寝ながら学べる構造主義 (文春新書) [Kindle]

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  • 文藝春秋
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感想・レビュー・書評

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  • 前から気になっていた "構造主義" と内田樹の組み合わせ。Kindle Unlimitedで見つけたので早速手にとってみた。「入門者のために書かれた構造主義の平易な解説書」のはずだったが…。内容はかなり難解だった。

    著者によれば、「私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績」、「主体性の起源は、主体の「存在」にではなく、主体の「行動」のうちにある。これが構造主義のいちばん根本にあり、すべての構造主義者に共有されている考え方」とのこと。

    本書は、まず構造主義の「地ならし」役の3人(マルクス、フロイト、ニーチェ)の功績を紹介した後、構造主義の始祖フェルディナン・ド・ソシュール(言語学者)の考え方のエッセンス(「ある観念があらかじめ存在し、それに名前がつくのではなく、名前がつくことで、ある観念が私たちの思考の中に存在するようになる」)を紹介し、「構造主義の四銃士」であるクロード・レヴィ=ストロース(文化人類学)、精神分析のジャック・ラカン(精神分析)、ロラン・バルト(記号論)、社会史のミシェル・フーコー(社会史)の業績と思想の解説へと進む。

    「ゆる言語学ラジオ」でお馴染みのソシュールくらいまではついていけたのだが…。著者はラストで「レヴィ=ストロースは要するに「みんな仲良くしようね」と言っており、バルトは「ことばづかいで人は決まる」と言っており、ラカンは「大人になれよ」と言っており、フーコーは「私はバカが嫌いだ」と言っている」とまとめているが、あまり腑に落ちなかったな。

    ソシュールの本、ちょっと読んでみたくなった(難解かな?)。

  • 構造主義について、わかりやすい例えを交えながら解説してある本ですが、めちゃくちゃ面白かったです!
    この本の
    ①近親相姦が禁止されてあるのは、身内だけで固まると社会に広がりがなくなるからですよ!

    ②会話は、言葉の贈り物であり、会話の内容が重要なのではなく、「言葉を贈る!受け取る!」という関係性(社会性)が大切なんですよー。

    などの内容はとてもしっくりきました。
    難しいことはわかりませんが、新しい見方が学べたような気がして、とても参考になりました!

  • 多くの人が偏見なしに客観的に物事を判断して生きることを理想としていると思う。あるいは自分は出来ていると思っている人もいるかもしれない。
    けれど、この構造主義に関わっている様々な哲学者の思想を学ぶと偏見なしに生きることは不可能に近いのではないかと感じてしまうだろう。

    構造主義という考え方は自分なりにまとめてみると人間というのは誰しもある時代、地域、社会集団に属していて、自分のものの見方、感じ方、考え方は自分で主体的に決めていると思っていても、属している外的な要因の影響を基本的には受けているという考え方である。

    この構造主義の考えによると、日本語で思考をしている時点で、もうその言語が有している概念に捕らわれていることになる。そんなものまで偏見だと見なすのはやりすぎかもしれないが、他にも色々な興味深い考えが分かりやすい例とともに解説されているので、構造主義を全く知らない人にもおすすめできる良書である。

  • ## 感想
    親友が激プッシュしていたのをふと思い出して手に取った本。
    読む前は、恥ずかしながら構造主義がどのような思想なのかすら全く分かっていなかった。構造というと結晶構造とか化学構造を想起してしまうので、社会の構造のこととは全く思わなかった。
    この本を読んだ後の読後感は大きく以下の二つである。
    1. 主体性が構造によって規定される部分が大きいのであれば、自己実現に悩む必要はないんだろうな。その考え方は共感できるし、気が楽になるな~
    2. とはいえ「個人の気の持ちよう」と表現されるような問題は、構造主義では解決できないんだろうな。そもそも議題としてとらえていないのかもしれないけど。

    なんにせよ構造主義を学ぶには非常にいい本である。筆者の説明が分かりやすいのだろう。時折挿入される例話も非常に的を射ている。

    構造主義は非常にロジカルかつシステマティックに社会構造を記述しているので、理系の人間でもとっつきやすいのではないだろうか。自分は共感する部分が多かった。

    構造主義と宗教は対立する概念のような気がするがどうなんだろうか?暇があったら考えてみたい。

    ## 自分用メモ
    p8
    無知は、ひたむきに知らないようにする努力のたまもの。怠惰の産物ではない。

    p10
    知的探求は、それが本質的なもの、根源的なものであるならば、「私は何を知っているか」ではなく、「私は何を知らないか」を起点に開始される。

    p11
    この本は、著者が知らなかったことを中心に書かれているため、「先ほど膝を打った」のような、出来立てほやほやの状態にある。このような情報は、初学者である読者には使い勝手が良い。『地球の歩き方』を読むときは、現地に長く住んでいる人の情報よりも、つい先ほどそこを旅行した旅行者の情報の方が使い勝手が良いのと同様。

