華氏451度 (ハヤカワ文庫SF) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 戦争の気配が忍び寄るある時代、焚書官のモンターグは仕事を進めるうちに様々な人と会い、話し、本の守護者となる。

    言わずと知れたSFの名著です。しかしそこに書かれていることはとても直截的で、焚書とはどういうことなのか、何を狙ったことなのか、どういう時に起こるのか、登場するキャラクターたちとのやりとりの中で本を焼くということについて、次々と掘り下げられていきます。モンターグはついに本を焼くという仕事に疑問を抱き、そこから背を向けますが、そのときの記述は迫力に満ちていて引き込まれました。
    「本を焼く者はそのうち人も焼くようになる」という言葉をどこかで読みました。歴史上、焚書を実行してきた為政者は、段階を追って民衆への迫害を強め、ついに人を焼くようになるという嫌な共通点があるといいます。そういえば始皇帝もヒットラーも人を埋めたり焼いたりしていました。この本でも最後にそれをオマージュしたようなシーンがアイロニックに使われるところに風刺と批判の精神が読み取れたりします。
    ともあれ、「焚書」という施策を行う為政者というのは傾向が決まっていて、最初はマイルドな言論統制から始まるものなのでしょう。その辺は周辺の国もそうだし日本だってそこに足を突っ込んだり出したりしている気配はしょっちゅう感じます。そうした先に何があるのか、それが普遍的な人間というものだと悲しくも希望を持って語るこの本は、なるほどみんなが読んでおくべき名著であるなあ、と思うのでした。

  • もうそろそろ60歳になりなんとする自分が、中学生の時に買った本をやっと読み終わった…
    中学の頃、とにかくSF小説が好きだった。ブラッドベリについては「火星年代記」を読んで強い衝撃を受けた。その後、短編集を読むことはあったけど、長編は読まなかった。
    「華氏451度」を読もうと思った当時、アンチユートピアという括りのつもりか、ジョージ・オーウェルの「1984年」を読んだ流れで、続けて「華氏451度」を読み始めたように覚えてる。「1984年」を読み終えるのに苦労したため、「華氏451度」を続けることが出来ず、そのまま放置して約45年…
    当時の本を引っ張り出してきて読み終えた。読み始めから読了まで足掛け45年って…

    本を読むことから離れてしまっている自分の今の姿を重ね合わせると感じることの多い話であった。破壊と再生の果てない繰り返し。その中に生きる人間は何ができるのか?すべきなのか?
    まずは、溜まりに溜まった沢山の本を楽しんで読み続けよう、そんな気持ちになった本。

  • マンガ以外の本の所有が禁じられた世界。本が発見された場合は昇火士が本を焼却し、所有者は逮捕された。人々の思考力は衰え、深く考えることがなくなっていった。昇火士として働くガイ・モンターグ。妻ミルドレッドはテレビの世界に夢中になり夫婦仲は冷え切っていた。ある日モンターグは風変わりな少女クラリスと仲良くなる。ミルドレッドは薬物の過剰摂取で死にかけ、クラリスは交通事故で命を落とす。モンターグは本と一緒に老女を焼いたことから自分の仕事に疑問を持つようになり、密かに本を所有する。上司ベイティーはモンターグの異変に気づくが、モンターグは彼を焼き殺し逃亡する。町を抜け出したモンターグは口述で本を受け継ぐグループに出会う。町は突然始まった戦争により大破される。

