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感想・レビュー・書評
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苦しい日々のなかに突如おもいだされた優しい記憶。カラマーゾフだったら、こういう記憶があるから、俺はやり直せる気がする…とかドミトリーが言っちゃいそうだよね。
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人をグロテスクに描くことを得意とするゴーゴリをこの数日は立て続けに読んでいたので、ドストエフスキーの描く狼に怯える幼い彼や、母親のように優しく守ってくれたマレイの眼差しと指先、それに帰宅して飼犬とはしゃいでいる姿に心を洗われる心地がした。
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切ないなぁ…
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青空文庫で読破。
カラマーゾフの兄弟の、ミーチャの裁判シーンで、幼い頃にクルミをもらった話の証言を思い出した。
遠い昔の出来事を思い出すって、結構あるなぁと思った。 -
自分では、ちっとも気付かないうちに、"魂の奥に入り込んでしまう人"っている。
百姓マレイはドストエフスキーにとって、そういう人。
シベリアの監獄にいた頃の、感謝祭二日目の日。その日だけは許されている飲酒で囚人たちは浮かれ気分。
一人の男を集団で暴行するような、荒れに荒れた空間で、独りベッドに横たわる。
どうした弾みなのか、29歳のドストエフスキーは、20年前の少年時代へと、思いを馳せるのだ。
貧乏な百姓マレイの優しい母親のような微笑み。
恐怖に怯えていた自分を、落ち着かせるためにしてくれた、お祈りの十字のしるし。
ヒクヒクひきつれる唇に優しさを込めて触ってくれた、土だらけの太い指。
帰る時に、いつまでもいつまでも見えなくなるまで、見送ってくれたマレイ。
遠い静かな思い出の微笑みが、消えずに残っている。
私も日常の中で、"魂の奥に入り込んでいた人"に出逢うことがある。
当時は、それほどの仲でもなかったはずなのに。
必要な時に、ふいに浮かび出る。
ドストエフスキーは、この短編を書きながら、白樺の林の匂いを沁々、感じとる。
人は、"魂の奥に入り込んだ人"に、ノスタルジックなあの日に連れていってもらえるのだろう。