三四郎 [Kindle]

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  • 2012年9月27日発売
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感想・レビュー・書評

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  • 大学進学を機に上京したばかりのヘタレ青年が、小悪魔系美少女と、お調子者の学友にふりまわされる、明治版青春小説。甘酸っぱく、滑稽で微笑ましい。そして、ちょっと切なく、ゆえに愛おしい。

    漱石だけど、むずかしいことはなく。
    上京早々の夏の日に一目惚れした美禰子との縮められない距離に悶々とするしかない三四郎の半年間が、シンプルな展開の中で、漱石にしては珍しい愛着を感じさせる雰囲気を持つ文体で描かれています。
    (※明治時代の大学は9月入学制だった)

    しかも、三四郎は、想い人の美禰子だけでなく、悪友の与次郎にまで振り回されるという…。
    けれど、常にやりたい放題・天真爛漫・天性のペテン師気質を持つくせにどうにも憎めない与次郎の破茶滅茶な行動が、美禰子とのささやかな縁を繋ぐことだってまれにはあって…。
    もう、あれこれ振り回されっぱなしの三四郎が本当に微笑ましい。
    三四郎の天性のヘタレ具合を、上京途上のエピソードで読者に最初にきっちり印象づけておくあたりの緻密さは、さすが文豪。

    ヘタレ男子大学生を描いたら天下一品の森見登美彦さんの作品群を思い出しました。
    森見さんの描く男子は「アホだけど憎めない」系ヘタレで、三四郎は「カタブツ」系ヘタレなので、微妙な系統の違いはありますが。
    そういえば、与次郎こそ、森見さんの作品に多く登場する、主人公の悪友(人を食った系キャラ)そのものだわ…。
    しかも、実在の街の地理や地名の巧みな使い方も似ています。東京の街をうまく使った漱石に対し、京都の街をうまく使う森見さん…。
    もう、勝手に私の中で「三四郎」は明治版森見系作品に決定。

    浮世離れしているようでも世間の片隅で自分なりにしっかり生きてる、同郷の先輩野々宮さんや、与次郎の師(主たる寄生先ともいう)である広田先生といった脇役たちがそれぞれに魅力的なのもまたいい。今の時代だったら番外編が出そうないい味出してる、いわゆるモブキャラですね。
    特に広田先生は、漱石が自分自身をモデルに作った、遊び心と鬱屈心が複雑に入り混じる投影系キャラな気がする…。

    脱線しましたが。
    美術品に興味関心の強かった漱石らしく、たくさんの実在の美術品が登場するのも本作の大きな魅力。
    英国人画家ウォーターハウスの「人魚」、フランス人画家グルーズやスペイン人画家ベラスケスの作品についての言及、イタリアはヴェニスの風景をたくさん描いた吉田博・吉田ふじを兄妹の作品…などなど。
    美術好きにはたまらない。

    なにはともあれ、読めば、大半の読者が、『「ストレイシープ(迷羊)」なヘタレ三四郎君に次こそは幸あれ!』と思うのではないでしょうか。

    再読だったのですが、新たな発見もあり、とても楽しく読めた作品でした。

    • moboyokohamaさん
      hotaru様
      三四郎を森見さんの作品と繋げるとは、うーむ、凄いなあ。
      三四郎がヘタレだという読みも、ああそうなのかぁという感想です。
      三四...
      hotaru様
      三四郎を森見さんの作品と繋げるとは、うーむ、凄いなあ。
      三四郎がヘタレだという読みも、ああそうなのかぁという感想です。
      三四郎を読んだのがずっと若い時だったのでなかなか深く読めなかったです。
      たまたま今NHKの「らじるらじる」で三四郎の朗読を聴いています。hotaru さんのそのご意見を抱きながら聴いてみることにします。
      2020/04/26
    • hotaruさん
      moboyokohamaかわぞえさん

      こんにちは。コメントありがとうございます。
      レビューを書いておいてなんですが、連想は人それぞれ違うの...
      moboyokohamaかわぞえさん

