ローマ法王の休日 [DVD]

監督 : ナンニ・モレッティ 
出演 : ミシェル・ピッコリ  イエルジー・スチュエル  レナート・スカルパ  ナンニ・モレッティ  マルゲリータ・ブイ 
  • Happinet(SB)(D)
2.58
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感想 : 84
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4907953042902

感想・レビュー・書評

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  • 新ローマ法王を決める選挙「コンクラーヴェ」は、誰かが3分の2を得票するまで繰り返される。
    あるときのコンクラーヴェはなかなか法王が決まらず混戦となっていたが、最終的には全く注目視されていなかったメルヴィルが選出されてしまった。
    しかしその重圧に耐えきれなかったメルヴィルは、バルコニーでの信徒へのお披露目をボイコットし、ついにはヴァチカンから逃走してしまう…。

    これ、予告編やタイトルから「新ローマ法王がビビって逃げ出したけれど、街で市井の人々と交流したことで自覚を取り戻しヴァチカンに戻っていく」というハートウォーミングストーリーを想像していたのだがとんでもない。ハートウォーミングどころかハートブレーキングな物語だった。
    ここまで予告編詐欺なのも珍しいな~。「(予告編に)騙された!」という気持ちで評価を下げる人も多そう。

    一国の君主なり大統領なりも常人では耐えられないプレッシャーを強いられると思うが、法王(正式には教皇)は世界12億人のローマカトリック教徒の頂点に立ち、しかも宗教以外には時として相反する利害を持つ信徒たちの期待に最大限添うだけでなく、「神の御心に添うこと」という通常の国の総帥には求められていない使命まで負っている。
    冒頭のコンクラーベのシーンから既に違和感はあり、実は、名だたる枢機卿たちも内心では法王になどなりたくないと思っている。メルヴィルがコンクラーヴェで選ばれたとき、ほかの枢機卿たちの表情には、新しい法王が決まったこと、それがメルヴィルだったことを祝福する以上に、自分が選ばれなくて良かったという安堵が浮かんでいるように見える。

    そして法王に選ばれたメルヴィルは、「法王として」は、カウンセラーに対して人間としての過去や家族のことを語ることすら許されない。
    そんな彼が最後に出した「人間宣言」は、単にメルヴィルの個人的な心のありかたを描いたものなのかもしれないが、解釈によってはローマカトリックの運営や教義を真っ向から否定する思想を含んでいる。ダン・ブラウンの「天使と悪魔」よりもよほど過激な結末だ。
    果たしてカトリック教徒やヴァチカンがこの作品を観てどう思ったのか気になる。

  • 完全に邦題にミスリードされた。よくあるほんわかおじいちゃんムービーだと思ってた。休日の午後にぴったりな温かい作品に……なっていません!
    ラストの一言によってはそっち系にまとまる可能性もあったし、それはそれで素敵だとも思います、私も主に導かれながら頑張ります(^-^)/とか。でも無難な方には行かず、あんな音楽ドーン!でエンドロールとは、シニカルというかブラックというか。こんなに驚いたラストある意味初めてだわ

  • コメントで散々書き尽くされている通り、コメディかと思ってかりてみたらとても憂鬱な雰囲気の映画でびっくりしました。
    始まりから、枢機卿たちの「法王に選ばれませんように!」という祈りの数々。この入り方、シュール。聖職者たちの人間くさい葛藤…迷える子羊たちを正しい道へと導く老獪たちの、なんとまぁ情けない姿!それがまた愛らしい感じで、メルヴィルに決まった瞬間のメルヴィルの呆然とした姿と、安らかな枢機卿たちの姿、静かな拍手…。(内心ガッツポーズだろうなw)ああ、どこで逃げだすのかな、どこでこの重圧に負けて休日しちゃうのかな、とわくわくしてたんですが、メルヴィルさんの精神不安定具合がガチで、雲行きが怪しい…。精神科医まで来てしまうし、挙句の果てには逃走…休日?逃避行でしょう。アン王女はきちんと自らの立場に戻ってきたけれど、彼は法王の座を放棄。カトリックはどうなってしまうの…?不安がいっぱいの終わり。

    物語自体が「憂鬱」に満ち溢れていますが、この「憂鬱」を助長させることになったと考えられるのは、「演劇」という要素でしょう。チェーホフの「かもめ」の公演を控えた劇団とのめぐりあわせと、メルヴィルの劇役者になりたかったという過去。そして、現実においては「法王」という役を演じなくてはいけない、という重圧。
    様々な人生が異様なまでに絡み、連鎖的に起こっていく不幸の渦を客観的に捉える。「かもめ」にはそんな印象をもっているんだけど、この感覚が「法王の休日」にかぶっていくと…現実の役割の重みに押しつぶされそうになる反面、本物の劇役者との関わりによって、現実と舞台がお互いの世界を侵食しあい、ああ、もうセリフひとつひとつが、主観性を帯びたり、架空の、言葉遊びになったり…。
    ああ、あと、「法王」という存在の空虚なこと。中身なんてどうでもいいのです、「法王」という、たんなるひとつの「記号」(映画だと、憲兵が法王の代役を務めていましたね、要はそういうことなのですな)にすぎない。ただそこにあればいいのか。これもメルヴィルを失望させるひとつの要因だったのでしょう。

