竜馬がゆく(八) (文春文庫) [Kindle]

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  • 幕末志士のなかでも、とりわけ異色の存在といってもいい坂本龍馬の物語、全発刊を読み終えた。
    作者の司馬遼太郎は、この物語を通して、「明治維新」あるいは「大政奉還」という日本において足かけ7世紀にわたって続く武家社会、封建制社会体制の崩壊の最大の立役者として坂本龍馬に白羽の矢を立てた。古来、日本には天皇を頂とする「朝廷」が存在しており、例えばヨーロッパ諸国であればとうに天皇を君主とする君主制国家となっていたであろう。事実、平安時代まではそうであった。しかし、朝廷は武力を背景とする武士たちに勅許を与え、「将軍」という名目をこしらえた。表面上は将軍が日本を治め、その実、いざとなれば朝廷の許しを得ないと国政を進められない、他国では例を見ない二重支配体制と独自性を、日本に生み出すことになった。

    さて、時代は下って江戸の世。太平の世ともいわれる約260年の長きにわたる徳川家の支配体制は、司馬氏が本作でも述べている通り、常に徳川家よりも力を持つ藩を生み出さないように周到に用意されたさまざまな制度によって継続されたといっていい。参勤交代しかり、そして2世紀半にもわたる「引きこもり政策」たる鎖国体制もそうである。

    世界に目を転ずれば、幕末の世、ヨーロッパは植民地政策を競い、アジア諸国に目を向けている。イギリスは清国とアヘン戦争を戦っていた。フランスもついに革命が勃発し、君主制体制が崩壊し共和制への移行がなされた。すでに共和制を達成していたアメリカが、黒船を率いて、太平洋の極東に位置する日本を訪れたのもまた自然の流れのように思う。
    だが、そんなことに目を向けることなく、ひたすらに内向的な「我が世」を謳歌し、未だに厳格な身分制度を保持し、権力で民衆を拘束している徳川幕府の面々からすれば、浦賀に突如訪れたペリー一行は青天の霹靂であり、招かれざる「夷敵」であった。大きな船に乗った大男が開国を迫り、一方二重支配体制の黒幕たる朝廷からは開国の勅許は下されない。暴走した大老井伊直弼が桜田門外で暗殺されたことに象徴されるように、徳川幕府の中は混乱した。

    国内では「尊王攘夷」という旗印のもと、様々な思惑が入り乱れ、結果として国内も勤王派と佐幕派に分裂し、互いに疑心暗鬼になり、様々な内戦が起きた。幕藩体制というものは、統一国家という理念ではなく、いわば藩が一つの国家のような存在であったため、徳川幕府を中心として、様々な藩やときにはその藩に三下り半を突き付けて浪人の身として乱世に飛び出す者(竜馬もそのひとりだが)もいた。
    ここで竜馬が異色だったのは、他の志士たちがいずれにせよ武力を背景に討幕を目指していたのに対し、ただ一人彼のみが「大政奉還」という平和的解決を考えていたことにある。竜馬が目指したのは、アメリカのように、日本人が互選によって国の代表(=大統領)を選び、大統領は前日本国民のために政治を行う共和制の世の中であった。その竜馬をしてなお、目指したのは幕府から朝廷への政権返上だったことを思えば、朝廷と幕府の二重支配体制は日本において今に続く宿痾なのかもしれない。

    されども、竜馬の八面六臂の活動により、大政奉還は成った。
    船が好きで、大きな船に乗って七つの海を駆け回り、世界を相手に貿易をすることで国益を上げることを望み、かつ世界情勢を冷静に見据え海軍強化を唱えた青年は、まるでその希望に至る手段として「大政奉還」をなしとげたように見える。他の志士のごとく議論に時を費やすことなく、ただひたすらにおのが行動で道を示した竜馬の行動力には驚くばかりである。当時の武士にはそうした手合いが多かったのかもしれないが、竜馬もまた、時に命を狙われることさえ厭わずおのれの信念に基づいて進んだ。
    彼の夢の一里塚でもあったであろう「大政奉還」を実現し、いよいよ広い海を相手にしようという矢先、これから先も現れることがないかもしれないほどの出色の人物は、近視眼的な見方しかできない愚かな暗殺者に殺されてしまう。

    歴史にifはないことを承知で妄想をふくらませるならば、せめてあと十年でも竜馬が長く世にいたら、明治政府ももっと早く議院制度を整えられたかもしれないし、無駄な戦争の一つでも回避できていたかもしれない。
    少なくとも、日本人の人権意識や身分に対する平等の概念は、より根付いていただろう。
    維新から一世紀半、日本のように王室を持つ英国が、立憲君主国として首相が行政の長を務めているにもかかわらず「正しい」民主主義を達成しているのを見るにつけ、同じ体制であるはずの我が国があたら一世紀半にも及ぶ長い歴史的時間を濫費してしまった感はぬぐえない。
    一応民主主義の体裁をとりながら、事実上一党独裁体制を謳歌している日本の現状は、まるで幕府体制に後退したかのようにさえ見える。一方で、敗戦国のルサンチマンに未だ身を委ね、実質半植民地的な扱いにも甘んじている我らの将来に、陽が射すことがあるとすれば、それは第二の竜馬の出現を待たねばならないであろう。

  • 事をなす人物は一体どんな性質なのかよくわかる。時勢、タイミングが全てと感じた。

  • 圧倒的読了感。

    生き方、考え方において坂本龍馬に憧れる。

    この人が生まれていなければ今の日本はどうなっていたのか。

    色々な奇跡に触れることができる名著。

    何度でも読み返したい。

  • 竜馬が永井尚志と会談する場面、話の進め方がとても勉強になる。庭の話で緊張をとき、身分や立場のしがらみを、相手と自分が天界にいるとして、なくす。うまい。「議論に勝つということは相手から名誉を奪い、恨みを残し、実際面で逆効果になる」

    「日本国および諸雄藩が万国公法を守らない限り、欧米列強はつねに日本を野蛮国視し、野蛮国と見つづけているかぎり対等の付き合いをしないであろう」昨今のコンプライアンス重視の企業経営にも通ずる。

    竜馬の死後、残された同志やおりょうを始め女性たちの心情は、やはり辛いものがあった。だが、維新後に竜馬と関係のある人が受勲されたり、大正にても新聞のタネになったりし、語り継がれていることは救い。

    日本が列強となれたのは、この時代の志士たちによるものが大きいと思う。特に、大政奉還は偉大。もし流血革命なら、他の列強に食い荒らされていただろう。この時代の志士たちに感謝して生きよう。

  • 竜馬最後の大仕事、大政奉還へむけて京都・土佐・長崎・福井を駆け回る。
    大政奉還がなった直後に暗殺されちゃうなんて、竜馬はこのために天から使わされた人間だったのだな。
    「薩長連合、大政奉還、あれァ、ぜんぶ竜馬一人がやったことさ」
    後に勝海舟が語ったが、同時代に稀有な人材が多く出たことは間違いない。
    西郷隆盛・小松帯刀・桂小五郎・高杉晋作・中岡慎太郎・後藤象二郎・岩倉具視、そして竜馬が師と仰いだ勝海舟。誰一人欠いても事は成らなかった。
    けれど、倒幕後の日本を見据えていたのは竜馬ただ一人だった。

    あぁ、とうとう終わってしまった。
    竜馬ロスに陥っている。

  • とうとう読み終わってしまった。昭和史は、半藤さん、保阪さんや松本清張さんに教わって、明治は、竜馬がゆくと坂の上の雲とでようやく少し分かって来たけど、まだその間を少し埋める必要があるね。

著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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