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感想・レビュー・書評
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ロシア文学出身で、戦時の満州引き上げで凄惨な日々を経験した著者が人生の意義などについて書いている。
大河の一滴と著してあるように、自分と特別な存在と見なさず、大河の一滴のような存在にすぎないと謙虚に見つめなおすことで楽に生きられるのではないかという話。
エッセイを取りまとめたものなので、話題は多岐に渡る。
とても参考になることもあるのだが、あまりにも自然科学軽視な発言が目に付くように思う。
他にもちょっと。。と思う発言もあるので☆2つ。
そんな中でもいいなと思った事。
・なにも期待してない時こそ、おもいがけず他人から注がれる優しさが慈雨として感じられる。
・二度と飢えた大人の顔が見たくない。それが本音です。
・ユーモアというのは単に暇つぶしではなく、ほんとに人間性を失いそうなときに人間の魂を支える大事なものだ。
・おまえもいつかきっと本当のさみしさを感じることがあるだろう。その時にその寂しさから逃げるな。ごまかすな。その寂しさは運命がお前を育てようとしているのだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
心の持ち方ハウツー本かな。
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なぜか登録する本がKindleしかなかった。わたしが読んだのは紙です。
初版が出たころ本屋に並んでいるのを見たことがあった。それが,このコロナ渦のなかで,再度,注目されているようだ。
出版された1998年(平成10年)といえば,バブル崩壊後,1995年の阪神淡路大震災,オウム真理教による地下鉄サリン事件,1997年の酒鬼薔薇聖斗事件など,それまで日本が歩んできた道を否定する(少なくとも立ち止まって考えざるを得ない)大事件が起きた後です。これまでの価値観でよかったのか,日本人が右往左往して,それを問い直していた時期だったともいえるでしょう。
今回,20年ぶりに本書読んでみて,なんとも,複雑な気分になりました。それは,この20年間,日本はあの事件でなんにも変わっていないんじゃないかという思いです。結果的に,まだ東日本大震災に遭い,ゲンパツは爆発し,でもさらに経済優先,学力優先で,あまり反省しない現代人がここにいます。
あれかこれかではなく,あれもこれもという姿勢が大切なのではないか…そんな呼びかけがとても響いてきます。
今じゃ,五木寛之さんがいろんなエッセイを書くのは当たり前になっていますが,それは本書から始まったような気がします。
あとがきによると,本書を出すきっかけは,古代中国の屈原の故事を編集者に話をしたことだそうです。本書にも,その屈原のお話が収録されています。
その中に屈原が紹介している漁師の歌が出てきます。
滄浪の水が清らかに澄んだときは
自分の冠のひもを洗えばよい
もし滄浪の水が濁ったときは
自分の足でも洗えばよい p.46
五木さんはこの屈原の話を引用しながら,次のように述べます。
「大河の水は,ときに澄み,ときに濁る。いや,濁っていることのほうがふつうかもしれない。そのことをただ怒ったり嘆いたりして日を送るのは,はたしてどうなのか。なにか少しでもできることをするしかないのではあるまいか。渡しはひそかに自分の汚れた足をさすりながら,そう考えたりするのである。」(p.47)
大河の一滴である私たちは,その大河から逃れることもできないのだから,どこかに諦めが必要だし,その諦めのなかから本当の希望も生まれるのではないかと思うのであった。ちゃんちゃん!
