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- / ISBN・EAN: 4988013297968
感想・レビュー・書評
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一切の妥協を許さない。
そんな俳優、子役俳優さんたちの覚悟が伝わってくる作品でした。
ひとりでも怯んでしまったら、この映画の伝えたい思いが剥がれ落ちてしまう。そんなピリピリとした空気が漂っているようでした。実際にあったおぞましい事件を前にして、映画制作に携わった誰もが相当なプレッシャーや葛藤に苦しまれたのではないでしょうか。
原作では実際の事件より、加害者、被害者の数を減らしていましたが、映画はそれ以上に登場人物を減らし、さらには彼らの繋がりや人物背景も若干整理しなおしたことで、この映画の「訴えたいこと」がストレートに伝わり、ぶれることはありませんでした。
原作とのいちばん大きな違いは、美術教師として学校に赴任してきたカン・イノ(原作ではカン・インホ)の行動です。
なかでも原作ではラスト近く、ある事情で逃げるように闘いの場を離れた彼ですが、映画では全く違うエピソードが用意されていました。
このエピソードに至るまでには、原作にないとてもやりきれない事件が起こるのですが、それでもその闘いの場に残ったカン・イノが見せた悲しみが溢れだす激情には胸を締めつけられました。
わたしにとってのカン・イノの印象深いシーンを思い返すと、どれもが無音のイメージとなります(実際に音がなかったシーンもありますが)。
自ら後戻りできない道を選んだとき。今この子の手を放すことはできないと覚悟を決めたとき。証言台にひとりっきりで立つ、か細い背中を見つめるしかなかったとき。おぶった背に子どもの温もりを感じたとき。狂乱のるつぼと化した法廷内で茫然自失となったとき。子どもの名前を叫び、悲しみで張り裂けそうなほど慟哭したとき……
聞こえるはずのない彼の心臓の音だけが、わたしの耳に響いてきました。
そして子どもたちとカン・イノの目も忘れられません。
どちらも理不尽な現実を前にして諦めたような感情のない目をしていたのが、その現実への闘いをともにするうちに、次第に強く優しい眼差しへと変わっていきました。
きっと本来彼らの持っていた温かさなのでしょう。イノの手話をする手の動きがとても優しいことからもわかります。優しさは強さ。彼らの尊厳を守るための勇気へとも繋がっていくようでした。
だからこそ、子どもたちとカン・イノ、そしてソ・ユジンが海辺で見せた、ほんの束の間の幸せを感じるシーンはとても忘れることができません。
思えばソ・ユジンの芯の通った揺らぎない意思は、折れそうになる彼らをいつも支えてくれていました。
目を背けたくなるようなシーンが続くなか、その家族のように寄り添ったささやかなひとときが、映像として残ったことを本当によかったなと思えたのです。
この映画の結末はある意味、未完成だと思います。
この事件を闇に葬ってはいけない、知ってほしい、何か感じてほしい。今できる最大限の力を振り絞って作られたこの作品から、韓国の人々へと賽は投げられたのだと思います。
私たちの闘いは 世界を変えるためでなく
世界が私たちを変えないようにするためだと
とても寒くなりました
冬が寒いのは
そばにいる人のぬくもりを
感じるためだそうです
今は離れてるけど
子供たちと私のぬくもりが
伝わることを 祈ってます
最後に。
原作『トガニ』の感想にも書いたのですが、この事件のあらまし、その後の展開などを一応こちらにも残しておきます。