    p16
    「あるイデオロギーが支配的な時代を生きている」とは、あるイデオロギーについて批判的な省察を行う際にも、そのイデオロギーの言葉を使わなければ省察できないような、閉じ込められた無限ループの中にいること。構造主義的知見を利用しなければ、構造主義的知見を批判的に省察できない。

    p16
    マルクス主義の場合は、みんなが「マルクス主義に飽きた」=マルクス主義の言葉を使って語ることをやめた時に、マルクス主義の終焉を迎えた。誰かが完璧にマルクス主義を批判しきったわけではない。

    p20
    構造主義とは、以下のような考え方。
    私たちは何らかの集団に属しており、その条件が私たちの物の見方や考え方を基本的な部分で決定している。私たちは自分が思っているよりも主体的にものを考えられていない。社会集団が受容したものだけを「見せられて」「感じさせられて」いる。集団が受容しなかったものは、そもそも私たちのの認識の範疇に含まれないため、そもそも思索の対象になることがない。この事実を徹底的に掘り下げたことが、構造主義の功績である。

    p26
    自己同一性を確立した主体がまずあって、その主体が社会に投げ込まれて何かを成し遂げて自己実現するのではない。ネットワークに投げ込まれた主体が、自分の産み出した価値や関係によって、自分をフィードバック的に知る。主体性の起源は、主体の「存在」ではなく、主体の「行動」のうちにある。これがすべての構造主義者に共有されている考え方。これは、ヘーゲルやマルクスの考え方を継承している。

    p43
    もともと私権の制限=自然権の一部を国家にゆだねること、を大衆が受け入れたのは、自分が一番得するにはそれがいい、と利己的に判断したからであった。
    しかし、「私権の制限が、結果的には自分の得につながる」という推論をするだけの知性を市民が持ち合わせなければ、功利主義的な道徳は成立しなくなる。

    p65
    ある歴史的制度が誕生する瞬間の現場のことをロラン・バルトは「零度」と呼んだ。零度以降では、様々な歴史的な価値判断がその制度を汚してしまう。構造主義とは、あらゆる人間的制度(無意識・神話など)の零度の探求ともいうことができる。
    ←わかるようでわからない。

    p70
    歴史の流れが「いま・ここ・私」に至ったのは、様々な出来事が予定調和的に統合された結果ではなく、様々な可能性が排除されて、やせ細った結果ではないのか、というのがフーコーの根源的な問いかけである。

    p74
    狂人は、「なんだかよくわからないもの」「別世界からの客人」と思われていたときは、市民社会に溶け込んでいたが、時代が進み「なんであるかわかった」とき、この世界の市民に算入されると同時に、排除されるようになった。狂気を排除したのは、理性であった。

    p91
    フーコーは、あらゆる知の営みは、情報をまとめて整理してストックしようとしている時点で、必ず「権力」的に機能すると主張している。
    →構造主義として一つにカテゴライズしている時点で権力的。

    p93
    象徴と記号は似ているようで違う。象徴は、どんなにわずかであれ、象徴とそれが指し示すものの間に現実的な連関がある。しかし記号とそれが指し示すものの間には、人為的な取り決め以外の何物も存在しない。でたらめさが記号の本質である。

    p99
    エクリチュールとスティルは違う。スティルはあくまで個人的な好みだが、エクリチュールは、集団的に選択される好みである。例えば、ある中学生の男の子がある日思い立って一人称を「俺」に変更すると、彼は「俺」のエクリチュールで話し出し、行動するようになるだろう。

    p105
    作家は、自分が何を書いているのか、はっきりわかってモノを書いているわけではない。私たちは言語を語るとき、記号を「使いすぎる」か「足りない」のどちらかになる。

    p112
    エクリチュールの零度、あらゆる欲望が排除されたエクリチュールとしてバルトが絶賛したのが、カミュの『異邦人』のエクリチュールである。しかし、続く作家がそれを真似したところで、それは白いエクリチュールではなく、カミュのエクリチュールになってしまう。

    p116
    フィールドワークを主体に研究している文化人類学者のレヴィ=ストロースが、サルトルの実存主義を完全に粉砕してしまったことに、同時代の人は驚愕した。ここからフランス人は、「意識」や「主体」について語るのをやめ、「構造」と「規則」について語るようになる。

    p116
    根がいい人でも、現実的には悪いことばかりしている人は、実存主義的には「悪者」として判断される。この点は構造主義者も異論はない。対立が生まれるのは、論点が「主体」と「歴史」にかかわるときである。

    p117
    サルトルの「参加する主体」とは、与えらた状況に身を投じて、主体的に判断し、その結果を粛然と受け止めることで、自己を「そのような判断をするもの」として主体性を構築していく、という考え方。

