東京物語 小津安二郎生誕110年・ニューデジタルリマスター [Blu-ray]

監督 : 小津安二郎 
出演 : 笠智衆  東山千栄子  原節子  杉村春子  山村聰  三宅邦子  香川京子  東野英治郎  中村伸郎  大坂志郎 
  • 松竹
4.06
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感想 : 19
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988105101890

感想・レビュー・書評

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  • 2012年2月にDVDで見て、以下のような感想だった。

    驚くくらい「寂しい」話だった。
    老夫婦と子供夫婦は、同じ空間にいながら別の時間に生きている。
    老夫婦は諦念を感じる仏性すら漂わせながら、寂しい。寂しい。
    もう違う生き物なのか。
    ローアングル、カメラ固定、視線の交流のなさ、
    などよく読んだ技法はまさしくそうだとわかったが、それでも室内を人物が移動するときに、結構な間隔でカメラも切り替わる。これが動きを感じさせた。

    今回はBSで。
    実は原節子の顔や体格が苦手で遠ざけていたところがある。
    今回もやっぱり。
    張り付いたような笑顔とか……これは単に好みを書いているだけだが。
    今回は話の先が見えていたので、あフラグだなとか、絵作りのほうに注目できた。
    ここには書かないが口悪くツッコミを入れながら見てみたら面白かった。
    なんかすごいが何かどうすごいのか言語化できない。
    すっかり忘れていた京子が、一番眼福だった。

  • ずっと観たいと思っていた小津安二郎監督『東京物語』(1953年)。意外にも身近なアマゾンプライムに入っていた!

    真美善が私たちのパラダイムのなかに沁み込む日常のなかで、1953年の白黒映画が心に罪悪感を掻き立てる。観ていて痛い。私はどうだったのかと。

    育ててくれた親を蔑ろにはしていないのか?
    恩を仇で返すのか?
    親は意外にも呆気なく逝ってしまうのに、十分に恩義を返し、大事におくったのかと。

    と同時に親としての自分も覗き込む。
    子にとって負担な親にはなっていないか。
    関りは過剰に持たない方が子は幸せなのではないか。

    誰かを善い人、或いは1人を悪役に据えて物語を進展させるのではなく、引いたフレームのなかで成熟期に入った老いた両親と自立したそれぞれ家族を持つ子どもたちが日常生活のなかで淡々と言葉を交わす。

    「家族」はいつまでも「家族」ではない。
    形は変わりゆく儚いものだと心に刻む。

    老いた両親を蔑ろにする実子家族のなかで、戦死した次男の嫁紀子役の原節子さんの存在が異彩を放つ。小津監督は「いい嫁 善い人間」像を描きたかったのだろうか。

    私は家族のなかで唯一血の繋がらない外部の人間だからこそ、彼女は義理の両親に温かく接することができたのかなとも感じる。
    他人ならば離れようと願えば離れていける。

    しかし、「血縁」は死ぬまで離れられない。いや、離れることに社会的な罪悪感すら感じるこそ、煩わしいのではないだろうか。
    介護は親族で抱え込まず、専門家や他者をという最近の風潮にも繋がる気がする。

    義理父周吉(笠智衆)と紀子(原節子)が最終盤に交わす「いい人」のやり取りが非常に興味深く、心に残る。

    終始自分の我欲を抑え、子どもたちの都合を優先してきた父親周吉が、次男の嫁紀子にだけ、本音を漏らす。
    「あなたはええ人じゃ」
    それに対して嫁の紀子は「自分はいい人間ではない」ときっぱりと伝える場面が非常に印象的だった。

    「善い人」という評価は相手や周囲の意向を汲み、自分を抑制する人が承認として受け取ることも多い。

    一方でその承認のために真美善を優先し、「善い人」であり続けなければならないと自分を追い込んでいることも多いのではないだろうか。

    「私が私であるために」自分の価値観を優先し、判断する。それは我儘でも利己的でもないと思う。
    誰かに尽くすだけの一生は誰かのため自身に自己犠牲を強いることに繋がる。

