鼠(ねずみ)鈴木商店焼打ち事件 (文春文庫 し 2-1) [Kindle]

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  • 米騒動を、襲われた商店の側から知りたいと思って読んだ。
    鈴木商店というから家族経営に毛が生えたくらいの米屋かと思っていたら、2000人くらい社員がいて当時、三井三菱と並ぶくらいの大企業だった。エリートがたくさん就職してヨーロッパやアメリカで大活躍してたらしい。米の輸出入も政府に言われていたし、公益性のある事業としてやっていた。マスゴミ(大阪朝日)の犠牲者だね。当時の記者はノリで書いてなにも覚えてなく「世間が鈴木が悪いと言ってた」という始末。世間は「朝日に書いてある」。マスゴミ昔も今も変わらない。政府は国民のストレスが鈴木に向かっているのを放置したし。火をつけたのは若い奴らで苦しい生活の捌け口に暴力的な行為に走ったというところ。ひでー。
    でも金子とか鈴木の家族とか全然好感持てなかった。金子も従業員も金儲け主義で従業員に至っては自分のビジネスに走ったり、経費で遊んで指摘されたら「もう出張しない」と居直る始末。最低のエリートだな。男社会的な会話も時代が時代とは言えうんざり。尊敬に値する人物は会計係の西川文蔵くらいだよ。でも部下を育てることができてないからダメだけどね。まあ周りが終わってたらひとりでは育てられないけど。鈴木の家族は問題外。ほっといてる母ヨネはそれが他の従業員のためとか言ってるけど、エリートたちのなかで互角に仕事ができないとわかってたし、真剣に子供に向き合うより楽だったからでしょ。

  • 三井三菱という現在の日本を代表する企業。その三井三菱と肩を並べる企業がかつてあった。「鈴木商店」
    米騒動で焼き討ちにあったことで知っている人も多いのでは。そして、鈴木商店は金儲けで庶民の怒り買ったという記憶を持っている人も多い。鈴木商店で働いていた人への取材を通し、本当の「鈴木商店」そしてその代表である「金子直吉」を紐解く1冊。

    当時の新聞記事や書簡などの引用が多く、旧仮名使いで読みづらい部分もあるが、当時の息遣いが読み手に伝わってくる。綿密な取材から、「米騒動」を別の切り口から見ることができる。

  • 神戸製鋼、日本製粉、帝人、ダイセル、Jーオイルミルズ、双日、IHI、昭和セル石油、日油等
    鈴木商店記念館の協力企業は28流れを組む会社はさらに多い。最近まで知らなかったが自分の今いる会社も母体は東京毛織と言う鈴木商店系列の紡績会社で、昭和2年に鈴木商店が倒れた時に整理委員を務めた賀集益蔵が設立時に常務、財閥解体後に分割された際に社長になっている。賀集が本書に出てくるのは焼き討ち後に駅に金子を出迎える一瞬だけだったが鈴木商店倒産後スフの製造が上手くできない新光人絹に帝人から技師が貸し出された記述がある。

    鈴木商店の事実上の経営者でいけいけ拡大主義者の金子直吉、娘婿で近代経営を目指す日商の創始者高畑誠一、金子を信奉する土佐派と高畑を代表とする高商派の中を取り持つ支配人の西川文蔵の3人を中心に鈴木商店の拡大と没落を描いている。初版は1966年なのでもう50年も前だし、有名な米騒動の焼き討ちはさらに50年近く前の出来事なのだが城山三郎が存命中の人物にインタビューし鈴木商店が米の買い占めをしてたかを調べていくと、どうもはっきりしない。

    1950年代の決定版と言える「米騒動の研究」の証言者を追うと新聞に書いてあった、噂が流れてたというばかりだ。「あくどいことをするやつはやっつけろと、いうことになったんじゃな」「そういう噂だったな。・・・いや、噂じゃない、実際やっとった。」「やっとるから、噂に流れてくるんや。」今なら風評被害と言うところだが煽ったのは寺内政権と後藤新平に近い鈴木商店を攻撃する大阪朝日新聞。捏造記事を掲載し記事を訂正しながらも自分のことは棚に上げそれも疑われる鈴木商店にも非があるとかく辺り昔からマキャベリズム的な体質は変わらないのかと思わせる。当時の新聞が公平とは言えないが朝日は同時期に日比谷焼き討ち事件の原因となる記事も書きポーツマス条約の講和に反対し結果としては日露戦争継続を煽っている。庶民の味方というポジションが欲しいだけなのか。

    金子直吉自身には所有欲は無く、ただ国のためには鈴木商店が大きくなり産業を興し、従業員を雇うとまあ今なら割と当たり前の経営方針ながらいつかはわかると敵視されることに無頓着だった。それでも焼き討ち自体が没落の原因だったわけではなく拡大策のあまり資金繰りを借り入れに頼っており、第一次大戦で業績が急拡大したのに対し、不況と関東大震災が重なって資金繰りが行き詰まったのが直接の原因だ。それでも教科書のイメージのようなただの成り上がりではなく、鈴木商店そのものは破綻したが多くの企業が底から生まれている。

    帝人元社長の大屋晋三などは入社すぐに樟脳と薄荷で1日百万円(1960年代換算で数億円)の取引を任されたとありかなり自由な会社だった。一方で事業の切り離しにしても、世間の目に対して廉価米への協力金の拠出にしても金子が一切受けつけなかった。破綻時に支配下、関係会社の総数は49社、総投資額は約10億に上り日銀券発行高に匹敵する額だった。

  • 様々な商社マンが登場するが、謙虚さは大事

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著者プロフィール

1927年、名古屋市生まれ。海軍特別幹部練習生として終戦を迎える。57年『輸出』で文學界新人賞、59年『総会屋錦城』で直木賞を受賞。日本における経済小説の先駆者といわれる。『落日燃ゆ』『官僚たちの夏』『小説日本銀行』など著書多数。2007年永眠。

「2021年 『辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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