      こんにちは。コメントありがとうございます。
      レビューを書いておいてなんですが、連想は人それぞれ違うので、誰もが「三四郎」から森見さんに繋がるかといえばそうではないだろうなあ、と確かに思います。 

      個人的には、三四郎の姿に、森見さんの「命短かし恋せよ乙女」や「四畳半神話体系」がもう頭から離れなくて。

      ラジオ、楽しんでくださいね!
      2020/04/26
  • 青年期の絶妙な心の機微。森見登美彦感ある。
    なんだろう、登場人物のちょっと残念な感じがたまらなく好き。
    なんとない日常系の描写の愛おしさ。

  •  ちょっとタイトルを聞くことがあって、なのに内容を思い出せなくて、読み返し中。驚いたことに、綺麗さっぱり忘れていた。「迷い羊(ストレイシープ)。わかって?」しか思い出せない。考えてみたら、『三四郎』を読んだのはまだ幼い頃で、恋愛ごととかにも疎く、何が書いてあるのかよくわからないままに読んでいたのだと思う。それにつけても、ストレイシープという語の響きの強力なことよ。
     しかし、漱石の書く男だからというべきなのか、三四郎の情けないことといったらないなぁ。お主、何もしておらぬではないか。どうしてこれで、美禰子に惚れられているかもとか思い込めたのか、不思議。でも、田舎から文化の違う都会への上京だとか、そこで触れる異文化学生との触れ合いの日々とか、親から来る便りとか、恋に恋するような美禰子への気持ちとか、ああ、そうそう、これぐらいの年ごろってこんなだったよ、と思えるから、不思議。時代が違っても流れている文化は変わりないんだろうか。現在の学生が読んだら、また全然違った感想になるのかなぁ。
     この話、当時の学生にとっては現在の森見さんの書く学生ものに近かったのかしらん、とちょっと考えてみる。うーん、どうなんだろうなー。
     続きも読む予定。続きは『三四郎』以上に綺麗さっぱり覚えていない。
     どうでもいいが、漱石は主人公と先生との絡みが好きだな。主人公は美禰子じゃなくて、広田先生にもっと懐くといいよ。

  • 淡々と物語は進むが以外と読みやすいと思った。
    言葉遣いや作品の雰囲気が大正浪漫を感じさせてなんだか心地良かった。
    それにしても三四郎は大学生にもなって情けない。
    そんなんじゃ女はついてこないぞ。

  • 一つ引っ掛かったところ。第八章に「三四郎は背の高い男である」とある。
    第十一章では「広田先生は五尺六寸ある。三四郎は四寸五分しかない」。
    広田先生の約170センチに対し、三四郎は約165。
    漱石が設定を忘れたのか、明治期だと165センチで長身の部類なのか。

  •  1908年(明治41年)に発表された夏目漱石の小説。「それから」「門」と合わせて三部作と呼ばれる代表作のひとつ。熊本から上京して東京大学に通う三四郎とその周囲の人々の交流が淡々と描かれる。日常系とでも言うか、特に大きな事件が起こるわけではない。

     今から110年前、20世紀が始まったばかりの頃であり、新しい時代に向けて意気盛んな若者がいたり、なんとなく流されていたりするが、男女の微妙な気持ちに対する感覚などはまったく変わっていないようだ。

     余談だが読みながら森見登美彦の「四畳半神話大系」と同じような雰囲気を感じた。学生が主人公であることとや、友人の与次郎が小津を彷彿とさせること、文章のリズムやテンポが若干似ていることなどが理由だと思う。新しそうに見えても、もう文豪がやってるということか。

