺りに漂っている。
    きっと、他人から見れば自分は多くの幸せに囲まれているが、それと同じぐらい素通りした幸せがあって、自分の心が掬うことのできた量だけを、人生の出来事として思い返しているに過ぎないのだ。

    この主人公の禅とした人生観に感動してしまった。同時に、死を前にしても恨みも後悔も口にしない節子を共に描くことで、主人公の内面描写により磨きがかかっており、無償の愛と諦念の心を絶妙に描く、物悲しい文体に胸がいっぱいになった。

  • 映画は観たことないのですが、こちらは堀辰雄さんの原作です。
     
    映画は確か主人公の男性は戦闘機をデザインする航空技師だったかと思いますが、原作の主人公は小説家。
     
    病に侵された恋人と長野の山奥で療養生活を始め、そこで作品を書きながら生きることについての意味を考える。
     
    落ち着いた雰囲気でゆっくりと人生について考えたいと思ったら、一度読んでみることをおすすめします。

  • だんだん死にゆく人と、その人を愛する人の心の動きと、風景の輝きとが相まって、頭の中に描いてた風景のイメージがものすごい勢いで広がってった。
    だんだん、死ぬことへの準備が心の中で整ってくると、また違った風景が見えてくるのかなとか、死ぬことは別れに繋がるものじゃないよね、やっぱ心の中で生き続けるんだよね、とか、

  • 死にゆく愛する人との残り僅かな生活に対する喜び、悲しさを描いた小説。きれいな小説だった。

  •  青空文庫より

     重い病に侵された妻に寄り添う夫の日々を描いた小説。

     語り口の巧さと自然描写の美しさがものすごく印象的な作品です。読んでいてこれぞまさに”文学”だなあ、という印象を受けました。

     悲恋のストーリーでありながらも、そうした悲劇的な語りはどちらかというと抑えられていて、ただひたすらに自然の美しさ、そして妻の節子との穏やかな日常、そして幸福感を描こうとしている印象があります。しかしそれがどこか無理をしているようにも感じられて、そのため行間やふとした場面から語られる夫の不安や悲しみ、そして今の幸せの儚さというものががより引き立てられているように感じました。

     そうした儚い美しさが作品全編に漂っているからか、永遠に読んでいられるようなそんな気がしました。 

  • 繊細な自然の描写がくっきりと目の前に浮かぶまで何度も噛みしめながら、音のない静かな夜にゆっくりと読んだ。死の気配を二人で感じ、その呼吸が合う瞬間の沈黙が読者の私の懐にまで漂ってきた。これほどの哀愁漂う、男の深い愛情が表現された文章は最近の小説に見られるだろうか・・・など考えさせられたね。読み終わりたくなかったなぁ。

  • 映画「風立ちぬ」を観て、堀辰雄を読んでみたくなり、
    kindleで手に入れる。

    読み終わるまでちょっと時間がかかったが、
    映画のベースになった世界観がわかったような気がする。

    療養している節子の儚い感じなどは、
    宮崎監督が提示してくれたものがベースとなり、
    読み進めていてもそれらがイメージとして浮かんでくることが多かった。

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著者プロフィール

東京生まれ。第一高等学校時代、生涯親交の深かった神西清(ロシア文学者・小説家)と出会う。このころ、ツルゲーネフやハウプトマンの小説や戯曲、ショーペンハウアー、ニーチェなどの哲学書に接する。1923年、19歳のころに荻原朔太郎『青猫』を耽読し、大きな影響を受ける。同時期に室生犀星を知り、犀星の紹介で師・芥川龍之介と出会う。以後、軽井沢にいた芥川を訪ね、芥川の死後も度々軽井沢へ赴く。
1925年、東京帝国大学へ入学。田端にいた萩原朔太郎を訪問。翌年に中野重治、窪川鶴次郎らと雑誌『驢馬』を創刊。同誌に堀はアポリネールやコクトーの詩を訳して掲載し、自作の小品を発表。1927年に芥川が自殺し、翌年には自身も肋膜炎を患い、生死の境をさまよう。1930年、最初の作品集『不器用な天使』を改造社より刊行。同年「聖家族」を「改造」に発表。その後は病を患い入院と静養をくり返しながらも、「美しい村」「風立ちぬ」「菜穂子」と数々の名作をうみだす。その間、詩人・立原道造との出会い、また加藤多恵との結婚があった。1940年、前年に死去した立原が戯れに編んだ『堀辰雄詩集』を山本書店よりそのまま刊行し、墓前に捧げる。1953年、春先より喀血が続き、5月28日逝去。

「2022年 『木の十字架』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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