    p120
    「文明人」と「未開人」は世界への関心の持ち方が違うのみであり、その事実は「未開人」が知的に劣っていることを意味しない。どちらにとっても世界は、「思考の対象であり、欲望をみたすもの」である。レヴィ=ストロースはこの前提から出発し、「あらゆる文明は、自分の考えの客観性を過剰に評価する傾向がある」といさめた。

    p126
    レヴィ=ストロースは、コンピュータの演算のような二項対立の組み合わせで無数の状態を表現できるという考えを、人間社会のすべての制度に当てはめることはできないのか、と考えた。

    p130
    親族構造は、端的に「近親相姦を禁止するため」に存在する

    p134
    贈与と返礼の効果は二つある。一つは社会を同一状態に保たないこと。(おそらく同一状態に保ってしまうと滅びてしまう)もう一つは、「自分が欲しているものは、他人から与えてもらわないと手に入れることができない」と繰り返し繰り返し刷り込むこと。

    p135
    社会や文明ごとに価値観や感情は驚くほど多様であるが、それらが社会の中でどのように機能しているかはシンプルに記述することができる。人と共生するには、「同一状態にとどまってはいけない」「自分が欲するものは、人に与えなければいけない」という二つのルールがあらゆる集団に当てはまる。

    p136
    人間は生まれた時から人間なのではなく、上記のような規範を受け入れることで人間になる、というレヴィ=ストロースの主張は、脱人間チックではあるが、その規範が「隣人愛」や「自己犠牲」であるのに、どうして反人間的だと批判できようか。

    p141
    「私」という、主体の外部にある構造を自分自身と認識している時点で(鏡に映る自分を自分のことと認識するように)、私たちは程度の差こそあれくるっていることになる。

    p147
    精神分析的対話は、患者が「何を感じているか」を探り当てるために行われるのではない。これは、いくら語っても、自分の中の「あるもの」に触れられないというジレンマから抜けることはできないから。患者は、必死に自分について語っているつもりで、だれかについて語っている。その「だれか」は、どうしようもなく自分に似ているというだけである。

    精神的症状は、患者内部の「何か」が「別のもの」に形を変えて露出したものである。精神分析的対話では、「何か」に触れることはできないが、対話を通して、患者の主体性を「何か」から、対話を通して生まれた「作品」に「本籍をシフト」することができる。こうした結果、露出する「別のもの」は違うものにすり替えられる。すり替えにすぎないといえば過ぎないのだが、これで患者の症状が緩和されるのであれば、治療は成功である、というのがフロイト的思考である。

    p157
    人々が独裁者を恐れるのは、権力を持っているからではなく、どのような基準で権力を行使するのか不明確だからである。

    p158
    理不尽でさえあれば、非力でも権力を握ることができる。そのようなばかばかしい支配戦略が可能なのは、私たちが、根拠のない差別を加えられたときに、それを「抗いようのない強権者」と思い込むように構造化されているからである。
    ←子供のころからそういう風に育たざるを得ないからかな?小さいときは自分の知らないところで、すでに分節されている世界を受け入れなければならないから。

    p159
    私が無能であるという感覚に陥ったときに、「私の外部にある強大な権力によって、私の自己実現が妨害されている」というように説明する能力を身に着けることが、エディプスというプロセスの教育的効果である。

    p159
    私の自己実現がうまくいかない場合の外的要因は、すべて「父」として説明可能である。「父」によって、「うまくいかない」ことの説明責任を果たしたような気になることを、私たちは「成熟」と呼ぶのである。

    • ふくおさん
      うぬ。。わからないので、ご教示いただけると嬉しいす。。
      ただ、いのちを後ろにつなげるという意味では目的は一緒だから、共通部分があって全く不思...
      うぬ。。わからないので、ご教示いただけると嬉しいす。。
      ただ、いのちを後ろにつなげるという意味では目的は一緒だから、共通部分があって全く不思議じゃないね。
      2022/08/08
    • やまたくさん
      『新版 動的平衡: 生命はなぜそこに宿るのか (小学館新書)』 福岡伸一 #ブクログ https://booklog.jp/item/1/4...
      『新版 動的平衡: 生命はなぜそこに宿るのか (小学館新書)』 福岡伸一 #ブクログ https://booklog.jp/item/1/4098253011

      これです。なんかふくおが読んでた気がしてしまったが、生物学のオススメ本です。
      2022/08/08
    • ふくおさん
      あいや、動的平衡の本は読んだんだけど、どの部分が似ているかわからなかった
      あいや、動的平衡の本は読んだんだけど、どの部分が似ているかわからなかった
      2022/08/09
  • 構造主義前夜の哲学状況と、構造主義の「四銃士」フーコー、バルト、ストロース、ラカンをかなり分かりやすく解説する書。
    この中で四人の論をおおざっぱに一言で解説したものは分かりやすい。
    順に
    「私は馬鹿が嫌いだ」フーコー
    「ことばづかいで人は決まる」バルト
    「みんな仲良くしようね」ストロース
    「大人になれよ」ラカン
    強引な例えかもしれないが、こういうのは、実は重要だ。

