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感想・レビュー・書評
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星が5つじゃ足りません。
何度読んでも感動します。多分15巻まではこれから何度も読むと思います。
三歩大好き!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
登山中の事故や遭難の救出が多いけど単なる登山の話もある。登山の楽しさや恐怖といった長所と短所が上手く描き分けられていて読んでて退屈しなかった。山の楽しさや恐ろしさにリアリティがあるのも良かった。登山を甘く見るのは危険だけど、しっかり準備して臨むなら登山も楽しいんじゃないかと思わされる作品。これ読んだ後、ちょっと登山したい気持ちになった。
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名作
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なにか一つの事に打ち込める人間はなんと美しいのだろう。
あらゆる事をポジティブに捉える事で生まれる強さを学んだ。 -
三歩さん素敵だ。泣けるし山の恐さを思い知ると同時に山が好きになる。
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『孤高の人』と比べるべく読んだわけではないが、高所恐怖症の私には「山に登る」と言う行動は「やってはいけないこと」として認識されている。自殺行為として行うのであれば(作中、眠剤を飲んだ後に登り体調を可崩すと言う描写もあった)、それを選択するのはありだと思うが、簡単に命を投げ出す為に登るものではない、と島崎三歩の姿が言っている。
『孤高の人』の森文太郎はクライマーとして山に登る様を見せつけた作品だった。クライマーとは何か。
『岳』の三歩はクライマーでありながら北アルプスにてボランティアで「救助」を行う人間であり、彼がとって山は住処であり、庭であり、山に常駐しているからこそ、いつでもどこでも救助に行ける、そのために山にいる、と言う存在だった。
その彼が16巻で7年ぶりくらいに自分の為に山に登った。途中、エベレスト登頂ガイドをしている昔なじみのオスカーと出会い、物語の終盤は三歩自身の登頂の難しさを描写しながら、それを達成し、その後にオスカー隊の救助に向かう、と言う展開になる。
彼にとって救助とは何だったのだろう。要救助者を見つけた時、彼は毎回「良く頑張った」と声を掛ける。良く生き延びていた、と言う意味だ。頑張ったが助からない命に対して、軽んじるではなく、家族の元に遺体を届ける為に彼は運び上げる。エベレストのデスゾーンでは、そんな事は不可能と誰よりも知っていながら、彼は行ってしまった。救助者が生きていると信じて。
もし、彼が着いた時、要救助者が生きていたら、彼は下山出来ただろうか。漫画の様に、火事場のクソ力で、これまでやってきた様に。そこへ行くことは出来ても戻れない可能性の方が高いと承知で、彼は「救助者としてのクライマー」として登らずにはいられなかったのだろうか。
森文太郎が自分の為に山に登る、ただそれだけに徹したのに対し、三歩は「遭難者を救助する」為に山に登る事に特化し、彼が山に登る行為そのものがいつの間にか「自分の為」の様でそうではなくなってしまったからじゃないだろうか。
『東京喰種』の中でも、CCGによるあんていく掃討作戦時、店長や入見・古間が囮となり、他のあんていく組を逃がす作戦を取る。その時、逃げて欲しいと考えられていたカネキは止めに来た月山に「何も出来ないのはもう嫌なんだ」と言う言葉がある。:reでは、自分を逃がす為に囮になった父の姿を見て、月山はその時のカネキの心中を理解する。
人間は「自分の為」よりも「人の為」の方を優先する生き物なのかもしれない。
一気に18巻まで読み切ったので、まだ頭の中に入り切ってない部分もあるが、三歩には「闇」がない。それは彼の元々の性質かもしれない。闇がないからこそ、彼は上へ上へ、光の方へ登って行ってしまったのかもしれない。18巻、終盤、それでも三歩ならやり遂げるに違いない、と思って読んでいたので、涙が止まらない。