下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち (講談社文庫) [Kindle]

著者 :
  • 講談社
4.16
  • (15)
  • (8)
  • (8)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 115
感想 : 13
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・電子書籍 (215ページ)

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 日本の子供たちは自主的に下層に向かっている。これを消費者マインドから解き明かします。また、その消費者マインドに迎合する教育機関も批判の標的としている。結果としていわゆる社会的弱者になってしまうわけですが、その弱者が弱者であるのは孤立とも無関係ではないとしてコミュニケーションの大切さを訴えています。苦労して何かを達成する喜びと一見無駄に思えるようなコミュニケーションが人を育てるようです。昭和のように大きな物語(目標)があるとよいのですが、そのあたりの過失感が若い人達を消費マインドに仕向けてる気がします。

  • 消費者思考回路の新人類。学び、労働を"苦役"と捉えるから、即時対価を求める。
    でも"学び"ってそうじゃない。学ぶ価値って理解して学べるような浅いものではないのに。自前の定規だけで世界は測れない。
    →「○○くれたら漢字練習してあげるね」の発言が出てくる、子どもは学びを嫌々やらされる苦役だと考えているから。
    →知らなかったことが分かるようになる、"学び"って楽しいのにな。主体的な学び
    →大人になってやる、必要に迫られた"勉強"は学びと違うのか。
    →成果を求める訳でなく、ただ好き好んでやる推し活"研究"は少し近いかも。


    この世は"贈り物"からスタートしている。既に貰っているから何か返さなくちゃ。
    →「欲しいと言ってないのに無理矢理与えておいて代価を求めてくるの理不尽」だそうです、教育の受け手側は。

  • 正直、タイトルが今いち(笑)。
    だと思いました。中身は僕は興味深く読みました。
    内田樹さんの他の本と重複するところはありますが、要は「引きこもりやニートって何だろう」ということ。
    内田さんの他の多くの本と同じように、これも講演会で内田さんがしゃべったこと、及び質疑応答、をベースにして、加筆修正したものらしいです。
    だから、そこは戦略的なんでしょうけど、口語的に綴られていて、読みやすい。食べやすい。それは長所だと思います。

    一方で好みレベルで言及すると、悪意的に言えば、

    「俺はこうやって上手くやった、やってるもんね。
    一方で世間の人々ってのはこうなりがちで失敗すんだよね。
    俺みたいにすればいいのに」

    という、高齢者/成功者にありがちな、「高みからのエラソー発言じゃん」、と臭ってしまう部分も、あります。若干。
    ソコでどこまで読み手としてムッとして躓いてしまうのか、読み手次第かも知れません。

    冒頭で内田さんがハッキリ言及しているのは、

    諏訪哲二さん「オレ様化する子どもたち」
    苅谷剛彦さん「階層化日本と教育危機」
    山田昌弘さん「希望格差社会」

    あと、佐藤学さんという学者さん。

    という著作や論考に大きく依拠しているそうです。
    というか、それらの著作を起爆剤にして内田樹さんなりの言葉でまとめた、考えたもの、であるようです。
    僕は上記で読んだことがあるのは「希望格差社会」だけ。それはとても面白く惹かれた本でした。
    そして、ソコをベースにして内田さんが考えていることは、なんとなく納得がいきます。
    また、大ベースとしてエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」がありますね。これまた、10代の頃に衝撃的に読んだ記憶が懐かしいです。
    まあつまり、資本主義的な民主的な社会になって、みんな自由になりたいからそうなったんだけど、
    自由になってみると自由というのもなかなか孤独で混乱で不安なもので、全体主義を求めちゃうっていうコトあるんだよね、
    ということだったと思います。ナチスとかスターリンとか、そーやって生まれるんだよな、と。
    そしてそれは、マッタクもって過去の話ではなくて、21世紀現在もシビアなまでに現実的なことなんだと思います。


