私とは何か 「個人」から「分人」へ (講談社現代新書) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • たった一つの本当の自分は存在せず、対人関係ごとに見せる顔がすべて本当の自分である。
    この主張をもとに、本書では個人は分人に分けられ、複数の分人は個人を形成している。

    相手といる自分(その相手との分人)が好きかどうかで大切にしたい人間関係を考えるべきだと感じた。

  • 私とは何か、長い人生の中でしばしば自分に問いかけてきたが、よくわからなかった。
    この本のおかげで、もやもやしていたものがとてもスッキリ納得できた。

    ”だれとどう付き合っているかであなたの中の分人の構成比率は変化する。その総体があなたの個性となる。
    個性とは、決して生まれつきの生涯不変のものではない。”

    分人という考えがしっかりわかると、愛することと死ぬことについてもこれまでとちがった見方ができる。

    ”あなたの存在は、他者の分人を通じて、あなたの死後もこの世界に残り続ける。少なくとも、しばらくの間は。”

    メモを取りながらじっくり読ませていただきました。
    どうもありがとうございました。

  • audible 。平野啓一郎は哲学的。ものごとをとても深く考える作家だ。この本はaudible には向いてない。自分の考えが追いつかない。実本で読み直すことにする。

  • 新書は今まで全然読んでこなかったが平野啓一郎氏の小説に最近ハマっており、おもしろそうなテーマの新書を出されていたので読んでみた。
    結論、とても良いタイミングで良い出会いをしたと思う。

    人間には本来の自分という確固たる「核」なるものはなく、遺伝的な要因はあるものの、ほとんどは対人関係や触れてきたものから分人が生まれ、その複数の分人をあらゆる場面で自然と切り替えながら生活し、かつ、その分人の構成比率も常に変えながら生きている、と。

    だから基本的にはユニークで明るい自分であっても初めてのコミュニティにいくとうまく分人化ができず借りてきた猫になってしまったり、とある人物といるときは自然と会話が弾むのに、他の人物といると不思議なくらい何の会話も思い浮かばなかったりするし、それはそうしたくてしているわけではなく、その場では自然とそうなってしまうから仕方なく、自分という人格すべてにまで責めを負う必要はないのだ、と。

    ここまでの感想だと単なる一対一の相性や人間関係に関しての本なのかと思われるかもしれないが、「分人」という概念は対ヒトだけでなく、読んだ本や聴いた音楽などヒト以外にも使える概念であるという点が面白い。

    学校のクラスで浮いていても、職場で浮いていても、家に帰って好きな本を読みふけり、好きなアニメに没頭し、そこで感動と出会い高揚感が得られればそこでの分人化が成功しているのである。

    「分人」の概念を、対人関係から死、犯罪、世界平和まで波及させて多様な視点から考察していて思わず後半うーんなるほど、と唸ってしまった。

    頭の中で常にカラフルな円グラフがイメージされているのだが、途中から分人の融合について語られた途端にカラフルに分けられた円グラフが滲み始め、さらには人の円グラフとも混ざり始め、単色の異なる絵の具を塗った部分に水を一滴垂らすと滲んでつながりあっていくような、そんな感覚があった。

    自分というものは出会うヒト、モノによって何色にもなるし、主体的に好きなものを取り入れて、好きな色を増やすこともできる。
    色んな色を試し塗りして自分の人生を好きな色で彩ることができるのではないか。
    そんな救いを得られる内容であり、また繰り返し読みたいと思う内容であった。

  • 個性を伸ばせという日本は確かに「個性=職業」なのよ。仕事のウェートが大きすぎる。論理的にいろいろな現状を説明してくれてわかりやすかった。八方美人って言うのは誰にも同じ対応をしているから嫌われる=分人化できていない。分人化とは人に寄って対応を変えていることをいい、分人の集合体が個性。個性に核のようなものはなく、分人化比率が変化して個性も変化するという考えは腑に落ちた。ものの見方をかえてくれたありがたい一冊。

  • 相手によって自分を変えていると気づいたことはないだろうか?たとえば、友人Aには、自然に接することができるのに、Bの前だと遠慮がちになる、というように。そしてそんな自分の一貫性のなさを情けなく感じて悩むかもしれない。「私」とは、変化してはいけないものなのだろうか?

    筆者は、「私」とのとらえ方を、「それ以上分けられないもの」という意味の「個人」(individual)から、「分けられるもの」としての「分人」(dividual)へ移行させるよう呼びかけている。

    「誰とどうつきあっているかで、あなたの中の分人の構成比率は変化する。その総体が、あなたの個性となる。(中略)個性とは、決して生まれつきの、生涯不変のものではない」(P.89)。

    「学校でいじめられている人は、自分が本質的にいじめられる人間だなどと考える必要はない。それはあくまで、いじめる人間との関係の問題だ。放課後、サッカーチームで練習したり、自宅で両親と過ごしたりしている時には、快活で、楽しい自分になれると感じるなら、その分人こそを足場として、生きる道を考えるべきだ」「『人格は一つしかない』、『本当の自分はただ一つ』という考え方は、人に不毛な苦しみを強いるものである」(p.94~95)。

    自分が一つではないことに気づくことで、友人との関係、恋愛、そして大切な人との死別までも捉え方が変わる。そう主張する筆者の「分人主義」は、人生を生きやすくする智恵として注目するに値する。

    この本はまた、筆者の「分人」という概念を追求した作品(『ドーン』など)への手引きとしても読める。芥川賞受賞以来、常に新しい文体に挑戦し続ける筆者の小説世界にもぜひ触れてほしい。 (K)

    「紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉」2012年12月号より。

  • 「私とは何か?」「私とは、複数の分人によって形成された単位=個人である」とし、複数の分人(=キャラ)が、保有する「わたし」の生き方や解釈の仕方について指南した著作。

  • 個人とはそれ以上分けられない存在という定義から出発して、分人という新たな概念を定義してゆく。人は個人の中に異なる他者に合わせた文人を複数包含しており、そのすべての総合体それじしんが私自身であり私の個性を形成している。個性的であれ、という現代の西洋から持ち込まれたある種人工的で歪だが、それ自体が真理のように思えてしまう原理を定義から覆す。哲学的に深い洞察を加えながらも、日々の人間関係に疲れた現代人も気軽に読めるわかりやすい文体だった。

  • 2023/05/09初回

  • 仏教における縁起から着想を得たのかと思って読んでいたが、そうではなさそう。仏教では分人とは言わないけど、諸法無我・諸行無常と基本的同じ話。

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著者プロフィール

作家

「2017年 『現代作家アーカイヴ1』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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