人間の建設 [Kindle]

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著者 : 岡潔 小林秀雄
  • 新潮社 (2010年3月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・電子書籍 (90ページ)

人間の建設の感想・レビュー・書評

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  • ■50年前に行われたあまりに知的な雑談

    文芸評論の大家小林秀雄と大数学者岡潔の対談。

    読み終えてから調べてみたところ、最初にこの対談が出版されたのは1965年(昭和40年)だそう。もう50年前ですよ。

    あらすじを引いてみましょうか。

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    有り体にいえば雑談である。しかし並の雑談ではない。文系的頭脳の歴史的天才と理系的頭脳の歴史的天才による雑談である。学問、芸術、酒、現代数学、アインシュタイン、俳句、素読、本居宣長、ドストエフスキー、ゴッホ、非ユークリッド幾何学、三角関数、プラトン、理性…主題は激しく転回する。そして、その全ての言葉は示唆と普遍性に富む。日本史上最も知的な雑談といえるだろう。
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    有り体にいえば雑談である、と。テーマを決めずにとりとめなく話をしたという意味では確かに雑談なんでしょうけどね。あまりに洗練されているよ。教養ある大人の会話とはこういうものなんですかね。

    50年も前に行われた日本最高峰の頭脳による雑談。
    50年後の平々凡々なおつむの若造は一体何を学ぶべきなんでしょうか。
    と、そこまで肩肘張って読んだわけではないのですが、50年前の会話なのかと噛み締めてみると改めてその遠さにおののきますね。年月も、会話の深さも。

    ということでおののきながらも50年後の若造が感じた面白かったポイントをいくつか。

    ■時間は情緒に近い
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    岡:
    時あるがゆえに生きているというだけでなく、時というものがあるから、生きるという言葉の内容を説明することができる。
    時というものがなぜあるのか、どこからくるのか、ということは、まことに不思議ですが、強いて分類すれば、時間は情緒に近いのです。
    時というものは、生きるという言葉の内容のほとんど全部を説明しているのですね。
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    岡潔の時間論。「時」という概念と「生きる」という概念はともに存在するものであり、それぞれ互いをを説明すべき存在である。これは哲学的にはある程度一般的な問題に絡むお話ですね。

    哲学における時間問題というのはなかなか面白いものです。難しく考えるとどこまでも難しい問題ですが、時間って何だろうと考えたことのある人は多いと思います。

    私たちは「生きて」います。生きている、というのが何なのかというのはまた難しすぎる問題ですが、一つの考え方として「いま」というこの瞬間を認識していること、という風に考えることができます。「いま」を認識すると同時に、過去や未来について考えることができます。即ち時の流れを認識できるということですね。しかし、未来も、過去も実際には存在しません。私たちの頭の中の何らかの物質が適当な形で結びつき作用することで、過去やら未来やらを想起することはできますが、それ自体が過去や未来の在ること、とは違います。そうした頭の中の物質はあくまで、「いま」存在する物質だからです。こう考えると、時間には「いま」しか存在しないことになります。「いま」を認識するという意味での「生きる」とは、「いま」という時間と通じる概念となります。「いま」という時とは、生きている私たちが認識するものであり、また、「生きる」とは「いま」というこの瞬間という時を認識することであるということ。

    こうした「どこもかしこも現在しかないじゃないか。時間ってなんだよう」という問題に切り込んだ哲学巨人はサルトル先生です。確かサルトル先生はこの問題と非常に苦しげに闘っていたのですが、岡さんの切り口はサルトル的な問題提起に触れつつも非常に軽やか。「時間は情緒に近い」と。なんというきれいな言い回し。軽やかできれいだけどいまいち意味は分からない。「時≒生」という哲学命題に続いて「時≒情緒」を打ち立てられますと、単純な僕の頭は三段論法に流れていきまして岡さんは「生≒情緒」という捉え方をしてるのか、となります。しかしこれどういうことなんでしょう。この段階ではあまり意味が分かっていなかったのですが、「情緒」というのはどうやら岡さん的にはとても大切なキーワードだったようです。あとでもう一度出てきます。

    ■伝記からはいる
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    小林:
    ぼくは専門の知識はわかりませんから、ああいう人に興味をもつと伝記を読むのです。ニュートンだってわからぬから「ニュートン伝」を読みます。やはり人間は、科学をやろうが、数学をやろうが、伝記というものがありますからね。そっちから人間が出ていますからな。それでいろいろわかるのです。ぼくら言葉のほうの男は、表のほうからはいるわけには行かないから、裏口からはいるのです。
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    これは同感。と言ってもいわゆる伝記というのはほとんど読んだことないんですけどね。僕の場合、とりあえずエッセイを探してみることが多いです。特に作家さんや、作家でなくても本を書いてる人場合は、まずはエッセイかそれに近いものを読みたくなる。やはり人となりが出ている気がするんですよね。その人なりの世界の見方や感じ方を知ることができるし、どういう考えでその人の本職の仕事(作品)があるのかが分かります。伝記という他人の書いたものより本人自身の言葉を読みたくもなりますし。そういえばこの本も数学者岡潔という人がどんな人か知りたくなって、岡さんの「春宵十話」と同じタイミングで買ったんでした。春宵十話の方、まだ読んでないですけど。