    この内田さんの本の要旨としては。・・・と、いうのは難しいのですが。

    ●日本人の(子供・青年の)学力が落ちている。それは彼らが自ら選択していること。
    ●同じことが労働についても言える。低所得者層、ニートになっていくというのも、彼らが選択してしまっていること。
    ●何故か。それは、人間関係や子供家庭からビジネスモデルの消費者としての行いとコトバで侵食されてしまっているから。
    ●教育や学びというのは、消費者パターンの枠組みから解放しないと。つまり、考え方を変えないと、問題はなくならない。
    ●消費者パターンの行動を全否定はしません。そこから大いに喜びを得るものだから。ただ、どこかで線引き、あるいは違う考え方が必要。
    ●そういう世間の仕組みを作ったのは当然大人。若者の世代論的特性として批判論考することは不毛。
    ●政府からして自己決定、リスクの自己負担という言葉で美徳化しているが、持たざるものの社会リスクを増やしてより孤立化させていくだけ。
    ●一方で、お金持ち、支配者層は自己決定、リスクの自己負担など、若者に絶対許さない。家族を含めて既得権層のコネクションの中でしかるべき誘導を必ずしている。

    等々ですね。

    最終的に、もちろん、具体的な政策論議ではないので、「モノは考えよう」ということなんですよね。平たく言うと。

    それはもちろん、まとめ方によっては「精神論」になっちゃうんですけど。
    ソコを「なぜ?」「どうして?」「だとするとコレは当てはまらないじゃん?」
    という合理的思考できりきりまで考えた言葉で語れるか。
    でも、最後は絶対、精神論なんですけどね。
    それをどこまで説得力を持てるか。

    好みはあると思います。
    でも僕たちが何かの言葉を聞いて、「そうなのかな?」「違うんじゃないかな?」と考えていくことしかできないのであれば、
    僕はその一つの「なるほどこういう考え方、視点、角度があるのね」ということで言うと、
    この本はアリだなあ、と思いました。

    教員になる人とかは読んで欲しいなあ。
    読んだ人同士、「あそこは分からんかった」「納得いかない」などと話したい本ですね。


    #######################################

    以下、雑に個人的な備忘録としてメモっておきます。
    コレを読めば自分で思い出せるっていうことで。
    ちなみにこの本は2005年くらいかな?現在の本らしいですが。

    ●第1章 学びからの逃走
    ~~~日本人の子供の学力が下がっている、というデータがある。
    ~~~勉強ができない子供ほど、勉強することから逃げたがる。それがカッコイイ、個性だ、というような認識がある。
    ~~~「分からない」「知らない」ということを以前の子供/若者ほど気にしない?
    ~~~教師や学校に対して尊大になる。売り手と買い手、消費者という意識になっているのでは。
    ~~~就学以前の段階で、家事の変容も含めて、消費者として振舞うことが刷り込まれているのでは?
    ~~~消費者としては、価値を認める商品をできるだけ安く買うことが正しくて、勝利である。
    ~~~学問というのは、その価値が分かるために学問をする。価値が分かるから学ぶのではない。
    ~~~だから、一部の子供たちは「勉強してわかり易いメリットがなければ勉強しない」ということになる。
    ~~~消費者として態度としては、納得できない商品=学問に対して不愉快な態度を示すことは当然である。
    ~~~つまり消費行動は、「時間軸」がない。でも学問等は子育てと一緒で、時間が経たないと何も成果は出ない。
    ~~~株価操作に代表される種類のビジネスは、すぐに結果が分かる。その成果主義で言うと、勉強の魅力はなくなる。
    ~~~また、偏差値主義で言えば、「隣の子の学力が落ちるのは歓迎」になる。


    ●第2章 リスク社会の弱者たち
    ~~~一方で、自主決定、成果主義、リスク自己責任、というアメリカ追従型の政策、国が向かっている方向がある。
    ~~~ただ、素直に見れば、高い身分、階層の人たちは、家族一族コネ社会の中で、子供若者は自決主義なんかではなく、既得権益グループに保護されてリードされて生きている。
    ~~~その証拠が代議士や政治家が2世3世ばかりになっていること。
    ~~~つまり、所得の低い階層の人たちが、「自主決定、成果主義、リスク自己責任」という美名のもとに、予算をつけられずにどんどん、孤立させられているだけ。
    ~~~ただ、そのイズムを身につけた、低所得の若者子供たちが自身で、目先の楽、目先の納得を優先すると、価値を納得できない学問から逃げていく。
    ~~~それによって、どんどん低所得層に自らが落ちていく。未来を売り払っていく。それを自主決定していく。そこに後悔もない。
    ~~~それは各自の意思的な決定であることが多い。だから、後追いで対処療法をほどこしても全く機能しない。
    ~~~「自由からの逃走」と同じくで、子供のままの自我で、消費者としての自由とわがままを求めていくと、つまりは完全な孤立無干渉が心地いいことになる。孤独。
    ~~~ところが、雑に言うと金持ち勝ち組層は、それでは階層が落ちていくことが分かっているので、子供の「自主決定、成果主義、リスク自己責任」などに任せず、構って導いていく。
    ~~~雑に言うと社会的弱者がどんどん、そういう世論のリードによって、孤立を深めていく。
    ~~~なぜなら、頑張っても成功するという身近モデルが少ないし、勝ち組ほど大人に構われないから。また、消費者としての振る舞い以外に、世の中と関わる、家族と関わるツールがなくなっているから。
    ~~~家族という「世の中」で言うと、典型的サラリーマン家庭では、「家族同士が関わることの不愉快に耐える」「不愉快さを表す」ということが大人が子供に示すモデル態度になっていないか?
    ~~~ことほどさように、社会的な弱者が、自主決定、成果主義、リスク自己責任、という政策のもとに、どんどん孤立と孤独に落ち込んでいく。