2005年6月。韓国南部の都市、光洲市の某聴覚障害者特殊学校で、校長をはじめとした教職員が長期にわたって障害児たちに性的暴行や体罰を加えていたという、信じられないようなおぞましい犯罪が内部告発によって明らかにされた。
加害者たちは逮捕されるが、あろうことか彼らは警察や教育庁、弁護士や裁判官らの共謀(といっていいだろう)によって、執行猶予付きの不当に軽い刑罰となる。
2009年、社会派作家・孔枝泳(コン・ジヨン)さんは、この実話を題材にした小説『トガニ』を発表しました。
この小説を兵役中の俳優コン・ユさんが、進級記念として指揮官からプレゼントされます。小説に衝撃を受けたコン・ユさんは、忙しさを言い訳にこういう事実から耳を塞ぎ目を閉じて生きてきたと感じます。
このような事件が世の中に起きていることをみんなに知ってもらい、何かを感じるきっかけになってほしいと願い、事件を闇に葬らせないためにも原作者の孔枝泳さんにアプローチし、映画が制作されました。
映画は460万人以上という多くの観客を動員し、その反響はすさまじく、ついに政治をも動かすことになったのです。
2011年10月、「性暴力の処罰などに関する特例法」が改正されました。
小説の名から「トガニ法」と呼ばれたこの法には、障害者の女性や13歳未満の児童に対する性的犯罪に対し最高で無期懲役まで科することを認めるとともに、性犯罪の時効をなくすなどの内容が盛り込まれたのです。
世論に押される形で警察は再捜査に乗りだし、加害者も再逮捕され(とんでもないことに復職していた教職員もいた)学校は廃校となりました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
昨年の今頃「原作」を読んでレビューをあげた。見損なっていた映画版がアマプラに存在することをこの前気がついて、深夜鑑賞した。本来書評メモとして利用しているブクログに映画評を記録するのは不本意なのだけど、長くなったので勿体無くなって置いておく。
ストーリーは末尾の(見どころ)(あらすじ)を読んで頂くとして、感じたことをつらつらと述べる。
2005年に事件発覚(光州市聴覚障害者特殊学校での校長や教師の生徒への性暴行事件)。
2009年に社会派作家孔枝泳(コン・ジヨン)が「トガニ 幼き瞳の告発」を出版。
同年、兵役に出ていた人気俳優コン・ユが上長から本書をプレゼントされて「見て見ぬふりをしてはいけない」と映画化を熱望。
自ら主演して2011年公開。
同年10月いわゆる「トガニ法」が成立して、
執行猶予を得ていた犯人たちの再捜査・逮捕になり、
犯行舞台の学校は閉鎖された。
去年原作を読んで私の感じたことは大きくは2つ。
(1)韓国には87年の民主化運動の成功体験を財産に、人権が損なわれることには敏感に反応する力がまだまだある。
(2)しかし、それと同等以上に地縁血縁金縁の保守的体質は温存されている。
かなりマイナーな感想ですよね。普通の読者は、普通に怒り、普通に涙したことだろうと思う。 2018年に私はソウル・光州を旅した。光州5.18民主化運動(光州事件)と87年民主化運動を扱った映画のロケ地巡りだったので、光州市が舞台の「人権」事件にこだわりがあったのである。
そして今回、私は具体的描写に満ちた映画を観た。当時の韓国社会の「感情」さえも想像できた気がした。映画では、原作では分かりにくかった性暴行の具体的な描写や裁判の進行がよくわかる。原作よりも遥かに訴える力があった。80年5.18運動のメッカだった光州市で起きた事件を、2005年の事件発覚から6年も経ってやっと気がついた韓国国民は、87年のことを思い出して目が覚めた想いをしたのではないか。キリスト教系学校で起きたこの事件をうやむやにしてはいけないと1番動いたのは、もしかしたら韓国の国民宗教とも言えるキリスト教信者の人たちかもしれない。
