高い城の男 [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • もし第二次世界大戦で枢軸国側が勝っていたら…という歴史IF小説。
    文面だけ見ると、IF世界の大きな情勢の流れを書くものかと思うけど、内容は個人のかなり観念的な描写になっている。そのためか、勝者と敗者の立場が逆なだけでこちら(現実)の世界にも通用する感覚が多い。

    作中の世界はドイツ首相のボルマンが逝去し、ゲッペルスが首相になりそうで…というところで終わる。主人公の一人である田上(サンフランシスコ在住の日本の高級官僚)は、首相候補になったナチス党員らのプロフィールが読み上げられた際、あまりの凄まじさに体調を崩す。そのシーンはたちの悪いブラックコメディのよう。
    なお、枢軸国が勝った大きな理由は、ローズベルトではなく架空の無能な首相がアメリカの舵を取ったかららしい。

    訳者あとがきでは、作中での偽物と真品の対比や、繰り返し登場する易の説明があり、作者のディックが易にハマって作品の展開を占うのに用いたエピソード等、補足として面白い。

    個人的には、「高い城の男」では、戦争を含めた世界の外圧に負けず、自身の魂に従う人物像が描かれていると感じた。
    模造品の製造をやめて銀細工を作ったエンジニアのフランク、それを単なる大量生産品ではなく誇りあるアメリカの工芸品として扱いたいと表明した美術商のチルダン、暴走するドイツへの抵抗を選んだ田上等がわかりやすい。

    なお、田上は窮地に追い込まれた際に、チルダンから購入したコルト440の早撃ちで難を逃れる。この銃は、田上自身は南北戦争で使われた骨董品と信じているが、実はフランクが勤めていた工場で造られた模造品である。
    これは、登場人物が繰り返し行う「易」も含めて、言葉や物語(エピソード)がその真贋を問わず人間に力を与えることを示している。田上はコルト440に力を貰うし、フランクは易に推されて銀細工の事業に踏み出す。
    もちろん易はただのランダムなくじ引きに過ぎないが、占った人間は、その解釈により自分自身の運命を決定づける。その解釈は、その人の隠された(抑圧された)意志の現れでもある。
    そして、その意志に気づいて従った登場人物たちの心は晴れやかだ。作中世界は暗雲立ち込める気配だけれど、彼らはラストシーンのジュリアナのように、「動くもの、光り輝くもの、生きたもの」を追い求めることができるだろう。

  • オーディブルは今日からフィリップ・K・ディック「高い城の男」。第二次大戦が枢軸国側の勝利で終わったら、という歴史改変SF。

    フィリップ・K・ディック「高い城の男」。
    「あいつらの病根はセックス、と彼女(ジュリアナ)は断定した。1930年代の昔にセックスを変なふうにゆがめたのが、どんどんひどくなっていったんだわ。ヒトラーがまず手始めに自分のーーあれはだれだったっけ? 妹? 叔母? 姪? それに、その前からヒトラーの一家は近親婚だった。父親と母親がいとこ同士だった。あいつらはみんな近親相姦を犯し、母親に欲情をいだく原罪を復活させた。だから、あいつらは、あのSSのオカマどもは、天使のような笑顔、金髪の赤ちゃんそっくりの無邪気な顔をしてるんだ」「近親相姦から得られるものはーー狂気と、無知と、死」