    本当の自分の豊かさや幸せとは何なのだろうか。
    そして自分が大切にしたい身近な人々とはどんな関係であることが良いのか。

    1950年代の小津監督はその普遍的な問題を今の私たちにも問うている気がした。

    以前鑑賞したイランのアッバス監督のいくつかの作品を思い起こした。

    引いたフレームで出来事を淡々と伝える作品はとても難しいのだが、想像が掻き立てられて心に残る。世界中の映画関係者が評価する小津監督の本作。
    時間を経ても変わらぬ本質の一端に接することができたのではれば嬉しいものだ。

  • 両親が遠くからはるばる上京したのに子どもたちは毎日の生活で忙しく、自分たちを顧みる余裕がなく、持て余している。
    その中で肩身の狭い思いをさせられる老夫婦。
    子どもたちがそれぞれの生活をしっかり持っていることは幸せだと自分たちに言い聞かせているが、本当はやるせなく思っている。
    その中で、自分たちのために仕事を休み、精一杯のもてなしをしてくれる戦死した次男の嫁(未亡人)の温かさがうれしくて仕方ない。

    でも、実際はその未亡人は自分が老夫婦と血の繋がりがない他人だからこそ、優しくできるのだということを知ってる。
    それなのに、老夫婦やその一番末の娘から「あなたはいい人」と過大評価されて辛くなっている。

    そういう映画なのかなと思った。

    誰も本当のことを言わない。
    いいことも悪いことも。
    両親が来てくれてうれしい、きちんともてなしたいという子どもたちの気持ちには嘘はない。
    でも、忙しいし、自分たちの生活にも余裕がないからできない、歯がゆい、何でさっさと帰らないんだと思う気持ちも本当。
    子どもや孫に会えてうれしい気持ちは本当。
    でも、手放しで歓迎してもらえない、自分たちの相手が負担だと思われるのが悲しい気持ちも本当。
    子どもたちの自立がうれしいのも本当。
    でも、自分が期待してたより出世してないことや心がすれていることを知ってがっかりしていることも本当。
    お気の毒な老夫婦に楽しんでほしい気持ちは本当。
    亡夫を愛していたことも本当。
    だけど、もはやそれが過去で、老夫婦ももはや家族だと思ってないからこそ優しくできるということも本当。

    登場人物が自分のしている行動を少しずつ後ろめたく思っていて、でも、仕方ないじゃないかと開き直っていて、何となく全体としては丸く収まる感じがとても日本的。
    でも、それが私にはすごくしんどいなと思った。

    私は本当のことを言いたい。
    ぶつかることになっても。
    それぞれの人が言いたいことを飲み込んで消化していくのはそりゃ争いが少ないし、表面的には穏やかだけど、すごく不健康だと思ってしまう。

  • 今回で観るのは何度目だろうか。

    最近、小学生の娘が昔の(昭和初期くらいの)日本のマナー/作法に、謎な興味を示しているので、いっしょに観てみた。

    彼女にとって生まれて初めて観る実写版邦画だ。シブすぎる。。。

    それはさておき、同郷、尾道の三人のおじさん達が、戦争の心傷を表に出さないようにしながら(というのも彼らはみなわが子を戦争で失っているからだ)、東京の飲み屋で酔っ払って管を巻く場面で、今回もちょっと鼻の奥がツンとした。

    ところが娘は酔っ払いにただただ大爆笑。
    ちょっと複雑な思いになりつつも、文脈を知らない子どもの開かれた解釈に、なんだか常識に風穴を開けられた心地になった。そうやって観てもいいんだ、と。

    (一つ些細な発見。尾道から上京した老夫婦が息子娘たちに邪険に扱われ熱海の安宿に追い払われる場面。熱海は海を介して尾道につながっていた。さらに、海はあの世にはつながっていたのだと今さら気がついた)

  • 「たかが世界の終わり」でムズムズするような家族のディスコミュニケーションを見せられ、こちらの作品をふと思い出した。

    老夫婦の周吉ととみが、東京に暮らす子供たちに会いに尾道から東京に訪れる数日間を描きながら、家族関係という絶対的な繋がりを持ってしても、時の流れとともに脆く希薄なものになってしまう残酷さをじわりじわりと見せつけられていく。

    これは勝手な思い込みだけど、1950年代の家族ってもっと親に対して丁寧な印象を受けたが、いまとちっとも変わらないことに少し衝撃を受けた。
    杉村春子演じる長女の冷淡さや、長男の両親に対する無関心さに、なんか心がずっとザワザワしてしまう。
    結婚して家族や仕事を持つことによって、大切だったはずの両親の存在が自分の人生にとって一番ではないないものとなり、逆に血の繋がりのない戦死した次男の嫁の紀子だけが、義両親を敬う姿に、大切な人を失った人だけが持つ慈愛の心を感じて、なにか切なかった。

