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感想・レビュー・書評
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『夜は短し歩けよ乙女』に引き続き、こちらもオーディブルで購入。森見登美彦さんの作品はオーディオブックと非常に相性が良いように思う。豊かな文章を聞いていると頭に次々と映像が浮かんできてとても楽しい。
たぬき、天狗、人間が織りなすストーリーは、浮世離れしているようでもあり、すごく身近なようでもある、不思議な魅力に包まれていた。なんて心地良い読後感だろう。
『夜は短し歩けよ乙女』でも「神様のご都合主義」など思わず言いたくなる使いたくなる言葉が満載だった。今回も「阿呆の血のしからしむるところ」や「おもしろきことは良きことなり」など素敵な言葉がいっぱい。作品間でリンクしている言葉や世界観がちらほら見えるのも楽しい。
次は『ペンギン・ハイウェイ』をオーディオブックで読む予定。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
天狗と狸と人間の三つ巴の世の中。
京都の糺の森に住む狸・下鴨矢三郎が主人公のコミカルな狸ライフがご機嫌な作品。
今まで読んだ森見登美彦作品の中で一番面白かった。
作中に出てくる偽電気ブランのお味が気になった。-
2023/08/08
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コメント返すの大変遅くなり申し訳ないです。
電気ブランを調べたらブランデーみたいで偽電気ブランもブランデーなのかなあ?と思いました。
...コメント返すの大変遅くなり申し訳ないです。
電気ブランを調べたらブランデーみたいで偽電気ブランもブランデーなのかなあ?と思いました。
森見作品にちょこちょこ出てくるので気になりますよね( ^ω^ )2023/08/26
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面白きことは良きことなり!アニメ版を見て以来、金閣銀閣が可愛すぎて悶えてます。樋口一葉は四字熟語!
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タヌキはかわいい。
私はタヌキのようになんだかもこもこしているような生き物が大好きだ。
導入から大団円まで、京都のパロディが繰り広げられる。
まさに、大団円を迎えるこの物語に隙はなく、かわいいタヌキから悪狸、天狗と人間までぎゅうぎゅうで、まるで盆地の暑さのようだ。
この本を手に取るまでに時間がかかったのはアニメ化決定!とか、アニメ大反響!的なマーケティングが多かったせいでもある。
個人的にアニメはあんまり好かんのですので、食わず嫌いのまま遅れてしまった。
それはそうと、この作家のよきところはおもしろいところだが、悪役が明確な邪悪さにのみ支配されているわけではないことだ。
誰もにどこか愛すべき領域を残してくれている。
その優しい物語に触れられる体験ができることが素敵だ。 -
「面白きことは良きことなり!」
阿呆狸が化かし合い、
天狗飛べずに怒り皺、
七福神ども鍋つつく。
酒に雷、茶釜でブンブク。
鯨の尾ひれにゃ、弁天様。
同じ阿呆なら踊らにゃ損損、
化かさにゃならぬ、何時も。
豪奢な反物の如き大騒動。
毛玉にゃご用心!
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狐の話の次が狸の話でニヤけました。「狸と天狗と人間の話?なにそれ?」と思いつつも見事に沼にハマった。森見作品は「日本人」で良かったと思えるものばかりだけど、「京都人」ならさらにソージョーコーカで楽しめるんだな。羨ましい! -
森見ワールドの最高峰のうちの一作だと思う。大好きな一冊。
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言い回しや文章が、文章を書くときの参考になるということで、オススメ頂きました。
こういった空想と現実が入り混じった世界の本を大人になってからは、読んだことがなかったので、最初はイメージしにくかった。
わざわざこんな言い回しをしなくてもと思うような言葉がポンポン出てきて読みにくかった。
読み進めるうちに段々入り込めるようになり、楽しめた。
ときにはこんなお話もいいですね。 -
まさか、森見登美彦に泣かされる日が来ようとは!
これまで読んだ森見作品に、電車内で吹き出させられたり、笑い涙を滲まさせられたりしたことはあるものの、泣かされたことはなかったというのに。
京都に天狗と狸が本当に住んでいたら。という仮定で進んでいくお話。
天狗がスーツを着ていたり、狸が色々な人やものに化けていたり。そう読むと、人が大勢いたあの場所は、本当は人がたくさんいたのではなくて、化けていた狸がいっぱいいただけなのかも…なんて思える。そうやって現実との境目がなくなるようなお話が大好きです。
森見さんは擬音語の使い方がピカイチですよね、いつも。もはもはの毛玉、なんて、もふもふ よりも ふわふわ よりも、もっと「もはもは」。素晴らしい。大好きです。
アニメ化していたのは知っていたので、読んでいる途中で声優陣だけをチェックしました。そしたら、そこから脳内で声優さんの声でセリフが聞こえてきたので、アニメを見ていないのにアニメを見たような気分です。次兄を吉野裕行さんにキャスティングした人は素晴らしい。
矢二郎がどうしても思い出せなかった父の最期の一言を思い出した瞬間と、父が赤玉先生に別れを言うシーンで、気づいたら泣いていました。昨今、泣かせるぞ、泣かせるぞ、ここからどんどん泣かせにいくからな、(ドーン)ほら!どうだ!泣くだろ!!悲しいだろ!な?泣いただろ?というような作風が多い中、そういうのにげんなりしていた身としては、森見さんのような、そっけないようでいてあたたかく、かといって必要以上にウェットにならない、あくまでも視線は現在と未来に向けられている楽観的な書き方は、本当に心地よかったです。
読了後、兄弟たちが寄り添ってくれているような。 -
京都に生きる狸の一家、おもしろきことはよきことなり、と波風を立てまくる。
森見登美彦さんの狸シリーズ。現在は2巻目の「二代目の帰朝」まで。3巻はいつになるだろう。
京都の街を隅々まで知り尽くし、そこに人ではなく、狸と天狗を置いてはちゃめちゃを演じさせるあたり、森見さんの発想のおもしろさってこういうところだよなあ、と思わされます。森見さんといえば阿呆の大学生が京都でどたばたするのが基本で、その文体も実に阿呆で楽しいのです。この狸の話でも基本は阿呆な設定とストーリーで、「阿呆の血のしからしむるところだ」というセリフは死ぬほど好き。ただ、この本の文章は少し阿呆成分が控えめ。その分登場人物たちの心情や京都の街の得体の知れない奥深さなんかを詩情豊かにしっかりと印象付けている気がします。それから登場人物の誰しもが心に少なからぬ欠落を持っていて、どんな派手な立ち居振る舞いをしてもどんな阿呆を企てても何か満たされない。その寂しさ、哀しさをそこはかとなく漂わせていくのが本当に魅力的だし、上手だなあと感じます。
さて、少しずつ明らかになってくる狸と天狗の世界観、矢三郎と弁天の関係はどんなオチにまとまるのか(もしくはまとまらないのか)楽しみにしながら3巻「天狗大戦(予定)」を待ちたいと思います。がんばれ森見さん。