大きな気づきがある。原作の出版からコン・ユの決意、映画公開、法改正までのプロセスが、あまりにも速いのだ。映画はコン・ユの決意から始まったのでは多分無いだろう。孔枝泳氏が原作を書いていた08年ぐらいから青写真を描いていた人物はいたに違いない。もしそうだとしても、これは日本では絶対(と言い切るのには躊躇いはあるが、それでも絶対)起きないことだと思う。韓国社会ならではの現象だ。
日本では、いくら一応架空市の出来事として描いているとしても、ここまで事実に即して描いているなら、クズの犯人たちだけでなく未だ元気に働いている犯人に手を貸した警察や教育庁、医師、弁護士、裁判官を断罪する作品を、メジャーな映画として公開することは無理なはずだ(「新聞記者」の成功によって、政治家批判だけは少し可能になった)。また、映画で法改正まで進むことも日本では一切ない。韓国社会はそれを実現した。むしろこの映画の成功が、1987年ならぬ2017年のロウソク革命・大統領の罷免まで繋がった可能性さえもあるだろう。
ここに、日本人が韓国社会を理解できない、理解しようとしない「大きな秘密」があると思う。韓国社会は日本だけを断罪するのではない。このように、自国民をも平気で見事に断罪するのである。断罪という言葉はおかしいかもしれない。白黒をハッキリさせるのだ。それは儒教の教えが今も息づいているからだろう、と私は推測している(名分論)。
韓国社会では、大統領になった人間は、故人以外は、その多くが獄に繋がれている。この極端から極端へが韓国社会なのである。ところが、韓国の人たちと話している時に、みんな共通していうのは、「直ぐに彼らは恩赦で出獄する」と悔しがるのである。「建前」は白黒をハッキリさせる。けど庶民は権力の壁にいつも絶望し諦めている、ということでも共通している。
この「トガニ」をめぐっての映画製作、法改正までの一連の取材を、社会学論的アプローチで日本人が書籍化できたならば、知っているようで知らないお隣の国・韓国の理解が進むのではないか?と夢想する。韓国人にとっては当たり前のことなので、こういう視点で一つの映画作品の裏側を書こうとするのは日本人しか居ないからである。何処かの出版社やらないかなぁ。
見どころ
『マイ・ファーザー』のファン・ドンヒョクが監督と脚本を務め、実話を基にしたコン・ジヨンの小説「トガニ-幼き瞳の告発-」を映画化した衝撃作。聴覚障害を持つ子どもたちに暴行や性的虐待を行い、それを隠ぺいしようとした教育者たちの本性を暴き出す。本作の映画化を熱望した『あなたの初恋探します』などのコン・ユがこれまでのイメージを一新し、悩める教師役で新境地を開拓。国をも動かした、あまりにもむごい真実の物語に戦慄(せんりつ)する。
あらすじ
カン・イノ(コン・ユ)は大学時代の恩師の紹介で、ソウルから郊外のムジンという町の聴覚障害者学校に美術教師として赴任する。着任早々彼は校長の弟の行政室長(チャン・ガン)に、教職を得た見返りとして大金を要求される。最初から学内の重苦しい雰囲気を奇妙に感じていたイノは、ある晩、帰宅しようとして子どもの悲鳴を聞きつける。
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実刑でないのが信じられない。
示談ってなんだ?
そもそも教職だぞ。聖職ぞよ。
なんかおかしい。社会がおかしい。
初弁護で花持たせって、意味わからん。
みんな自分さえ良ければよくて、
世界の歪みに気づかないふりをしてる。
修正しなければ、やがて自分や子供たちに返ってくるのに‥。
悪いことしたら、反省し謝る。
気持ちを入れ替え生きてく。
とてもシンプルなこと。
弱者はいつまでも弱者なのか。
そもそも弱者とか障がいとか言うな。
みんな揃ってるのか?持ってんのか?