  • 1953年に書かれたというのが、なんとも言えない凄みを感じる。今から未来をよくとらえている。
    主人公は、モンターグという「昇火士」。おじいちゃん、父親も、昇火士だった。昇火士の仕事は、本を燃やすことだった。そのことに、仕事のやりがいを感じていた。
    本は、人を考えさせてしまう。「考える人間なんか存在させてはならん。本を読む人間は、いつどのようなことを考え出すかわからんからだ。そんなやつらを、一分間も野放しにしておくのは、危険極まりない」という。モンターグも、妻のミルトレッドも、ほとんど記憶がない。ミルトレッドは、テレビばかり見て、「海の貝」(イヤホン)を耳の穴に四六時中入れている。テレビ依存症だ。テレビは、部屋の壁3面に映る大型のテレビ室なのだ。そこで一日中過ごす。そして、車をぶっ飛ばすことやスポーツに専念する。考えないことが当たり前の世界。ほとんどの人が刹那に生きている。だから、本はいらないし、燃やすべき対象となる。
    モンターグは、クラリスという17歳の女性に会う。クラリスは自由で、月を見上げたり、雨を口で受けたりする。そしてモンターグに率直な質問をする。「あんたが燃やした本のうち、どれか読んだことある?」「あんた、幸福なの?」
    モンターグは幸福だと思っていたが、家に帰ったらミルトレッドは睡眠薬を飲んで自殺を図った。なんとか、一命をとりとめる。そこから、幸福だったのか?悩み始める。ミルトレッドに、
    モンターグはいつものように出動して、本を燃やそうとし本に石油をかける。本の中に老婆が立っていた。本から老婆に離れるように言うが、老婆は自分でマッチを燃やし、本と一緒に燃えてしまう。
    モンターグは、命をかけるほどの本には価値があるのかと衝撃を受ける。
    モンターグには、秘密があった。本を燃やすたびに、1冊を盗んでいたのだ。そして、本を読み始める。「書物の背後には、それぞれひとりの人間がいるとことを知った。その人間が考えぬいた上で、長い時間をかけ、その考えを紙の上に書き記したのが、あの書物なんだ。そのことを、僕は今まで、考えて見なかった」と告白する。
    モンターグは、ミルトレッドの友達が二人きているところで、あまりにもつまらない話をしているので、突然本を持っていき、詩を朗読する。三人は驚き、二人は帰ってしまう。
    モンターグは、体調が悪くて休んでいて、職場に復帰したら、ビーティ署長は、本の弊害について滔々と語る。ビーティ署長は、本をたくさん読んでいることがわかる。そして、通報がきた。
    モンターグと署長たちは、通報の家に向かうが、それはモンターグの家だった。モンターグの妻が通報したのだった。そして、モンターグの妻は、モンターグに別れを告げず、テレビ室に別れを告げるのだ。モンターグは、悔しさとビーティ署長に火炎放射器を向けて殺してしまう。
    そして、モンターグは逃げ回るのだが、突然 戦争が始まる。それで、物語は終わる。
    なんというあっけない幕切れ。本の大切さがわかって、それから何が起しうるのかと期待したが。
    本を読まないこと。無関心になること。テレビに依存すること。スポーツに夢中になること。そのことへの大きな警鐘。今の情報洪水の中で、本質が何か。その本質に向かって立ち向かうことを物語は語る。未来を予測しながら、未来の警句までも作り上げている。
    華氏451度は、摂氏233度。つまり紙の燃える温度。表題もセンスがある。リアル・ホラーである。

  • 本が読めない世界なんてつまらなくて地獄だろうと思うけど、なければないなりにそれに気づかずに生きていけるのではないかしら。
    そういう意味ではモンターグ氏の周りには本があった故に彼は疑問を感じ、火だるまになったビーティ氏だってそばに本があった故になんらかの葛藤を乗り越えて歪んでしまったように思う。本は人を狂わせるものかもしれない。
    本から遠いミルドレッドが一見阿呆のように思えるけど、無知ゆえの幸せは確かにあるなあと。
    しかし作者が言いたいのはそういうことじゃないことだけははっきりわかる。

  • 先にトリュフォー監督の映画を何度も観た後に読了。映画は原作と結末が全く違い、クラリスは生きていて綺麗なラストだったが、原作は核戦争勃発と思われる凄惨な現実に立ち上がるモンターグ達という具合。ブラッドベリは「火星年代記」のような連作もあるが基本短編作家だと思う。この長編はややテイストが違うが、ガチなSFとは違った味わいが印象に残った。それにしても紙の本を焼く話を電子書籍で読むとは、ブラッドベリが知ったら複雑な気持ちだろうな。