    美しくて、よくできた嫁である、原節子演じる紀子像は世の中の理想の嫁の姿を描いているようで、最初は不自然さすら感じたが、ラストで周吉に自分の狡さや弱音を吐露する場面で一気に泣いた。

    始まりは淡々とあるがままの日常を描きながら、ラスト30分に誰の心にも響くように、作品の重みを乗せていく感じは小津安二郎監督が国外問わずに支持される理由なのだと思う。

    老夫婦と共に旅をするように今とは全く違う東京の街並みを観光したり、小津安二郎監督独特なカメラワークによって、わたしもあの時代の生活の一部となり、戦後間もないあの時期にタイムスリップできたような気分になれたことも、この作品の魅力の1つだったと思う。

    とにかく親を大切にしよう。そう思う今日この頃。

  • 尾道で暮らす老夫婦が子供たちを訪ねて東京に出てくる。しかし子供たちは皆、自分たちの生活にばかり気をとられて、両親にぞんざいな扱いをしてしまうのだった。唯一、戦死した次男の未亡人だけが心温かく接してくれるのだったが。。。

    冷たい子供や孫の態度に腹立たしくもあり、身につまされる思いでもあり。老夫婦の淡々とした態度が、派手に嘆くよりも何倍も強くそれを訴えかけてくる。終盤に末っ子と未亡人のやり取りである意味、観客の葛藤を代弁してくれるのだけれど、その当の未亡人があそこまでできるというのは、親しき中にも礼儀ありを意識せざるを得ない立場だからだろうという気もし、だけれどやっぱりなかなかできることではないと感心したり。

    淡々と描かれる高度成長期の東京や熱海の風景も、親孝行なんてものが軽視されるような人の心を映しているようにも思えた。

  • 古い東京。親の年頃に近づいて笠智衆の心を知る

  • 年末にNHK BSプレミアムで、亡くなられた女優「原節子(享年95)」を偲んで放映された「小津安二郎」監督作品の『東京物語 デジタル・リマスター版 /1963』を観ました。

    -----story-------------
    日本映画を代表する傑作の1本。
    巨匠「小津安二郎監督」が、戦後変わりつつある家族の関係をテーマに人間の生と死までをも見つめた深淵なドラマ。
    故郷の尾道から20年ぶりに東京へ出てきた老夫婦。
    成人した子どもたちの家を訪ねるが、みなそれぞれの生活に精一杯だった。
    唯一、戦死した次男の未亡人だけが皮肉にも優しい心遣いを示すのだった……。
    いまでは失われつつある思いやりや慎ましさといった“日本のこころ”とでもいうべきものを「原節子」が体現している。
    家でひとり侘しくたたずむ「笠智衆」を捉えたショットは映画史上に残る名ラスト・シーンのひとつ。
    -----------------------

    初めて『東京物語』を観たのは20歳代前半だったかなぁ… 趣味的な映画を放映している映画館のオールナイトだったなぁ、、、

    それ以来ずっと大好きな作品です。


    1953年の作品なんですが、その後の核家族化を予想していたような内容、、、

    尾道に暮らす「周吉」とその妻「とみ」が東京に暮らす子供たちの家を訪ねるが… 長男「幸一」も長女「志げ」も毎日仕事が忙しくて両親をかまってやれず、寂しい思いをする二人を慰めたのは、戦死した次男の妻「紀子」だった。

    「紀子」はわざわざ仕事を休んで、二人を東京名所の観光に連れて行ってくれ… 「周吉」と「とみ」は、子供たちからはあまり温かく接してもらえなかったがそれでも満足した表情を見せて尾道へ帰った、、、

    ところが、「とみ」は帰郷途中から体調を崩し、帰郷して数日もしないうちに危篤状態に陥る… 子供たちが尾道の実家に到着した翌日の未明に、「とみ」は死去した。

    「とみ」の葬儀が終わった後、「志げ」は次女「京子」に形見の品をよこすよう催促… 「紀子」以外の子供たちは、葬儀が終わるとそそくさと帰って行き、「京子」は憤慨するが、「紀子は」義兄姉をかばい若い「京子」を静かに諭す。

