我信念 [Kindle]

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  • 2012年10月4日発売
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感想・レビュー・書評

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  •  清沢師の本は初めて読む。お東の近代教学の祖であるけれども読んだことがなかった。たまたまKindleのリコメンドに上がってきたので読んでみた。

     すごく短いものであっという間に読み終わった。それなりに気になるところもあったが、読み終わった後、最後に「絶筆」とあった。それでこんなにさらっと読み終わっていいものだろうかと思いもう一度読んだ。

     自分は清沢師が文中に使う「信」という言葉の意味するところがなんとなく心もとない。定型で解釈していいというものではない感じがする。

     病で亡くなられたので絶筆ということはご自身の死をも見つめた文章であると思う。そう思って読んだ時に、「一つに、」というようにまとめられている書方が気になった。自分自身への語りかけなのか、これを読む人に伝えたいということなのか。

     論理や研究じゃないところで宗教の話をしようとしている。自身について、他者に対する義務、いわゆる人倫道徳から出てくる義務を実行することができない。「不可能」だと。自分はこの「不可能」に突き当たって苦しかったが宗教によってこれを「脱した」とおっしゃっている。自分はまだここに頷けない。「不可能」に苦しむまでだ。

     もう一つわからない言葉が、

    ”如来は私の一切の行為に就いて、責任を負うて下さるることである。私は只此如来を信ずるのみにて、常に平安に住することが出来る”

    いわんとすることはわからんでもない。でも本当にそうなのだろうかと自分の中の実感が疑問でいっぱいなのだ。死を前にしてもあなたはそうであるのかと。

     先ほども書いたが、これはご自身に向けたものかもしれない。それか赴くままに書かされたものか(その原動力がなにかはわからない)。いずれにせよ、これだけ読んでも自分は清沢師の書かれていることがわかったとはいえないと感じた。ある意味分かりやすく順を追って書かれているのに全然わかった気がしない不思議な文章だった。

     改めて清沢師の別の著書を読んでからここに戻ってみたいと思う。

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著者プロフィール

清沢 満之 (キヨザワ マンシ)1863年生まれ。明治時代の仏教哲学者・思想家、真宗大谷派の僧。尾張藩士の子として生まれたが、のち西方寺に入寺、清沢姓となる。東京大学大学院にて宗教哲学を専攻。1896年東本願寺で教学刷新と宗門改革を主唱したが、一時宗門より除名処分された。1899年真宗大学の初代学監に就任、宗門における人材の養成にあたった。一方、東京に私塾浩々洞を設立し、暁烏敏らと雑誌『精神界』を創刊、精神主義運動を提唱して革新的な信仰運動を展開した。1902年自坊に帰ったが、孤独のうちにも、より高次の信仰を形成し、西田幾多郎などもその影響を受けた。1903年没。

「1963年 『精神主義』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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