  • 社会風刺であるのはもちろんのこと、主人公の"知の"片鱗に触れて、その知をまだ自分で噛み砕いて身にしていないうちに発信してしまう愚かさ。言うなれば「意識高い系()」的な愚かさをこの時代に見せているのがすごい。ビーティ的な人ににいともたやすく論破され、言い返せずに逆ギレっていうのもいかにも。

    書物の偉大さと同時に、誰しもが"知"に触れることができることの危うさも表現されていて、自分の姿勢を考えさせられた。

    50年近くも前に書かれた作品がこんなにも現代を表していて「まるで予知のようだ!」と驚きかけたが、きっといつの時代も人間ってこんな感じなのかもしれないなー。

  • 本の所持や読書が禁止された世界が舞台の1953年SF。描かれているのは映像に人心を支配させ全てを高速度化させることで人民から物事の本質や核心について考える空間や時間を奪うことに成功した今日に酷似した世界。結末はもしかしたら我々が迎える未来なのかも。

  • 「読書」とは何かということを改めて考える機会をくれる一冊。

    「読書」とは思考する場を提供してくれるものである。ノンフィクションはもちろん、小説も舞台背景や登場人物の心情、行動、体験を通して我々に考える機会を与える。

    なぜ思考することが重要なのか?それこそが、人間に与えられた特権で、考えることをやめたらそれはロボットと変わらないからだ。

    権力者は自他国民に思考され、敵対する思想を持たれると厄介なので、そういった機会を与える情報は与えず、どうでもいい情報や自身にとって有益な情報(功績や自身を利するフェイクニュース)しか流さない。

    考える機会を奪われた人たちはやがて情報をうのみにするようになり、ものを疑うことをしなくなる。それは権力者の地位を強固なものにしかしない。

    そういった状況を変えるには、敗戦により他国に占領されるか、選挙、あるいは革命しかないだろう。本書では残念ながら舞台となっている国の政治的な状況については書かれていないので推測するしかないのだが、焚書を行っている時点で普通の民主主義国家ではないことは一目瞭然である。また、作中に戦争により自国が焼け野原となる描写があるので、おそらく今後、この国は敗戦し他国の占領を受け焚書のシステムが根本から変わるという暗示だろう。(もちろん、占領国家が似たような政治体制をもっていればこのシステムは変わらないか、より劣悪なものになるのだが)

    それから、本書のサブテーマとして高度に発展した社会における夫婦関係があった。作中で主人公の妻は毎日3台のTVとにらめっこし、耳には常にラジオが聞ける装置をいれている生活を送っており、夫である主人公とはほとんど会話がない。こういった場面は現代社会でも多く見られる。せっかくレストランにいっても、食事を待っている間、そして食事中も片方、あるいは両者が携帯電話とにらめっこで会話が皆無。散歩を一緒にしていても携帯電話を放さない。会話という行為も思考の一部なので、こういった場面を描くことで思考をすることを奪われる、あるいは放棄することはなにも焚書によるものではなく、日常のあらゆるところに潜んでいることを作者は暗示しようとしているのだろう。

    最後に、1984年もそうだったが、この類のディストピア小説を読むと、毎回、作品に描かれていることが日本の隣国の某国の現状にぴったり重なるのはある意味恐怖を覚える。我々ひとりひとりがそれに対して考えることをせずに、その国の政府お抱えのメディアが報道する除法だけを鵜呑みにしていたら、彼らのさらなる暴走を抑えることはできないだろう。

  •  新訳版と読み比べました。旧訳は読点が多すぎて読みづらいです。それに尽きます。ですが訳語のチョイスは割と好みでした。

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著者プロフィール

1920年、アメリカ、イリノイ州生まれ。少年時代から魔術や芝居、コミックの世界に夢中になる。のちに、SFや幻想的手法をつかった短篇を次々に発表し、世界中の読者を魅了する。米国ナショナルブックアウォード(2000年)ほか多くの栄誉ある文芸賞を受賞。2012年他界。主な作品に『火星年代記』『華氏451度』『たんぽぽのお酒』『何かが道をやってくる』など。

「2015年 『たんぽぽのお酒 戯曲版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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