    「しかし、と彼(バイネス)は考えたーーどういう意味だ、狂気とは? 法律的な定義は? おれのいう意味は? おれはそれを感じ、それを見ているが、つきつめたところ、それは何なのか?
     それは彼らのしているなにか、彼らがそうであるなにかだ。それは彼らの無意識だ。ほかの民族に対する彼らの知識の欠落だ。ほかの民族になにをしているかに気づかないあの態度、彼らがひきおこした、そしていまもひきおこしつつある破壊だ。いや、と彼は思った。そうじゃない。おれにはよくわからない。それを感じはする、直感的にわかる。しかしーー彼らは無意味に残酷だ……それかな? ちがう。ちくしょう、と彼は思った。うまい言葉が見つからない。はっきりさせたいのに。彼らは現実の一部を無視する? そう。だが、それだけじゃない。彼らの計画。そう、彼らの計画だ。諸惑星の征服。彼らのアフリカ征服が、そしてその前のヨーロッパとアジアの征服がそうであったように、逆上したなにか、狂乱したなにか。
     彼らの視点ーーそれは宇宙的だ。ここにいる一人の人間や、あそこにいる一人の子供は目に入らない。それは一つの抽象観念だーー民族、国土。民族。国土。血。名誉。りっぱな人びとに備わった名誉ではなく、名誉そのもの。栄光。抽象観念が現実であり、実在するものは彼らには見えない。”善(ディー・ギーテ)はあっても、善人たちとか、この善人とかはない。時空の観念もそうだ。彼らはここ、この現在を通して、その彼方にある巨大な黒い深淵、不変のものを見ている。それが生命にとっては破壊的なのだ。なぜなら、やがてそこには生命がなくなるから。かつて宇宙には微塵と熱い水素ガス、それしかなかった。その状態がまたやってくる。いまはただの幕間、ほんの一瞬間にすぎない。宇宙的過程はひたすら先を急ぎ、生命を粉砕して花崗岩とメタンに還元していく。すべての生命は運命の車輪から逃れられない。すべてはかりそめのものだ。そして彼らはーーあの狂人たちはーー花崗岩に、微塵に、無生物の渇望に応じている。彼らは造化(ナトウール)を助けようとしている。
     その理由は、おれにはわかる気がする。彼らは歴史の犠牲者ではなく、歴史の手先になりたいのだ。彼らは自分の力を神の力になぞらえ、自分たちを神に似た存在と考えている。それが彼らの根本的な狂気だ。彼らはある元型(アーキタイプ)にからめとられている。彼らの自我は病的に肥大し、どこでそれが始まって神性が終わったか、自分で見分けがつかない。それは思い上がりではない、傲慢ではない。自我の極限までの膨張だーー崇拝するものと崇拝されるものとの混同。人間が神を食い尽くしたのではなく、神が人間を食い尽くしたのだ。
     彼らが理解できないもの、それは人間の無力さだ。おれは弱くて、小さい。宇宙にとってはなんの意味もない。宇宙はおれに気づかない。おれは気づかれずに生きている。だが、どうしてそれが悪い? そのほうがましじゃないのか? 神々は目につくものを滅ぼそうとする。小さくなれ……そうすれば、偉大なものの嫉妬をまぬがれることができる」


    ウィンダム=マトスン「ある品物の中に歴史があるってことさ。この2つのジッポライターの片方は、フランクリン・D・ルーズヴェルトが暗殺されたとき、そのポケットに入っていた。もう一方は入っていなかった。つまり、片方には史実性がある。どっさりある。品物としてはこれ以上は持てないぐらいにある。だが、もう一方はなんにもない。それが感じられるかね?」「感じられはせん。どっちがどっちか、見分けもつかん。そこにつきまとう”神秘なプラズマ的存在”や”霊気”ーーそんなものはなにもない」
    「なにもかも金儲けの種なのさ。みんなが自分をだましとるんだよ。つまり、ある銃が有名な戦い、たとえばムーズ=アルゴンヌの戦いをくぐってきたとするわな。ところが、銃そのものにはなんの変わりもないーーこっちがそのことを知らなきゃな。すべてはここにあるんじゃよ」「頭の中にあって、銃にはない」

    リタ「わたしは信じないわ、この二つのライターのどっちかがフランクリン・ローズヴェルトの持ち物だったなんて」
    ウィンダム=マトスン「そこじゃて! わしがきみにそれを証明するには、なにかの書類がなくちゃならん。真実性を保証する文書が。だから、つまりはなにもかもインチキ、集団幻覚ってことさ。品物自体じゃなしに、一枚の紙切れが値打ちを証明するんじゃから!」
    「この紙切れとライターには一財産かかったが、それだけの値打ちはあるーーなぜなら、この二つが彼の持論の正しさを証明してくれるからだ。”本物”という言葉に実はなんの意味もない以上、”偽物”という言葉もまた無意味だ、と」
    この議論は、仮想通貨やNFT(非代替トークン)、さらには通貨そのものが成り立つための「真実性」と「信用」の問題と思い切り重なる。多くの人が信じているから信用できる。それ以上のものではない。

    ホーソーン・アベンゼンの発禁書『イナゴの身重く横たわる』。第二次大戦に枢軸国が勝利したという歴史改変世界にあって、連合国が勝利したという歴史改変をテーマにした架空小説。架空の世界の中にある架空世界が実は真実だったという入れ子構造。

