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感想・レビュー・書評
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遠藤周作の信仰のゆらぎをテーマにしていると言われる三部作。三冊目。
イエスが亡くなった後、弟子たちがどのように信仰を持ち、布教していったのかということにフォーカスされている。これも遠藤氏自身が自分の信仰を確かめるために辿った物語ではあるが。
神殿崇拝偏重に異を唱えてパリサイ派に石うちの刑にされたステファノのまっすぐさがすごいと思ったが、そのステファノの石うちに賛成しておきながら、後に使徒ポーロ(パウロ)がすごすぎる。自らが戒を守ることですくわれないことに行き詰まったポーロ。
”律法や戒律は自分にすくいの悦びを与えてはくれず、逆に人間のどうにもならぬ悲しさしか教えてくれなかったことを語った・・・”
彼はイエスを信仰する人々を見てイエスの中のキリストを見いだす。イエスと面識はないがそんなことはまったく関係ない。
”本当のキリスト教はイエスの思い出に拠るのではなく、キリストの復活を核とするのではないか。これがポーロの自信である。”
もうなんともいえない。
ポーロはエルサレムから出ないでユダヤ教の戒律を守りながら目立たないようにイエスの復活を待つ弟子たちから離れて、長い伝道の旅に出る。そしてユダヤ人以外にもどんどん布教していくのだ。反対に合うことも承知の上で、若干強気な性格もあっただろうが、彼はそうせずにはいられなかったんだと思う。キリストを知ってしまったのだから。
この三部作、どの順番で読んだらいいのか終わってみて考えた。
間違いなく『キリストの誕生』は一番最後が良い。自分は『イエスの生涯』⇒『死海のほとり』と読んだのだけど、遠藤氏の信仰の告白と宗教観を『死海のほとり』で感じてから『イエスの生涯』⇒『キリストの誕生』というのもありだと思う。
まったく違う宗教だけれども、人間が宗教を求めることというのを遠藤氏自身の視点で生々詩句見せてもらえる。
ちなみにこの『キリストの誕生』は同じことが何度も出てくる。とりわけイエスの最期を見届けなかった弟子たちがなぜ信仰を持ち続けたかというところ。自分はこれが遠藤氏がどうしても自分の中で繰り返し繰り返し確かめたことなんだろうと思った。法話で講師が何度も仰る話のようなものだと思った。
”おのれのやましさ、いやらしさ、卑怯さは明らかだったからである。のみならず自分たちの裏切りを知りながら、すべてを許したイエスの大きな愛情の前には、彼等もただもう、頭をたれるより他はなかったのだろう。”
宗教、信仰というものについてひとりのひとが深く深く掘り下げて行くさまを見せていただいた。どういう人におすすめかっていうとすごく難しいな。自分以外の他者が気になる人は是非読んでみて欲しい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
キリスト教なんてまるで元々存在していたかのように捉えていたので、すべてが衝撃だった。宗教観を大きく変えられたのはもちろん、価値観とか既成概念とか思考の拠り所とかあらゆるものを崩された。
神は沈黙している、救ってはくれない。しかしわたしたちの心の中にいる、愛を与えてくれる、困難なときに寄り添ってくれている、という神の存在へのひとつの答え。賛同するか否かは別にして、キリスト教徒の筆者が言うからこそ重みを持ち考えさせられる。
この本ではイエスは復活しなかったことになっていて、その疑問が残る。実際にイースター(復活祭)の習慣があるので、後の新しい流派により復活したと加筆されたのか???いや、新約聖書に復活の件はたくさん書かれていたと記憶している。ということで謎なのでいつか判明させたい。
再読しないので星4つだが、むしろ6つ7つつけたいくらい。『イエスの生涯』が上巻、こちらが下巻のような展開。両方読んで初めて深く理解できる構成なのでセットで読むべし。