砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない A Lollypop or A Bullet (角川文庫) [Kindle]
- KADOKAWA (2012年6月25日発売)
- Amazon.co.jp ・電子書籍 (177ページ)
感想・レビュー・書評
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題名と表紙のデザインに惹かれて読み始めたら最後、美しくも悲しい青春恋愛。
けれど読み終わった後、気持ちが暗くなる人多いかもしれないです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「好きって絶望だよね」
幸せは、麻酔のようなもの。
幸せは、切れると酷く痛い。
幸せは、自分にだけ効く薬。
幸せは、砂糖菓子の弾丸だ。
甘い香りに鼻腔を酔わせ、
弾を込めたら、ぶっ放せ。
きっと、標的にも幸せが届く。
きっと。
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なぎさと藻屑、二人の強さと弱さ。「天気予報に無い嵐」の恐ろしさ。幸と不幸は人によって見え方が変わるという不思議と理不尽。大人が取れる選択肢の少なさ。希望とその反対…
心がしんしんと打ちひしがれる、甘さ控えめの傑作でした! -
中学生の頃に読んで以来の再読。
ここまで辛い経験はなかなかないけど、子供から大人になる過程は誰でも経験するもので、それは等しく喪失感を伴うものなんじゃないかな?生きるというのは失うということ。そんな感じがした。 -
友人に薦められて初の桜庭一樹さん。
「私達は13歳」「子どもに必要なのは安心だ」
虐待や引きこもり、ヤングケアラー…などの社会問題を扱った内容。
それぞれの家庭内でしか分からない問題を13歳の視点で一生懸命考えてもがく主人公がやるせない。初めは兄に対して悪い印象だったが、妹のために外に出る決意をして嘔吐するシーンや終盤に兄が警察と話す場面は担任が言っていたことそのままで、応援したくなった。その後、自立に向けて変わった兄。そこだけは藻屑がなぎさを救ってくれたと思いたい。 -
随分とグロテスクな内容ではあるけど、とは言えこれは青春小説だし、百合小説だ。
花とアリス殺人事件なんかを思い出す。
山田なぎさを主人公とする一人称小説で描かれる。一方でこんなに酷い目にあう藻屑は所詮脇役でサブヒロインにすぎない。だって、真のヒロインは死んだりしないから。ましてや冒頭1ページ目に、結末を書いたりしないから。そう考えると虐待に遭ってることも、上手く走れないことも、嘘ばっかりついて人の気を引いちゃう性格なことも、結末のための補強でしかなくて物語の主軸はそこではないことがわかる。主軸とは必要があって差し込むものではなくて、必要もないのに、作者がどうしても主張したくて無理やり強引に差し込むものだから。こんなに強いキャラを脇役にしてまで描きたいことは実は本当に細やかなことでしかない、言うまでもなく山田なぎさが上手に生き抜いて高校に通えるようになる、それだけだ。上手に生き抜いてそれを当たり前にやってこれた大人たちは、それが何?と思ってしまう。だからやっぱり、このお話って青春小説なんだ。山田なぎさからすれば、このことが本当に実弾を手に入れることなんだと、そう考えると面白いし、作者の性格の悪さが窺い知れる。
字下げの段落はどうやら、山田なぎさと、思い出の中の兄との会話であるらしい。思い出の兄は二度もストックホルム症候群について言う。そしてついに山田なぎさは「誰のことか分かった」という。もちろん一人は藻屑のことだ。でもそれだけだとすると、あまりにつまらない。そんなことは言われなても皆んな分かってるから。
そこでようやく、この構図に気がつく。藻屑とは山田なぎさを取り巻く環境を大袈裟に増幅させた存在にすぎない。山田なぎさの中にだけ存在する架空の少女だとしてもよい。だから藻屑に関してはどれだけファンタジーに描いても本当はいいんだ。それはともかく。藻屑にとっての父親が、山田なぎさにとっての兄に相当する。縛られる対象であって信仰する対象だから。藻屑にとっての死が、山田なぎさにとっての自衛隊入隊だということになる。そのことに自分で気づけたからこそ、文字で書くべき発見であったし、その会話の相手は思い出の中の兄である必要があった。
この構図を念頭に入れてからもう一度読み直すと面白い。
ファンタジーが嫌いでなければ、山田なぎさが、実弾を手に入れるべく悩み抜いて三ヶ月考えついた結果想像を具現化させてしまった存在、それが藻屑だということにして読んでも面白いかもしれない。じゃなきゃ、生き抜くことに以外には関わらないことにしていた山田なぎさと関わってる理由にならないし。何よりも「渚」に対しての「藻屑」だし。実弾をまだ手にできないでいる彼女にとっての弾丸だということにすれば納得がいく。 -
ずっと息苦しさを感じる小説だった....
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短め、かつ、桜庭さんのルーツであるライトノベル色が強そうなものを、と思ってこれをチョイスして正解だった!マンガやアニメはあまり得意じゃないが、読んでいて絵や映像が脳内にパッと展開されるような文章は軽やかで心地よく、でも語られる物語はこの世界で子どもであることの痛みにみちみちて胸が苦しくなる。舞城王太郎を発見した時の喜びに近いかな。
地方(鳥取)を舞台にし、海や山の景色、地域社会の性質を描き込みながらも、舞城作品と違って登場人物が方言を使わないのは、リアルでありつつ現実から少しずらした=どこでもよい、どこにもである架空の世界の物語のようにも読める。古い例で恐縮だが、初期の佐野元春が架空の都市のティーンエイジャーを歌った楽曲群を思い出す。だからなのか、必然性のない過剰な暴力が繰り返されても、興ざめせずに読むことができた。
次は読書会の課題図書を…と思ってたけど、もうちょっとこの世界に浸りたいから、作者のウィキの作品リストを眺めつつ、あまぞんへ旅に出ます…