    神に判断を委ねるのをやめた人たちが『易経』に判断を委ねるというのは皮肉だが、人間はなにかを信じることによって自らを律していないと不安で生きていかれない生き物なのかもしれない。常識も社会的規範もルールも法律も宗教も全部しりぞけて、完全な自由を与えられると、一歩も進めなくなる人もいる。科学や真理に対する「信頼」も、人間社会に対する「信頼」も、生命進化に対する「信頼」も、自ら寄って立つ基盤となりえるが、それさえ信じられない人にとっては、カリスマ的な誰かに決めてもらうことが幸福につながるというのは、十分ありえる話だ。厳しい神をもたない日本で占いが流行るのは、ある意味、必然なのかもしれない。いや、むしろ、占いですんでいるくらいのほうが、狂信的な何かが流行るよりもずっと健全なのかもしれない。

    ドイツ第三帝国内では『イナゴの身重く横たわる』が発禁になったのに、大日本帝国内ではふつうに出回っていて日本人も喜んで読んでいる、というのは、たしかにありそうな設定で笑ってしまった。コロナ禍でも、合理的な意思決定、あるいは、非合理的・感情的な好き嫌いによって、よくも悪くもトップダウンで物事が決まっていく欧米あるいは中国をはじめとする独裁国家に対して、誰も責任をとりたがらない日本はのらりくらりと意思決定を先延ばししつつ、神風が吹くのを誰もが待望している。が、出る杭を打ち、お互いの足を引っ張ることに長けた社会は一方で、誰も専制的になれない、カリスマ的な指導者(権力の座に長くいれば、どんな人格者でも容易に独裁者に堕ちるのは歴史が証明済み)を必要としない社会でもあり、明確な中央監視システムがなくても、つかみどころのない空気のような相互監視システムが自然と働く息苦しい社会でもあり、それゆえに、一風変わった「自由」を謳歌できる社会でもある。

    コロナによって個人情報が国家監視システムに紐付けられ、どこまでもトレーサビリティが働くような社会は、戦争や大災害、パンデミックのような国家存亡の危機には有効かもしれないが、有事が終わったからといって、国家は一度手にした特権を手放したりはしない。それはどんどん強化されるだろう。一方、危機においても誰も決断できず、対応が遅れがちな日本は有事に弱いが、時間稼ぎによってそこをなんとか乗り切れば、また真綿で締め付けられるような、ゆるやかな相互監視社会が続くだけ。それは、核戦争やパンデミックを乗り越え、効率性と合理性によってがんじがらめにされた世界にあっては、おそらく、表現の自由が唯一残るサンクチュアリになるのではないか。という妄想を最近抱いている。

    フィリップ・K・ディック「高い城の男」。

    ジョー「そこがアメリカよりイギリスのシステムのすぐれたところなんだ。アメリカだと、8年ごとに指導者の首をすげかえる。どんなに優秀でもな。しかし、チャーチルはどんと居座ったままさ」「チャーチルは、イギリス人が戦争中に持ったかけがえのない大指導者だった。もし、イギリス人がチャーチルを首相の座にとどめておいたら、いまよりはましな日を見ているはずだ。いいかい、国家はその指導者以上のものにはなれない。それがヒューラープリンツィープ、ナチスのいう指導者原理さ。ナチスのいうとおりだ」

    絶望的なまでに間違ってる。指導者のレベルが低いとしたら、国民がそのレベルだからであって、指導者のレベルが国民を規定するわけじゃない。それに、どんなに優れた指導者であっても権力の座に長く居座れば腐敗する。「原理」という意味では、これ以上正しい「原理」もなかろう。定期的かつ強制的に首をすげかえるシステムを持った国のほうが暮らしやすいんだよ。

    フィリップ・K・ディック「高い城の男」。

    ルドルフ・ヴェゲナー大尉。「われわれの人生という、この恐ろしいジレンマ。なにが起こるにしても、それは比類のない悪にちがいない。では、なぜじたばたあがく? なぜ選択する? もし、どの道を選んでも、結果がおなじだとすれば……。
     それでも、われわれは進んでいく。これまでずっとそうしてきたように。いまこの瞬間、われわれはタンポポ作戦に抵抗している。もっと先になれば、こんどはSDの打倒を目ざしているだろう。しかし、それを一度にやることはできない。物には順序がある。これは徐々に展開していくプロセスなのだ。一歩一歩を選択していくことによってしか、結末を左右できない。
     そんなふうに希望を持つしかない。そして努力するしかない」

    オーディブルのフィリップ・K・ディック「高い城の男」は今日でおしまい。最後はちょっと呆気なかったね〜。

  •  初のディック読み切った作品になった(笑)。
     もっと陰謀錯綜する登場人物満載で展開の追いきれない大掛かりな話になるかと思ったが、そうでなくてよかった。読後感はアッサリというかむしろ爽やか(笑)
     たぶん、歴史マニアだったらもっと白熱したのかなと思ったり。
     ただ、西洋人の見る東洋人の奇妙さやあいまいさがよく表れていると思った。
     ネットフリックスでも映像化されているらしいので、機会あればみてみたい。