統計や数字に対する次のような意見も紹介しておきます。何かというと「数値化」をいう学校現場の方々に対して…
「統計や数字もまた現代の大きな病のひとつだと感じるからだ。数字は正直だが,それを扱うのは問題だらけの人間たちではないか。文明の利器と称されるもので,凶器と化す可能性が皆無なものがあったら教えてもらいたいものだ。」(p.61)
わたしたちは,一人残らず問題だらけの人間であることをまずは認めましょう。そこから考えると,大きな間違いは起こさないのではないかとおもうのですが。
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宗教的でもあり哲学的でもあり、それぞれの特徴を文学者である著者が持論であり時にはお寺で悟りを聴いているような何とも心の居心地がいい空間に引き込まれた気持ちになった。戦争を経験し、敗戦後絶望から徐々に成長し現在の豊かさを勝ち取るまでの日本での長年の人生経験がふんだんに盛り込まれた、正しく著者の人生の感想文であり、読者にとっては、人生を全うしていくうえでのバイブルであり、また生きづらくなったときの心の拠り所となる著書であろう。高度成長を遂げた日本の手放しで喜べない問題点、清潔で豊かであるのに自殺者が減らない現実であったり、義理や人情の薄れた乾いた世の中、無理にプラス思考を唱えるが故、上ばかりを見て足元を見ず大事なものが失われつつある現代人などを押しつけがましくなく自問するタッチで描かれているのが、著者の穏やかで人を包み込むような包容力を感じさせる人格を表している。人間はみな大河の一滴、小さな存在であるがここに生まれてきた意味を考えよう。生きていくだけで尊い存在なのである。暗さを知るから明るさが分かる、絶望と希望など常に相反するもの両者を知り、感じることの人間の真理の深さを考えてほしいと私たち現代人へのメッセージだと受け止められた。上記した本書からの抜粋は、間違いなく今後私の人生の中での心の拠り所となるであろう。
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東出昌大さん推薦。共感する部分と反対する部分の落差が大きかった。
過酷な状況を生き抜いた人と諦めた人との違いは、強いエゴ・他人を押しのけてでも生きようという利己的な生のエネルギーでは、という提言はショッキングだがそれ以上に現実的で覚えておきたい。 -
生きることは、地獄そのもの。
ちょっとした人の優しさに触れると、地獄が束の間の天国となる。
おいしい食べ物や綺麗な景色を見ることも同じ。
そのために生きる。シンプルなこと。 -
著名作家による平成11年刊行のエッセイ。
タイトルの起源は著者の呪文で、「人は大河の一滴」…それは小さな一滴の水の粒にすぎないが、大きな水の流れをかたちづくる一滴であり、永遠の時間に向かって動いていくリズムの一部、と解説する。つまり無為であることを意味する。
こうした発想の原点は著者自身が少年の頃平壌で終戦を向かえ命からがら祖国へ引揚げたことにある。が地獄の中に極楽、言葉を変えれば周囲の大人がを他人を差し置いて生を求める極限状態のなかでさえ、ごくたまに人の善意や温かみに触れたという。
浄土真宗開祖の親鸞の言葉など先人の言葉も借りながら、当時の色々な事件に対して自らの思いを言葉にする。 -
人は皆、大河の一滴である。
生きるという事を語った本書は、出版は1998年であり23年が経った今でも普遍的な考え方を提示してくれる。社会の中で、少し疲れたり、悩んでいる人にとって、気を楽にしてもらえる一冊だろう。
著者は、ポジティブ思考について意味を認めつつもそれだけでは、人生生きていく事はできないとする。仏教は、そもそも人生とは苦しみと絶望の連続であるという考えからスタートする、ある意味究極のマイナス思考である。シェークスピアのリア王では、「人は泣きながら生まれてくる」というセリフがあるという。また、聖徳太子は、「世間虚仮」=世の中全て虚構のようなものである、といって死んでいった。
科学と技術が進歩した一方で閉塞感があふれる現代と、そうした過去の時代とで、人の世の苦しみは変わるのであろうか。これは人間の進歩とは全く関係がなく、いつの世も人間の苦しみは変わらないと考えるのが自然である。人生の苦しみは人類普遍である、そもそも楽ではないものという前提から出発することで、生きる事が楽になるということを著者は言っている。
今の世の中、やれポジティブシンキングだとか、健康のために食事はどうあるべきだとか、規則的な生活が望ましいだの、色々と疲れる事が多い。しかし、そうした規則や制約などは人間にとっては、心や体の自由を奪っているのではないだろうか。 -
この本を読む前から人間が人間らしくという、当たり前のことが、とても難しいことのように感じていました。本書では、筆者のこれまでの生き方をもとに、人間の一つのあり方というか、心の持ち方を示唆されています。その考えは仏教的で、良い意味で情緒的。人間本来の感覚的なものの捉え方を大事にされているという印象を受けました。そして、その感情を豊かにしていくことが、現在に求められていることだと結ばれています。
本書では、ビジネスの最前線を担う三十〜三十四歳層での死因のトップが、自殺であるということが述べられておりました。その世代の死者の5人に1人が自殺でなくなっているというのは、やはり異常を感じます。戦時中より物質的に豊かになっても、戦時中より死者が減っているわけではないというのは、やはり内面的なものに、どこか歪が生じているような印象を強くうけました。