  • 漱石の前期三部作の第一作。実直ながら内気な学生、三四郎。朴訥な彼の感覚を通して描き出されるのは瑞々しい「青春」。

    熊本の高等学校を卒業して、東京の大学に入学した小川三四郎は、見る物聞く物全てが目新しい世界の中で、自由気儘な都会の女性里見美禰子(みねこ)に出会い、彼女に強く惹かれてゆく…。
    青春の一時期において誰もが経験する、学問、友情、恋愛への不安や戸惑いを、三四郎の恋愛の中に投影し、『それから』『門』に続く三部作の序曲をなす作品。

    上京途中に出会い、同宿した女性に全く手を出せなかった愛すべき三四郎は「あなたは余っ程度胸がない方ですね」との手痛い言葉を浴びる(浴びせる方も如何なものかとも思いますが)。ほかにも、「(日本は)亡びるね」と言い放った広田先生や、「偉大なる暗闇」なる仰々しい文章を雑誌に寄稿した佐々木与次郎、三四郎を「迷える子(ストレイ・シープ)」と呼ぶ美禰子など、個性豊かな面々が登場。彼らに突き動かされるように、三四郎の物語が展開していきます。ストーリーがやや単調すぎるきらいはあるものの、漱石が初期には敬遠していたかに思える「近代小説」らしい小説を書き始めた転機となる作品ともいえそうです。

  • 文豪というのはロマンチストなのだろうか
    よくもこうミステリアスに人の恋模様を文字に描けるものだと感心する。
    文豪といえば、帝国大学だなんだと学のある存在であるのに、題材にするものは恋心が多い気がする。
    気がするだけで実際はそうでもないのかもしれないけど、とにかく何かしら人間の恋模様には興味が絶えないのか、文豪にすら読み解けない心の有り様をいかに解くべこうとするために筆を走らせるのだろうか。現代の恋愛小説と比べるとなんだかとてもそれがミステリアスに書かれているような気がして、これはミステリーなんじゃないかと思えてくる。
    あらすじといえば、一夏の恋みたいなもんなのに。
    それくらい主人公の想う相手の心持ちは不可思議なまま、または自身の心持ちも不可思議なまま進んでいく。だからこそ文豪が文章にしていく人間の心というものにどんどん惹き込まれていくのだ。
    一体全体何をしたいんだろうか、なぜ恋愛小説で人間の心を書こうとするのか、それ自体が不思議で仕方がない。恋愛小説はほとんど読まないので、比べるものが少ないけど、私は村上春樹を読んでるのかと言う感覚に一瞬陥った。
    一昔前に読んだような感覚。
    そうか、今日の全ての小説家はこの本を読んでいるのだと気づいた。それに気づいた時にやはりひとしきり有名な文豪の著書は読まねばならないのだと思った。

  • 「StraySheep」が印象的な作品。結婚に"恋愛"を考えることが少ない時代、美禰子の行動は積極的だと感じた。冒頭に女性が告げる「よっぽど度胸のないかたですね」という言葉が痛いほど響く。「あなたは索引のついている人の心さえあててみようとなさらないのん気なかただのに」という美禰子の言葉が、三四郎をよく理解しているなと。迷羊は三四郎の心に永劫住み続けるのか。迷羊、迷羊。巡査は居ない。誰も助けてやくれない。これも場所が悪いのか。迷羊、迷羊。20年後、変わらぬ美禰子の姿を夢で見るのかもしれない。

  •  森鴎外の『青年』はこれに触発されて書かれたと知り,こちらも読んでみた。
     時は明治の終わり頃の列車の中。乗っているのは23歳の小川三四郎。東京帝国大学に合格し,熊本から上京しているところだった。下宿に着くと母から挨拶に行くよう言付かっていた理科大学の野々宮宗八を訪ね,大学の池の畔で美しい女性,里見美禰子を見かける。主な登場人物は野々宮の妹よし子に,三四郎の学友である佐々木与次郎,与次郎の師である広田萇,画家の原口など。彼らの中で三四郎は学問について考え,美禰子への恋慕に苦しみ,人生を学んでいく。
     鴎外より漱石の方が読みやすい印象があるが,やはり『青年』より親しみやすい文体で読みやすかった。

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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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