    ロラン・バルトはエクリチュール(人の生き方全体を統制することばづかい。年寄りに年寄りの。教授には教授の。ヤクザにはヤクザの。)を発見した。そのなかで「白いエクリチュール(なにも主張せず、なにも否定しない、ただそこに屹立することば)」を求めた。そして、本当の白いエクリチュールを見いだしたのが、日本の俳句だった。本当に俳句にそれが備わっているかはわからないが、我々日本人には、それを考察し続ける「特権的な義務」がある139

    前近大には、物狂い、奇形、浮浪者、乞食、貧民は社会の中で彼らの役割りがあった。彼らはあの世や人知が及ばぬ世界と、人間界を仲介してくれた。ある意味神聖視された。ドン・キホーテやリヤ王、能の『隅田川』はその物語。それが現代では、精神障がい者、身体障がい者、ホームレスに代わり、ダイバーシティで保護、矯正させる人々として強制的に排除、隔離するべき者となった。フーコーはそれを「大監禁時代」と呼んだ90

    「ブラックセミノール族」アメリカの奴隷制度時代、そこから逃れた黒人とインディアンがフロリダの森の中で共生して誕生した。現代、彼らの子孫は自らを「アメリカの先住民」と誇っている。そこには「アフリカから連れてこられた奴隷の子孫」という系統話は無かったことになっている83

  • 構造主義、分かったようなわからないような、
    そんなときにまた興味を持たせてくれる本になるでしょう。

    『無知というのはたんなる知識の欠如ではありません。
    「知らずにいたい」というひたむきな努力の結果です』

    『構造主義という「思考上の奇習」についての批判的省察を行うときに、
    そのための学術的「ツール」として私たちがとりあえず使えるものは、
    構造主義しかないのです』

    『私たちにとって自明と思えることは、ある時代や地域に固有の「偏見」に
    他ならない』

    『人間が他者と共生してゆくためには、時代と場所を問わず、
    あらゆる集団に妥当するルールがあります。
    それは「人間社会は同じ状態にあり続けることができない」と
    「私たちが欲するものは、まず他者に与えなければならない」という
    二つのルールです』

  • 質的研究(M-GTA)をしていると構造主義の知識が必要になるので,勉強のために読んでいる.

  • 構造主義について、全体像を軽く知ることが出来るようになっています。レヴィ=ストロースが有名かと思いますが、その思想のどの部分が構造主義なのか。構造主義の考えとは何なのか、狐につままれたような捉えどころのなさを感じていました。本書では、現代において構造主義が「ポスト構造主義」として研究されている段階にあることから、それほどに私たちの思考に入り込んでしまっており、それゆえに分かりにくさがあるということから始まり、構造主義の歴史的な成り立ちが語られています。各時代において、代表的な思想家について紹介されており、そこから構造主義的に考えることについて馴染んでいけるように導かれます。最後に現代に至る構造主義の考え方に大きな影響を与えた4人についてかかれています。現代思想についての話を聞くときによく出てくる4人の思考について、ここまで読んできた考え方が土台となって分かりやすく理解が進みました。さすがに寝ながらでは難しいですが、この考え方を浅く広く知ることができる内容になっていると思います。

  • 構造主義について知りたかったが、本書を読んで難解な構造主義が分かるとは思っていない。しかし、何事にも入門がある。本書がそれに当たると思って読んだ。
    「社会や文化の背後には構造がある」という考え方のことを構造主義という。そして、構造主義を提唱したのが、
    ①レヴィ・ストロース
    ②ミシェル・フーコー
    ③ジャック・ラカン
    ④ロラン・バルト
    の4人だそうで、レヴィ・ストロースは構造主義からサルトルの実存主義を否定し、実存主義を葬ったとのこと。
    昔、内田樹の本を読んで「雅文を草する」という言葉を知った。入門書とはいえ内田樹の文章は雅な香りがする。とてもじゃないが、寝ながらは読めない。

  • 哲学をそのまま飲み込もうとすると咀嚼が足りずに自分の言葉で説明し直すことができず、といって要するにレヴィ・ストロースは「仲良くしよう」と言っていてラカンは「大人になれ」と言い、フーコーは「バカが嫌い」みたいと要約されても(「あとがき」より)スッポ抜けてしまう。

    「で、つまり構造主義って何なのよ?」という問いに対するしっくり簡潔に合点の行く言葉に出会うことができなかった。自分は寝ながら、読みながら、いつの間にかうたた寝でもしてしまっていたのだろうか?

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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