    これを「映画」というまたひとつの「舞台」で展開されると思うと…、でもこの作品の場合はそこまで「映画」という媒体に言及するような必要はないと思う。たんたんと「演劇」と「人生」について、さらには「宗教」について考える場として機能するのみだ。あえていうなら、より客観的な立場を観者に提供するものとして、有意義だったのかな。

    そして、最終的な役割の放棄!
    彼は自ら、自分のできる範囲の役柄を選んだ。演劇学校に落ちてしまった過去をもつ彼は、やはりなにものかになりきるなんてことはできなかった。「自分」の人生を歩む決意をしたのだ。

    そう考えると、メルヴィルはようやっと、自分の人生を歩み始めることができるのかなぁ。憂鬱はいつでも付きまとうものですからね、折り合いをつけてやっていくしかないものです。劇的な事件ですが、非常に現実的に現実を見つめた映画です。地に足がついているからこその辛さを感じました。

  •  ラスト、「え?これで終わり?」と思わず口から出てしまった。
     新しいローマ法王に選ばれた主人公が、その重圧から逃げ出してしまい•••というストーリー。
     ラストもそうですが、どう解釈したらいいのか困るエピソードが挟まれていて、難解な作品でした。

  • 2011 イタリア フランス

    世界で最も気高く栄えある役職の一つであるローマ法王の座。しかし現代において、その実態はただの生贄の子羊だった。

    規律を守り善良に生きてきたのに人生にむなしさと行き詰まりを覚えている孤独な老人の姿が、変わりゆく時代に対応できずにいるカトリック教会と重なって、何とも言えないもの悲しさを奏でている。

    メルセデス・ソーサの「トード・カンビア」(すべては変わる)が流れるシーンが特に美しく印象的だった。
    時代は変わる。すべては変わる。すべてが変わりゆくのだから、私が変わっていくのも不思議ではない。
    変わっていけるだろうか?変わるべきでないことを守りながら、新しく生まれ変わることができるだろうか?変わるべきことと変わるべきでないこと、それはどうやって選べばいい?

    最悪な状態にいる時は、それをありのままに認めることができれば、そこから回復の可能性が生まれる。ラストシーンのメルヴィルは誠実だった。誠実って、正直ってことだ。メルヴィルの回復はここから始まるのかな。カトリック教会はどうだろう?

    ローマの休日の横に並んでいたので、ローマの休日を借りるついでに、つい借りてしまった。パッケージにはコメディと書かれていたので、ローマ法王がオードリー・ヘップバーンみたいにスクーターを運転してみたり、どっかの広場でジェラートを食べたり、真実の口に手を突っ込んだりするのかな、という軽い気持ちで見てみたら…。チャプター3まではコメディだと思っていた。それ以降は、ユーモアはあるけれどコメディじゃない、人間ドラマだ。

    リーダー不在で何一つ決まらないとか、決まったことが次の選挙で全部覆るとか、選挙公約が何一つ守られないとか、民主制には問題が多々あるけれど、この映画を見てやっぱり王政とか独裁制とかは残酷すぎると思った。独裁者がとんでもないことをやらかすリスクがあるということだけではなく、一人の人間にあんまり重い責任を課すシステムは残酷だ。死ぬまで重いプレッシャーに耐え続けるなんて。国のトップだって同じような立場に見えるけど、民主政治の一国の首長なんて、いくらでもコロコロ変わるもの。

    コメディではなかったものの、いい映画だ。役者も風景も音楽も素晴らしい。また何度でも観たい。

  • 予告詐欺。映画の中の観衆と映画館の観客が( ゚д゚)ポカーンとシンクロ。

  • 何年もの間病に伏していた法王が逝去し、葬儀が執り行われる。そして次には、カトリックの総本山たるバチカンで、世界中から集まった枢機卿がコンクラーヴェ(教皇選挙)を行い、新たな法王を選出しようとしていた。
    繰り返される投票のすえにようやく新法王に選ばれてしまったのはメルヴィル。
    しかし、広場に集まった多くの信者に姿を現そうというその直前に絶叫。「私には無理」と言いだし、逃走してしまったからさぁ大変!
    すわ、心身の異常か!? と医師に体を診てもらっても、精神科医に相談しても、思わしい結果は出ずに、とうとうメルヴィルはローマの街へと彷徨い出てゆく。
    劇団に紛れ込み、俳優の代役を務めようと申し出たり、街の教会に入り込んで一介の神父の説教に耳を傾けたり。