ないから、苦しみながら生きてんじゃないのかぁ。
子供があんな痛い気持ちを抱えて生きてるなんて、
そんなんいかんやろぉ〜〜爆涙。
それにしても映像がショッキングだった。
演技でもあんな体験させたくない。
どうかどうか、子役のトラウマになりませんように。 -
恩師からの紹介で、霧の街として有名な郊外の街ムジンにある聴覚障害者学校・慈愛学園で、美術教師の職を得たカン・イノ(コン・ユ)は、ソウルで暮らす母に愛娘・ソリを託し、1人新天地で働くことを決める。
だが着任早々、イノは学園に漂う不穏な空気を感じ取る。一見人当たりがよく温和そうに見える校長だが、その目は決して笑っていない。
そんな校長と瓜二つの双子の弟・行政室長に至っては、教職に就くための代償として平然と不正な金を要求してくる始末。
そして何より生徒たちのおびえたような暗い表情に、違和感をぬぐえない。
そんなある日、イノは職員室で同僚のパク教師が男子生徒・ミンス(ペク・スンファン)を袋叩きにしている現場に出くわす。パクは、寮を黙って抜け出した罰を与えているという。
そして女生徒・ユリ(チョン・インソ)に導かれるようにたどり着いたある部屋の前。そこでは女寮長のユン・ジャエが、女生徒・ヨンドゥ(キム・ヒョンス)を、回る洗濯槽の水の中に顔ごと押し込んでいた。
躾をしているとうそぶく彼女に、激昂するイノ。
ぐったりしているヨンドゥをすぐさま入院させ、人権センターの幹事、ソ・ユジン(チョン・ユミ)に連絡を取る。
ヨンドゥによると自分を含めた複数の生徒が、校長をはじめとする数人の教師たちから日常的に性的虐待を受けているという。
しかも地元の名士である校長は、警察さえも買収済み。警察はこの事実を知りながら、見過ごしているのだった。怒りに震える二人は、マスコミの力を利用して真実を暴露することを決意。
TVカメラの前で、自らの体験を語る子供たちの痛々しい手話はイノの心をえぐる。
子供たちの衝撃的な告白が放映されたことで、警察もようやく重い腰をあげ、校長たちは逮捕。
戦いの場は法廷へと移ってゆくが、イノは学園から解雇を言い渡されてしまう……。
韓国の聴覚障害者学校で実際に起きた性的虐待事件の真相を綴ったサスペンス。
児童が電車に轢死する出来事や児童を先生が虐待しているのを見たり、児童から校長に性的虐待を受けたことを聞いたり、徐々に学校の異常さに気づいた主人公が児童の証言を集めて校長を追い詰めるまでを緻密に描いていて、傑作サスペンス映画に仕上がっています。
この映画がきっかけで校長先生が起訴されたのが、この映画の説得力を証明しています。 -
霧のようにうやむやにしやがる汚いクズばかりで許せないし許さない。
この霧がどうか一日でも早く晴れますように。 -
うわあああ。もう特に前半は叫びながら見た。個人的には終盤、ちょっと映画として盛り過ぎかな、という感じがしたのが残念。裁判の判決で終わるか、原作(未読だけど解説によれば)のような終わり方をした方が良かったかなあ。でも、胸倉掴まれるようなメッセージ性があるし、それを受けて社会が動いたって何か凄いことだと思う。(一気に動きすぎても怖いけどね)
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韓国映画の安定感ってどこからくるのだろうか。視点がしっかりしていて、派手な作品でも腰が座っており静かな感じがある。デフォルメされていても建築物の骨組みがしっかりしている。実話の再構築とかで、とは言え、明らかな悪の幼児虐待。踏み込んだ虐待ぶりを映すが、キワモノっぽくない。カメラはあくまでも落ち着いている。後半は裁判がテーマになり、子どもの親に示談書を金で書かせる。案外カンタンに落ちる。検事のデビューはご祝儀で勝たせるあげるなんてひどい慣習もある。証言も自分に不利になるようなことは言わないなど、ダーティな面を見せる。社会派ドラマの面目躍如だ。ただこれではカタルシスがないとおもったのか、デモ隊で水を浴びて倒れ込むという自己憐憫いっぱいのシーンとなり、あー、これでは日本映画と同じだと思ってしまう
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人には薦められないけどこれは良い作品。
見ていて胸クソは悪くなるけど実話を基にしてるらしく、この映画のおかげで法律が改正されたとかいう話だし意義はあったんだろうね。
しかし、表面的な部分しか知らないけど韓国って司法のあり方自体に問題があるように見えるね。
感情が優先されすぎてる気がする。
映画のおかげで見直されたこと自体は良いことだとは思うけど・・・確かにこの件に関しては良い方向に働いたんだろうけど、それって逆もありえるよねっていう。