     易経に入り込む精神状態や、よくできてはいるが変哲もないブローチから思考が拡散し拡がっていく様はとってもサイケデリック。
     並べるのも変かもしれないが中島らもを思い出す(カダラの豚だっけ?)。
     やっぱディックはサイケだな、って思う。
     
     ただ、何というか…
     人生の背後を支配する善でも悪でもない実体のない掴みどころのないエネルギーに、得体のしれない畏怖を感じながら、でもそれにカタチを与え、答えを導きだそうと登場人物たちの多くがしている。
     結果としては、ほとんどの人物たちにハッキリとした厄災は(1名を除いて)降りかからない。先行きの不安さだけが暗示されるような格好になっている。
     たしかに、西洋人と非西洋人の立場が逆転しているあたりがリアルなのだが、取り上げられる描写の多くは日常風景ぽく映った。

    「占い(精神世界)とSF」って個人的には相性のいいテーマだと思うんだけどなぜかあまり見当たらなかった。ついでにいうと、ディックは長編をなかなか読み切れない作家だったんだけど、先日やっと読み切れた。

     ストーリーとしてはハッキリ言って、大きな出来事はほぼ起こらない。
     あるいは「戦争」という大きな出来事が起こった後だからか。
     ただ、主要な登場人物たちが軒並み「易」をする。

     ディックはSF的なギミックや精神病的な描写が特徴なのだと思っていたが、これを読んで、自分が世界から疎外されているという根拠のないが確固とした「不安」が本態なのかも、って思った。
     それをより強烈に彩り、根拠づけるのが「精神病的な描写」であり、ギミックなのかな、と。


     私も趣味で占いをするので、自分で占う時、あるいは占ってもらう直前の不安と期待の入り混じったあの感じというのは、曰く言い難いある種の独特な感じがする。
     自分の今感じている感情は、不安ではなく、なにかの恩寵であってほしいという、妙な高揚感。

     なので、主人公たちが「易」を引く前の不安と高揚の入り混じったあの感じに同調しやすかったのかもしれない。

  • 有名なSF作品なので、わざわざ解説するまでもない。第二次世界大戦で日本とドイツが戦勝国になった世界を描く歴史改変物である。特徴的なのは、作中に登場する小説が、日本とドイツが勝戦国となった世界を描くことだ。その物語が登場人物を巻き込み、ひとつの結果に導かれる。

    結末について、日本人として考えるものはあるが、それ以上に、米国人など戦勝国の人々はこの小説を読んで、何を感じるのだろうか。戦勝国と敗戦国が強者と弱者の関係になり、特に弱者の境遇がどんなものなのか、私は敗戦国の立場で読めたが、米国人らは異なる境遇をどう感じ取ったのだろうか。名作であるがゆえに様々な人の意見を聞きたい。

  • Amazonビデオのドラマを見て読んでみたが、登場人物は重なっているのが、ドラマの方はだいぶわかりやすくなっている。
    クローズアップするところが異なるし、登場人物のキャラクターが違う。
    アクセサリーが鍵になっているとは、ドラマでは気づきにくかった。
    早くシーズン3が見たい。
    小説は設定やエピソードなど話の種子を蒔いてある印象。

  • 本作は第二次世界大戦後のパラレルワールドが舞台。
    つまり、ドイツ、イタリア、日本という枢軸国側が勝利する、という設定。アメリカやイギリスや連合国側はどこも敗戦国で、日本人の夫婦は戦時中のアメリカの文化を表すものを趣味的に集める。
    アンティーク趣味って別に普通だけど、わざわざ古いものを求めるっていうのも、戦勝国と敗戦国の図なんだ、と気付かされます。自分たちがぶっ壊したものへの哀愁があるのかも?その辺もシニカルなディックらしい描写。

    おもしろいのは、本作の中で同時進行する複数のストーリーをつなぐ一冊の発禁寸前の本。この小説には、連合国側が勝った場合の世界が描かれ、その作者が住むのがタイトルにもなっている「高い城」。ある女性が一つの謎に迫り、この城を目指すのがクライマックス。

    読んでると難しいんですが、改めて「あの場面はこういう描写なんだ」とか、いろいろ考える小説。やっぱりディックは面白い。

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