    一方、残された枢機卿たちは、これまた法王に取り残された精神科医の発案によって、出身地域ごとに分かれてバレーのリーグ戦を行うことに。一見無茶苦茶な子の発案によって、ふだんから睡眠薬や抗精神病薬を手放せない枢機卿たちは、次第に活気を取り戻してゆく。

    やがて法王が“休日”から戻り、信者の前に姿を現す。新法王・メルヴィルが下した決断とは――。


    大きな話の展開はないが、新法王に選ばれたメルヴィルと、彼の不在の間の枢機卿たちの細々としたエピソードが丁寧に積み重ねられ、聖職者の中でも特に高位の彼らを愛すべき人々として描いていて思わずニンマリしながら見てしまう。
    それらがすべては意外な結末に確実に誠実につながっている。
    コメディ調で楽しめるが、最後に映画的な爽快感はない。けれどこの愛すべき等身大の聖職者の姿と気持ちに、共感を覚える人は多いはず。

  • 最初はどの作品でも特典映像から観ています。大まかな作品の印象を掴んでからの方が、個人的に楽しめるからです。
    こちらの映画はイタリア映画だけあって、特典は全編イタリア語でした。字幕はないので、なんかヒゲのおじさんが叫んでいるぞ?! あまりのインパクトに驚きました。見続けて分かったのですがそのヒゲの方、監督でした。演技指導だったのでしょうね。

    イタリア語を独学ですが学んでいるため、所々で知っているぞという単語は出てきますが意味は分からず。吹き替えを入れろとは言いませんが、字幕は入れて欲しかったです。
    日本の特典はとにもかくにも演者がわちゃわちゃしている映像が多いように思えますが、これはとにかく演技指導がメインで、本編にはあまりなかったピリピリとした空気を纏っているように見えます。本編はピリッとした空気はあまりありません。

    本編は大役を務めたくないがために逃げ出したはずが、色々な物事に触れ、沢山の言葉を聞き、自分の中でなぜなのかという答えを導き出す逃避行劇というのでしょうか。重たくないのでさらりと見られますし、ちょっと煮詰まってしまった時、なにか自分の中にある感情を整理したいときに見ています。
    不思議と見終わると、視点を変えて物事を考える余裕が出てきますので。
    あとは、イタリア語を耳に慣らすことが出来るので何度も観ています。
    ラストシーンは賛否があるようですが、自分で好きに考えれば良いのでは? なんでもかんでも答えが見える形で転がっている訳がないのですし、すべての答えを出す必要もないと思います。
    「じゃ、仕方ないねー」ということにはならないのは作中でも描かれています。まあ、昨今のバチカンをみていて、コンクラーベが行われそうな気がしなくもないけど。
    低い評価が多いのが残念ですが、バチカンも面白い作品だと言っていただけあって個人的には楽しめました。

  • 前法王の逝去で時期法王の選挙が始まった。中々決まらず、みんな心の中では自分が選ばれません様にと必死で祈る。何度も投票が繰り返された末誰も予想しなかったメルヴィンが選ばれた。
    しかしメルヴィンはバルコニーに出られず、鬱状態に陥り、セラピストに会いに行った足で逃げ出してしまう。

    じいさん・じいさん・じいさん達の波。セラピストにのせられてみんなで何故かバレーボールをしたり、選ばれなくて呑気にしつつ、自分がなりたくなかったというのもあるだろうけど選ばれたものに対して不満を言わないのは偉いなと思う。
    選ばれてしまったメルヴィンの苦悩が漂いながらも何処かコミカルで、日本語タイトルから期待した感じのコメディではないけれど、モレッティらしくつて結構好き。バチカンの衣装が凄く鮮やかで楽しかった。

  •  コンクラーベで決まったローマ法王はその責任に耐えかねて篭ってしまう。他の司教や治療の為にやってきた精神科医は右往左往。やがて法王はこっそり外に出ていき。。。

     これはコメディというより相当にパンチの効いた皮肉の映画だと思う。確かに笑えるがドタバタコメディみたいなものではない。
     教会という権威も精神分析という権威もこきおろされる。市井に出た法王がその中で何かを見つけ、法王を待つ間に自由に過ごす司教や精神科医達が生き生きしてくる描写が象徴的だ。
     法王の人間宣言からの驚きのラストはこのこきおろしから考えると必然に思える。本当にパンチの効いた映画だ。 

      ナンニ・モレッティは「息子の部屋」でも精神科医役を自らやってたけど、何か意味があるのだろうか?

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