    ビジネス系だと昔は良く創業記みたいな本をよく読んだけど、最近はそこら辺を本で読むより、もう先にネットでインタビュー記事なり、本人のブログなり読んだりする方が早いですね。まったく興味のない人だったけど情熱大陸見て人間を知ったらその人の仕事にも一気に興味がわいた、というような感じだと思うので、ここはわりと多くの人が共感するポイントじゃないかと。

    ■ドストエフスキーは悪人である
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    小林:
    ドストエフスキーは悪人である。無明の達人です。
    岡:自分の中に両極を持って居たんでしょうな。悪い方の極がなかったら、よい方の極もよくわからないといえるかもしれませんね。
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    小林秀雄はともかくとして、岡さんも相当な読書家なようで、ドストエフスキーやトルストイの話が盛り上がります。文学もそれほど読んでないし、無明やら我やらといった仏教用語もあまり詳しくないのでお二人の話すポイントをあまり敏感に感じ取れなかったのがものすごく残念なのですが、上記引用した「ドストエフスキーは悪人である」「自分の中に両極を持っていた」という捉え方はとても興味を引きました。というのも、先ほど人物からはいるのが好きだという話を書きましたが、ドストエフスキーに挑戦した時はまだそういう入り方をしていませんでした。何も考えずに「罪と罰」に突撃して「ロシア人ってのは名前が長いんだな」という超強烈な印象だけが残っていて、面白さは感じられなかったので、そのうち再戦を申し込みたいと思っていたのです。それに対戦に敗れはしたものの「良心の呵責」であったり、「悪人の描く良識」というあたりのテーマは個人的に非常に興味のあるところだったので、今回まさにそういう文脈で見つけてそろそろ再戦の時が来たか、と思った次第。ということで、ドストエフスキーの「白痴」と、対比物として置かれていたトルストイ「アンナ・カレーニナ」を読みたい本リストに追加しました。そのうちこのブログにも登場させられると良いなぁ。

    ■情緒、あるいは世界の始まり
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    岡:
    愛と信頼と向上する意思、だいたいその3つが人の中心になると思うのです。
    そこで私が言う情緒ですが、人が生まれて生い育つ有様を見ていて、それがわかると、人というものもかなり分かるのではないかと思うのです。一人の人の生まれた時の有様を見れば、あるいは世界の始まりも見えてくるのではないかということも思います。
    世界の始まりというのは、赤ん坊が母親に抱かれている、親子の情はわかるが、自他の別は感じていいない。時間という概念はまだその人の心にできていない。―そういう状態ではないかと思う。
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    時間のお話のときに登場したキーワード「情緒」がここでまた出てきます。そして世界の始まり、と。またすごいキーワードを提示しますよね。すごくいいです。岡さんのいう「情緒」というのはその人の本質を表すもののようです。人格やら性質、そして自我なんかとも通じる捉え方でしょうか。情緒とは「その人が何であるのか」という本質である。そしてそれが「世界の始まり」であると。これはまた難しい概念ですが、前半に出てきた「時≒生」にもつながっているんだと思います。時とはいまを生きることによって説明できるものである。世界を認識することができるというのはいまを生きる存在ならではの行為であるといえます。つまり「生きて」いるから「世界がある」のであり、同時に「時」があるということ。生まれたばかりではまだ時間の概念は持たず、それはつまり生きているという概念にもつながらない不思議な時代です。世界の始まりとはそういう曖昧な瞬間にあるんだろう、というなんともロマンチックなテーマです。

    哲学的問題を考えているとひたすらに抽象的で捉えにくいところに入っていきがちなんですが、岡さんの議論がロマンチックで情緒的に感じるのは岡さんの人間観に由来しているのかもしれない。岡さんは人間の本質を「愛と信頼と向上する意思」にあるといいます。これはものすごく賛同できる部分です。児童福祉に10年近く関わって感覚としては分かっていたけど、という部分で、最近になってやっと教育理論や発達心理やその他関連する社会科学の最新の知見でようやく実証されつつある議論。うまく生きる子とそうでない子の差はどこにあるんだろう、この問題に岡さんは50年前に確信を持って自分の言葉で説明をされていたんですね。すごいや。この対談でも教育について触れている部分はありましたが、岡さんのエッセイである「春宵十話」でも教育問題はテーマにされているようですので、そちらも今から読むのが楽しみです。


    以上。

    ということで。
    話がいろいろに飛ぶという部分はまさに雑談なので、それぞれ気になるところが出てくるのではないかと思います。ものすごく洗練されてはいるけれども、あくまでとりとめのない雑談ということなので、お酒でも飲みながらとりとめなく思考や興味をふらふらさせながら読むのも良いんじゃないでしょうか。

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