    「紀子」が東京に帰る前に、「周吉」は上京した際の「紀子」の優しさに感謝を表し、妻の形見だといって時計を渡すと「紀子」は号泣する… 「紀子」が尾道を離れ、がらんとした部屋で一人、「周吉」は静かな尾道の海を眺めるのだった。

    うーん、名シーンがいっぱいで、目を閉じても色んなシーンが蘇えってきますね、、、

    「原節子」が演じる次男の妻「紀子」が、現代では失われ(つつある?)た、日本人のこころを体現していて心を打ちますね。

    そして、「杉村春子」が長女「志げ」を憎まれ役として好演しているのが印象的… 「杉村春子」って、巧いなぁ。

    他にも名演、名場面がいっぱい、、、

    何度観ても、イイなぁ… と感じさせる作品です。



    -----staff/cast-------------
    監督:小津安二郎
    製作:山本武
    脚本:野田高梧
        小津安二郎
    撮影:厚田雄春
    美術:浜田辰雄
    衣裳:斎藤耐二
    編集:浜村義康
    音楽:斎藤高順
    出演:
     笠智衆 平山周吉
     東山千栄子 妻・とみ
     原節子 二男の嫁・紀子
     杉村春子 長女・金子志げ
     山村聡 長男・平山幸一
     三宅邦子 妻・文子
     香川京子 二女・京子
     東野英治郎 沼田三平
     中村伸郎 志げの夫・金子庫造
     大坂志郎 三男・平山敬三
     十朱久雄 服部修
     長岡輝子 妻・よね
     桜むつ子 おでん屋の女
     高橋豊子 隣家の細君
     安部徹 鉄道職員
     三谷幸子 アパートの女
     村瀬禪 平山実
     毛利充宏 平山勇
     阿南純子 美容院の助手
     水木涼子 美容院の客
     戸川美子 美容院の客
     糸川和広 下宿の青年
     遠山文雄 患者の男
     諸角啓二郎 巡査
     新島勉 会社の課長
     鈴木彰三 事務員
     田代芳子 旅館の女中
     秩父晴子 旅館の女中
     三木隆 艶歌師
     長尾敏之助 尾道の医師

  • 2022/04/12
    保坂和志の本に小津安二郎の名前が出てたので気になって観てみた。
    良かったなー。
    会話が淡々と続く場面が多いのに単調に感じないし飽きない不思議さ
    画面がサザエさんみたいだ

  • 何度観てもいつ観ても良い。

    医者の長兄は母の臨終間際を医者として診てしまっている。理容師の長姉は理髪店を仕切り客と助手をやりくりする冷静さが身内にも出てしまう。鉄道員の三男は母の臨終時刻を聞き乗るべきだった汽車の時刻が即座に口をついて出る。皆それぞれに職業病が染み付いているくらいに独り立ちしてしまっているわけだ。
    何度か観て気づくこういった細かさが色々あって何度もおもしろい。

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著者プロフィール

1903年東京深川に生まれる。1923年、松竹キネマ蒲田撮影所に撮影部助手として入社。大久保忠素組の助監督を経て1927年、時代劇『懺悔の刃』で監督デビュー。以来1962年公開の『秋刀魚の味』まで、全54作品でメガホンをとり、サイレント、トーキー、モノクロ、カラーそれぞれのフィルムに匠の技を焼き付けた。1963年腮源性癌腫により死去。1958年紫綬褒章受章、1959年芸術院賞受賞、1962年芸術院会員。作品『生れてはみたけれど』(1931)、『出来ごころ』(1933。以上、松竹蒲田)、『戸田家の兄妹』(1941)、『晩春』(1949、芸術祭文部大臣賞)、『麦秋』(1951、芸術祭文部大臣賞)、『東京物語』(1953、芸術祭文部大臣賞、ロンドン映画祭サザランド賞、アドルフ・ズーカー賞)、『早春』(1956)、『東京暮色』(1957)、『彼岸花』(1958、芸術祭文部大臣賞)、『秋日和』(1960、芸術選奨文部大臣賞。以上、松竹大船)、『宗方姉妹』(新東宝、1950)、『浮草』(大映、1959)、『小早川家の秋』(宝塚作品、1961)ほか。

「2020年 『小津安二郎「東京物語」ほか【新装版】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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