この作品も 観たのかどうか定かでなかったのですが
途中で「あ、観た」と思い出しました。
たぶん20年以上前に観ていて
その頃は 少しわかりにくかった部分が
この年になると 大変わかりやすくて・・驚きました。
年のせいもありますし、二度観たせいもあるかもしれません。
この映画は 主人公にあたる青年の視点で描かれているため
ソフィーの経験や心情が 少しわかりにくいのかなと思います。
ソフィーの置かれた立場も 少し特殊ですし。
(以下ネタバレになります。)
ソフィーのように
あまりにも辛いことがあると
空想や笑いで バランスを取りたくなることもあるし
あえて「破滅の道でもいいのかも」と思うことも
人間、あるんだろうなと思う。
ソフィーの彼氏は、精神のご病気。
妄想の中で生きていて、
とんでもなく楽しく クリエイティブで
時に とんでもなく破壊的。
そして、ナチスへの批判と
ソフィーへの愛(愛着?)がある。
ソフィーは、辛い記憶、生きづらい立場から逃れたい。
新たな人生を がんばって生きていこうとしている面もあるのだけど
家族を作ることには どうしても躊躇いがある。
あの時 選んだ子供も、
選ばなかった子供も
きっと幸せではないだろうから。
トラウマから再生できない
そんな彼女に
家族(子供もいる家族)を 与えたがったのが主人公。
空想と、笑いと、時に破滅を与えたがったのが彼氏。
ソフィーのように 辛い過去を忘れたいが、
「忘れるだけで精一杯、普通の幸せなんて難しい」
と感じている方とは
お仕事で 何度かお会いしてきました。
もちろん、主人公のような
ただ恋に落ちた 人生に前向きな若者とも。
そういう二人が出会った時
一緒に、同じ夢が見られたらいいのだけど
夢見る未来が トラウマを思い出させるものなら
共に生きるのは 難しいのかも。
この映画の主人公に
そこに気づく思いやりや、
人生経験があったらよかったのにね。。
(普通の幸せが トラウマを思い出させるかもしれないと 気づければよかったのにね。)
主人公と過ごす穏やかな時間にも
ソフィーは癒されたのかもしれない。
でも、同じ夢は見れなかった。
一方、彼氏は
いつも自分を辛い記憶から逃がしてくれた人。
でも、彼はナチスに批判的ゆえ
ソフィーに対しても
愛と批判が 同時に存在しているように見える。
(私の想像ですが、ソフィーを好きなのだけど、彼女の生い立ちからナチスへの批判も 彼女に向けられてしまうような・・混乱した気持ちなのでは・・と思う。)
浮気疑惑も相まって
愛と批判が混じり、心のコントロールが効かなくなり・・
破滅の道へ。
だけど
ソフィーにとっては
お酒や空想の遊び、浮気、破滅でさえ
辛い記憶(罪悪感や喪失感、無力感など)を
忘れる 手段。
一人で なにもしないでいると
頭に浮かんでしまうから
忘れさせてくれる刺激や、濃密な関係が必要。
そう考えたら
ソフィーの行動は理解できる。
現代のように、 PTSDの認識や治療法があれば
もう少し違っていたのだろうけれど
1940年代には 医療の救いは、ほとんどなかったのだろう。
かわいそうな人を
誰も助けてあげられず
破滅が救いになったという お話です。