    ●第3章 労働からの逃走
    ~~~そういう若者を想像していくと。労働と対価としての金銭などの報酬。このバランスは、常に対価交換になっていない。不満がある。
    ~~~商品と労働と報酬という関係は、常に対価交換にならない。そうじゃないと価値や利益が生まれない。
    ~~~つまり常に消費者としての意識で生きすぎている。そこからクレーマーにもなる。
    ~~~だから結局、最低限の「わかり易い労働」で最高の「不労所得」を得ることがカッコイイことになる。イメージ的に最高なのがIT長者になる。
    ~~~つまりこれも、労働というのが、長い時間をかけるやりがいや成果というより、消費者的に言うとなるたけ短時間で目に見える利益が手に入らないと満足を得れない。
    ~~~だったら、労働というストレスを払うより、引きこもって低燃費で暮らす方が、「自分らしい」。「自分が望む生き方」。「もっとできるだけ不快な関わりをゼロに近い形で収入を得れないか」。
    ~~~という形でニートになる。

    その他、覚えていることを断片的に。

    ●将来的に大量の高齢者ニートが発生する。そのときに、「あいつらを税金で養うのか」という議論になる。これは、税金で養ったほうがいい。これを切り捨てると、大量の犯罪者予備軍を路上に放つことになる。それに対処をするよりも、よっぽど税金で対処するほうが、結果は安価であるし、安全である。社会のセーフティネットの一つと考えるべき。

    ●いろいろなことが、「時間モデル」「無時間モデル」という分類でみることができる。「時間モデル」というのは、植林・林業に代表されるような、「長い時間が経たないと成果なんて分からない」という行為。消費者としての快感は全て「無時間モデル」の行為。当たり前ですが。

    ●「学び」ということも、「労働」ということも、「子育て」ということも、「家族関係」「コミュニケーション」というのは全て「時間モデル」な行為。それを、株操作的ビジネスのような「無時間モデル」すなわち短い時間で成果を換算されるべき物差しで測ることにそもそもの無理がある。

    ●「学び」に必要な「師匠」「先生」。「師」となるのに必要な資格はなにか。それは、自分も「師」を持っている、ということに尽きる。弟子は、「師」と「大師匠」の関係から自分と「師」の関係も構築していく。「学び」という行為の抱える時間性、成果主義ではないアナログ部分で言うと、その時点時点での実力にかかわらず、「師」との関係性から「学ぶ」という姿勢が大事。例証として「スター・ウォーズ」のアナキンとオビワンの関係などが挙げられる。

    ●日本人が「全体一致性」を重視する、という善悪ではなく「特性」

    ●「みんなが自己決定自己負担で生きてるんだから、僕も貴方もそうしなければならない」ということの矛盾。それは自己決定ではない(笑)。

    ●面白かったのが、時間モデルの行為として、相手の話を聞く、ということもある、という下りから、「音楽を聴く」という行為の重要性にも話が行くところ。強引論じゃん、と切り捨てるのは簡単だけど、消費快感の即効性という意味では、長めの音楽をじっくりというかまったりというか、耳を傾ける、という行為ってどうなんだろう。なるほど。と思ってしまいました。

    ●最後の質疑応答のところで、全く内田さんの趣旨を理解していない質問とかも出て、ちょっとだけイラっと回答する感じも残されていて、それはそれで編集サイドの意図であり演出であるんだろうけど、面白かった。

著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

内田樹の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ジョージ・オーウ...
ヴィクトール・E...
リチャード・ドー...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×